17.クーデター
第1話 疑惑
ナイヴァル軍がイルーゼンへの攻撃を開始した六月下旬。
サンウマのカルーグ邸は大きな喜びに包まれていた。
昨年、シェラビーと再婚したシルヴィア・ファーロットが、二人の間の最初の子となる娘マリアージュを出産したのである。
もっとも、シルヴィアは少しばかり不満もあるらしい。
「一人くらい男の子が欲しかったんだけどねぇ」
とぼやいていた。ちょうど二人きりで聞かされる羽目になったメリスフェールが唇を尖らせる。
「何で私に向かって言うのよ。私が女の子なのは私にも責任があるかもしれないけど、姉さんや妹二人に関してはお母さんと本人の問題でしょ。あっ、ごめんね、お母さんが酷いことを言うから」
抱き上げた妹が泣き始めたのを見て、メリスフェールが慌ててあやす。
「悪いわね。メリスフェール」
シルヴィアが苦笑しながら言う。
「貴女を産んだ時には一時間後には普通に動けたものなんだけど」
「もう歳なんでしょ?」
実際、医師からも産後の肥立ちがあまり良くないと言う指示が出ている。バシアンまで行っていたシェラビーもサンウマに戻ってきて、一日に二、三度は顔を出しているが、もちろん、それだけで良くなるというわけではない。
娘からの容赦ない言葉に、シルヴィアは苦笑する。
「言ってくれるわねぇ」
「マリーの面倒は私が見ておくから、しばらく横になっていればいいよ。おお、可愛い、可愛い」
あやしていると、妹も上機嫌になってきたのだろう。明るい笑い声をあげてとろけるような笑顔を向ける。
「リュインフェアは最近生意気だけど、マリアージュは本当可愛いわ」
「あの子も貴女も生まれた時は可愛かったのよ」
「それって、まるで今は可愛くないみたいじゃない?」
「あら、今でも可愛いと思っているわけ?」
からかうように言って、シルヴィアが笑う。
そこに従者が入ってきた。
「シルヴィア様、ソフィーヤ様とミキエル様が参られておりますが」
「ソフィーヤとミキエル?」
名前をつぶやいたメリスフェールは、それがシェラビーと前妻ヨハンナの子供達であることを思い出す。
シルヴィアもその二人の名前を意外なものと捉えたらしいが、溜息をついた。
「マリアージュに会いに来たわけ?」
従者が「はい」と頷くと、「だとすると、会わないわけにはいかないわね」と承諾を出す。
メリスフェールは嫌な予感を感じた。
「離婚した前妻の子供が来るって、怪しくない?」
「怪しいって、何が?」
「だって、マリアージュがいなければ、ミキエルとソフィーヤが義父さんの後継者ってことになるんでしょ?」
ヨハンナはシェラビーの妻の地位は失ったが、その子供には、カルーグ家の当主になる権利が一応ある。しかし、マリアージュがいるとなると、その存在が優先される。すなわち、二人がマリアージュを良く思っていない可能性は高い。
「そうだとしても、前妻の子供が会いに来て、門前払いをするわけにもいかないでしょ」
「それはそうかもしれないけれど……。じゃあ、私がマリアージュを抱っこしておくから」
何故だか、この小さい妹を守らなければいけないという使命感を感じ、メリスフェールは強く主張した。
一時間後、従者と共にソフィーヤとミキエルが現れた。
ソフィーヤが10歳、ミキエルが9歳であるから、リュインフェアよりも年下である。シェラビーの子供というが、二人ともあまり父親に似ている様子はない。
「へえ、生まれたばかりの子供って本当に赤いんだね」
二人はマリアージュに好意を向けているが、メリスフェールは。
「十分見たから、もういいでしょ? 赤ん坊だから話せるわけでもないんだし」
と、なるべく二人から遠のけようとする。
「こら。メリスフェール」
母親に叱られて、メリスフェールは口を尖らせた。
「マリアージュだって、これだけ沢山の人に囲まれていると疲れるわよ。ほら」
マリアージュがうわああと大声で泣きだしたのを言い訳に、メリスフェールは別室へと入ってあやす。言い訳にしていたが、実際にかなりストレスを感じていたらしい。通常ならしばらくあやしていると泣き止むはずのマリアージュがしぶとく泣き続けていた。
「はい、はい。ここにはお姉ちゃんしかいませんよ」
カルーグ邸の中庭に連れ出し、「これがお花よ」、「これが壁よ」などと教えているうちに、ようやく泣き止んできたので中へと戻った。
