第13話 再起

 その夜。


 シェラビーはぼんやりと部屋を眺めまわしていた。


 そんなことをしている場合ではない、ということはもちろん分かっている。



 シルヴィアの死を無駄にしたくない。



 という思いももちろんある。


 しかし、それら全てが言い様のない虚無感に覆われてしまっている。心の中が真っ黒い雲に覆われているようで、どんよりとした重苦しい気分だけが続いている。


(とはいえ、あの様子だとスメドアは本気で俺を殺しかねんし、な……)


 さすがにスメドアの手でシルヴィアの隣に埋められるのは耐えがたい。自分がどう、というよりもシルヴィアの存在が滑稽極まりないものになってしまうからだ。


 だから、さすがに夜になると立ち上がり、歩いて執務机にはついてみる。


 とはいえ、どんよりとした心だけはどうにもならない。


(こんな様で、俺はナイヴァルやミベルサを自分のものにできるのか?)


 それ以前に、こんな状況では「やる気になった」と言うこと自体が詭弁ではないかと思えてくる。


「何だ、これは……?」


 と、机に置いてある手紙に気が付いた。サリュフネーテが置いていたものらしい。


 何の気なく手に取って読んでみた。スメドアにも見せていたソセロンからの手紙である。


 シェラビーの表情が険しくなる。


(ソセロンのイスフィートか……)


 イスフィート・マウレティについて記憶はない。ただし、その父親とは面識があった。


(バシアンの枢機卿以上にガチガチの連中だったな……)


 仮にあの男がナイヴァルにいたら、ミーシャが総主教であることにも一々文句をつけるであろう。サンウマの自由な空気ですら文句をつけるかもしれない。


(……あんな奴の息子が今やソセロン王か……、しかも、ボーザらを捕まえて一丁前に身代金まで要求してくるとは……)


 気に入らない。そう思った。


 しかし。


 何故、こんな事態が発生してしまったのか。


(俺が不甲斐なく寝込んでいたから、スメドアを呼び戻す羽目になり、結果として負けたということか……)


 この気に入らない事態が自分の責任である。


 そう考えただけで大きな溜息が出た。



 シェラビーは廊下に出て、声をあげる。


「サリュフネーテか、ラミューレはいないか?」


「どうかしましたか?」


 隣の部屋からサリュフネーテが顔を見せた。けげんな顔付きで廊下に出てきた彼女の表情は、シェラビーの顔を見て和らいだものになる。


「少しは良くなられたようですね」


「お蔭様でな。迷惑をかけた」


「いえ、母もシェラビー様が再起することを願っていたと思いますので」


「まあな。ただ、それもあるが、今の俺は『こんな奴らに好き勝手させて溜まるか』という思いの方が強いかもしれん」


 サリュフネーテに手紙を渡す。既に目を通しているようで、渡された時点で何の件であるか察しがついたらしい。


「ソセロンの件ですか」


「あんな知性の欠片もないような集団に好き勝手されたとあっては、シルヴィアに会わせる顔がない」


「ただ、スメドア様はこの身代金については払うしかないだろうと言われていました」


「……そうだな。ボーザに万一のことがあると、レファールが黙っていないだろうからな。俺がふさぎ込んでいる間にこうなってしまったことについては何とも情けない限りだ」


「シェラビー様が健在なら、すぐに取り返すことができますよ」


「そう願いたいものだ。スメドアを……、まあいいか。半日立てば向こうからやってくるだろう」


 呼び寄せて直接に「今まで通りに行くぞ」と宣言しようかと思ったが、それより先にしなければならないことがあった。


「やる気が出てきた途端に、空腹感が凄いことになった」


 シェラビーの言葉にサリュフネーテが苦笑する。


「夜遅いですからね。私が何か作ってみます」


「すまない……。うん?」


 ちょうどそのタイミングでラミューレも向かってきた。こちらもシェラビーを一目見て、安堵の表情を見せる。


「どうやら立ち直れたようで、何よりです」


「何とか、な。しかし、おまえ、俺が呼んでから随分時間が経ってから出てきたな」


 まるでサリュフネーテとのやりとりを見ていたかのようで、どこかバツが悪い。


 と思ったが、どうやらそういう配慮があったわけではないらしい。


「何のことでしょうか」


「分かっていないなら、いい。とすると、何の用だ?」


「はい。ルジアン・ベッドー枢機卿が遅まきながらバシアンに向かうという報告が入ってきました」


「……ああ、アヒンジとミャグーは捕まっているんだったか」


「処遇の方、どうさせます?」


 二人がシェラビーに迎合して、総主教を追い出そうとした主張していたことは誰もが知るところとなっている。


「……とはいえ、向こうが勝手にそう判断しただけで、俺が頼んだわけではないからな。今までの路線でも、別に総主教を追い出すつもりもなかったし、今となってはソセロンの連中のこともあるから、逆にミーシャを総主教のまま置いておいた方がいいのではという事情もある。しかし、ベッドーは本当に何をしたいのだろうか。二人の釈放でも働きかける気か?」


「そこまでは分かりません」


「あるいは俺を見限り、レファールにつく気になったのかもしれんな。まあ、ベッドーも老い先短い老人だ。好きなようにさせておけばいいだろう。ネオーベはどうしている?」


「スメドア様に接近しているようではありましたが」


「ならば、スメドアに任せてしまうか。これも明日話すことにしよう」


 少し前まではヨハンナの父親である以上、当然死すべきだという思いも有していた。しかし、今となっては、スメドアの好きなようにさせることがカルーグ家にとってもっとも得であろうという計算が働く。


「これからお休みに?」


「いや、これまで散々寝ていたようなものだからな。食事をして、今夜は今後のことを考えることとする」


 シェラビーはそういうと、サリュフネーテが何かを作ってくれているであろうと期待して、食堂へと向かった。



 言葉通りに一晩かけて色々と考えているうちに朝になった。


 門の様子を眺めていると、スメドアはきっちり十二時間後に玄関に姿を現した。すぐにシェラビーは玄関に向かう。


「おまえは本当に時間に正確だな」


 軽口をかけたことで、スメドアの表情も和らいだ。


「どうやら何とかなったようですね。身内殺しの非難を浴びることはなさそうで安心しましたよ」


「ああ。今回はおまえを含めた多くの者に色々気を揉ませてしまった」


「全くです。ボーザを含めて、ソセロンの捕虜になっている者もおりますからな」


「ああ。この失策は必ず取り返す。まずバシアンに急使を送って、近日中に総主教と面会したい旨を伝えてほしい。ついでにレファールとも話をした方がいいだろう」


「承知しました」


「ネオーペ枢機卿はおまえと色々話をしていたらしいな。ついでだから、今後もおまえの方でコントロールしてもらえるか?」


「……分かりました。レファールの捕虜になった二人については?」


「総主教に歯向かった愚か者が枢機卿であり続けていいはずがないだろう。罷免したうえで、新しい者を就けるべきだ」


「なるほど」


 意図に気づいたのだろう。スメドアがニッと笑う。


 枢機卿の地位が二つ空いたとなると、新しい者を選ぶことになる。とはいえ、前回のレファールのような目覚ましいものはいない。となると、しばらくは空位ということになるが、それはかえって都合がいい。


 今後、枢機卿の地位を目指す者が出てくることになり、新陳代謝が進むことになるのだろうから。

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