第11話 弟の言い分
砂を噛むような日々という言葉が本当にあるのだとすれば、今の自分の状況がそれだ。
サンウマの屋敷から海を眺めながら、サリュフネーテ・ファーロットはそう思っていた。
シェラビーは生きるために最低限必要な活動以外はほぼ部屋に入りっぱなしである。サンウマの雑務は全てラミューレ・ヌガロが取り仕切り、どうしても必要そうなことだけ、自分がシェラビーに確認する。確認すると言ってもまともな返事が戻ってこないので、結局自分が答えるしかないのであるが。
(全く、お母さんは酷い人だわ)
屋敷の中央に据えられた十字架と仮の墓所を眺めて、サリュフネーテはつぶやく。
(死んでから、自分の存在感を発揮しなくてもいいのに……。だから、肝心なところでいつも負けてきたのよ)
とはいえ、いつまでも文句を言ってもどうしようもないことはよく分かっている。
ひとしきり文句を言うとサリュフネーテはシェラビーの部屋に入った。
「シェラビー様、ご飯を置いておきますね」
「……ああ」
部屋に戻ったところで、門番が駆け込んでくる。
「申し上げます! スメドア様が戻ってこられました!」
屋敷のいたるところから歓声があがった。それも無理はない。
シルヴィア以外で唯一シェラビーを動かすことができるとすれば、実の弟であるスメドア・カルーグしかいないのであるから。
サリュフネーテは屋敷の入り口でスメドアを迎えた。
「お疲れ様でした」
「ああ、サリュフネーテ。今回は災難だったな」
「いいえ、本当の災難は自我もないのに殺されてしまったソフィーヤとミキエルだと思いますので」
「……ま、確かに。兄に会う前に二、三、聞きたい事がある」
スメドアが言うので、サリュフネーテは応接室に入る。
「まず、バシアンはレファールとミーシャ総主教が守り抜いた。守り抜いたというのは大袈裟かな。ベッドーが参加しなかったこともあって、枢機卿連はボロボロだったらしいから」
「……それは何よりと言うべきでしょうか」
「あとナイヴァル国としては災難なことに、一方君という女性にとっては朗報なことに、レファールは君の今後で自分の選択が変わると宣言してきた」
「レファールが……?」
「そうだ。兄が自分に譲るのなら、今後も従う。そうでないなら、敵対すると。あいつは最終的にミーシャでもメリスフェールでもなく、君の今後に自分の未来をゆだねることにした。最終的に他人任せなところは相変わらずだが、それでも結構思い切ってきたことだ、とは思う」
「……」
「当たり前だが、俺は兄に対して、レファールの意のままに沿うように提言するつもりだ。幸いにしてネオーペ、アヒンジ、ミャグーの三人が枢機卿を退任することになるだろうから、新しい人材も入れられる。イルーゼン南部の状況も含めて痛いは痛いのだが、取り返しが効く事態だからな」
それでいいだろう、おまえのためでもある。言外にそうした意図が含まれているようにサリュフネーテは感じた。しかし。
「……レファールとは、一度話をしたいと思います」
「話を……?」
「はい。かつて母はこんなことを言っていました。『選ぶべきは好きな相手ではなく、幸せにしてくれる相手や自分のことを必要としてくれる人だ』と。レファールが現在、私を必要としているとは思いません。しかし、シェラビー様には私が必要です」
スメドアが驚きを露にする。
「まあ、確かに兄は精神的に色々参っているだろうが……。分かった。レファールと君の問題に一々立ち入るつもりはない。レファールを呼ぶので、そこで話をしてもらうしかない」
「ありがとうございます。ところでこのようなものが参っておりますが、いかがすればよろしいかと思いまして」
サリュフネーテが取り出した手紙を見て、スメドアが更に驚いた。
「ソセロンからの手紙……」
「ボーザ殿らが率いる軍を倒して、数十人を捕虜としているそうです。解放してほしければ身代金を渡せと」
「何故そのようなものがサンウマに? バシアンに送るのが筋ではないのか」
「ソセロン王イスフィート・マウレティを含むソセロンの上層部は女性の総主教を認めないという立場のようです。実質的にサンウマがナイヴァルの財布であるとも踏んだのかもしれませんが」
「全く。足下を見られたものだ」
深い溜息をついた後、更に読み進める。
「……身代金の総額は……全員で金貨10万枚か。かつて兄がレファールに対してつけた金と一緒だな。ソセロンの連中、偉そうなことを言っているが存外控えめだ」
苦笑しながら、部屋の外に出て、ラミューレを呼びよせた。駆けつけてくると手紙を渡して言う。
「ボーザ達を見捨てるわけにはいかん。やむをえんが了承するように答えて、誰かを派遣してやってくれ」
「分かりました」
指示を受けたラミューレが下がる。
「他に何かあるか? ないのなら、そろそろ兄と話をしたいのだが」
「分かりました」
確認をされているが、そもそもサリュフネーテには止める権限にはない。立ち上がり、スメドアを私室へと案内した。
「兄上、入るぞ」
スメドアはドアをノックして声をかけると、すぐに入った。
ソファの上に干からびたように座っているシェラビーを見て、「やれやれ」と溜息をつく。
「数日前までは酒を飲んでいたので、更に酷い状態でした」
「なるほど。これでもまだマシなわけか」
スメドアは苦笑しながら部屋の中央に進む。
「亡き父が嘆いているだろうな。こんな様なら、やはり弟に任せておくべきだったと」
「……」
「義姉も嘆いているだろうな。自分が結婚した男は、こんなにも情けない男だったのか、と」
「……お前に何が分かる」
「分かりませんよ。私は兄上でも義姉でもないので、ね。ただ」
「うわっ?」
スメドアがシェラビーの胸倉をつかみ、そのまま持ち上げる。
「そんなことはどうだっていい! ここには、ラミューレを始め、あんたの指示を、立ち直りを待っている連中がいる! レファールだってバシアンであんたがどうしたいのか待っている!」
「ち、ちょっと待て……。殺す気か……?」
シェラビーの動揺も無理のない話であった。長身のスメドアが襟元をつかんで持ち上げているのであるから、シェラビーの身体は完全に宙に浮いている。シルヴィア死去後の不摂生もあり体調も相当落ちており、宙に持ち上げられるだけでも相当な負担になっているようであった。
スメドアは全く聞く様子もない。
「そして、そこにいるサリュフネーテのように、醜いあんたの現在を目の当たりにしつつも、尚、義姉の代わりになろうと決心している人間だっている! それを全員捨てて、自分の世界に入りたいのなら、そこでのんびりする必要もないだろう。俺が今、この場であんたを殺して、義姉の隣に埋めて願いをかなえてやる」
「スメドア様! さすがにそれ以上は」
サリュフネーテは思わず制止の声をあげた。スメドアはフンと放り下ろす。
「半日だけ待つ。義姉の隣で眠りたいか、義姉と約束した悲願を叶えるのか、結論を出せ。半日が短いなんて情けないことは言わないでくれよ。今の今まで何日かかっていたのかという世界なんだからな」
言い終わると、サリュフネーテの肩をポンと叩いた。
「後は任せた。俺は向かいの屋敷に戻っている。何かしらの連絡があったら、人を寄越してくれ」
「わ、分かりました」
サリュフネーテは言われるがまま答えてしまう。完全に気圧されてしまっていた。
今まで、スメドアはシェラビーの陰に日向に働いているイメージであった。
こんな激しい罵倒をするとは。自分の知らない兄弟の関係性を見て呆気にとられる。
(お母さんは、この二人のこういうところも知っていたのかしら?)
ふと、そんなことを考えた。
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