邸宅の中に入ったのが先か、あるいは後か。
「ちょっと!? お母さん?」
リュインフェアの悲鳴のような声が聞こえてきた。
「えっ? どうしたの?」
慌てて移動しようとしたら、またぐずり始めたので「ああ、驚かせてごめんね」とあやしながらシルヴィアの部屋へと移動する。
「どうしたの? リュインフェア……」
と呼びかけようとしたタイミングで、リュインフェアが飛び出してきて廊下に向かって叫ぶ。
「誰か! 医者を呼んできて! お母さんが!」
そう叫んで、応接室の方へと駆けていった。
「お母さん!?」
メリスフェールが中に入った。ベッドに横たわっているシルヴィアが真っ青な顔で痙攣を起こしていた。
「ど、どうしたの? というか、あいつらはどこに行ったの!?」
部屋を出る直前まで一緒にいたはずの、ミキエルとソフィーヤ、従者の姿がない。
「まさか、あいつらが!?」
「メリスフェール……」
シルヴィアが苦しそうな声で囁くように言う。
「お母さん! しっかりして!」
「……メリスフェール、これは事故よ」
「事故!? 事故って、どういうこと?」
「彼らのことは言わないように……。取り返しのつかないことになるから」
「取り返しのつかないってどういうことよ? あいつらにやられたわけ?」
理解できない話である。誰かに危害を加えられて、黙っていろというのはどういうことなのか。
「……言うのならレファールやスメドアにしなさい。シェラビーには言わないように」
「何でよ!? やられたのに、黙っていろ、って言うの?」
大声に反応してマリアージュが泣きだした。
「ほら、ダメじゃない……。マリアージュのこと、お願いね」
「お願いって何よ!? 怖いことを言わないでよ!」
いくらマリアージュが泣いているとはいっても、今はそれどころではない。しかし、反論しようとしたところで、外から激しい足音が聞こえてきた。すぐにリュインフェアが医師と共に入ってくる。「どいてください」と入ってきた侍医に言われ、メリスフェールは引き下がらざるを得なくなった。
外に出たメリスフェールは憤懣やるかたない思いを妹にぶつける。
「お母さんが、言うなって」
リュインフェアはきょとんとなる。
「何の話?」
「リュインフェアは見ていないの? ミキエルとソフィーヤがいたのを」
「見てないわよ。マリアージュの世話をしようと思って入ったら、お母さんがブルブル震えていて、慌てて出たところに姉さんが来たから」
「……あいつらがお母さんに、何かしたのよ。でも、お母さんはシェラビーには言わないで、って」
「私は何も見ていないから何とも……、姉さんはどうするの?」
「もしもの時には、黙っているのは嫌」
と、また外の方が慌ただしい。程なく、シェラビーが駆けつけてきた。
「あ、お義父さ……」
と声をかける間もなく、シェラビーは部屋へと入っていった。
「どうしたんだ!?」
「猊下……。どうやら、弱っているところに大量の気付け薬を服用してしまったようで、激しい心臓発作を起こしてしまったようです」
「助かるのか!?」
シェラビーの声に対し、医師の返事はない。
「頼む! 助けてくれ! 必要なことがあれば何でもする!」
悲痛な声が聞こえてきて、思わずリュインフェアと顔を見合わせた。
(あの人が、あんなに必死な様子って、初めて見るわ……)
メリスフェールはシェラビーのことを決して嫌いなわけではない。しかし、どこか胡散臭いようにも思っていた。シルヴィアと結婚したいと言いながら、常に一緒にいたいという風ではなく、本気で母を愛しているようには思えなかった。エルミーズを建設した後は二人が一緒にいる時間の方が少なかったくらいであり、ますますその思いを強くしていた。
しかし、部屋の中から聞こえてくる声は、そうした疑念を否定するには十分なものである。
(こんな形で、シェラビーの本心を知ることになるなんて……)
メリスフェールは唇を噛んだ。次の瞬間、シェラビーの叫びが屋敷中に響き渡る。
「嘘だ! 目を開けてくれ、シルヴィア!」
メリスフェールはリュインフェアと再度見合わせ、視線を落とす。
自分の目で見ていない。しかし、シェラビーの悲痛な叫び声は、母が死んだということを理解するには十分すぎるものであった。
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