16.イルーゼン戦役(後編)
第1話 アレウト出撃①
セウレラがバシアンに戻る一か月近く前、5月20日。
アレウト族の精鋭千人がフレリン・レクロールの指揮の下、シルキフカルを出発して西へと向かって行った。
もちろん、その中にはレファール・セグメントの姿もある。同じくフォクゼーレからの応援としてジュスト・ヴァンランの姿もあった。
部隊は快調に進み、六日後にはヒパンコ族の集落が見えてくる。
「道が分かると分からないとではものすごい差だな」
ジュストの言葉に、レファールも頷く。逆のルートでシルキフカルを目指した時、道が分からないこともあって一か月以上かかったのであるから。
「どうします? 夜のうちに襲撃をかけますか?」
指揮官のフレリン・レクロールのところまで移動して問いただす。
フレリンは「とんでもない」とばかりに首を左右に振った。
「そんなことはしません。明日、彼らのところに宣戦布告の使者を送りまして、堂々と開戦いたします」
「えっ、そ、そうなのですか……?」
レファールは驚いた。それでは急いでここまで来た意味がないのではないか。
「イルーゼンのほぼ全部族はアレウト……というより、ミーツェン様を恐れています。相手が気づく前に勝ったとすれば、彼らは心底負けたとは思わないでしょう。ある程度、彼らのやりやすいようにやらせて、それでも勝つということで、心底負けたと思わせるのです」
「な、なるほど……」
見た目は病人のようなフレリンであるが、その思考は頑健極まりない。
「ついでに、正面からぶつかれば、相手のやることも大体見えてきます。相手にも序列があるわけで、そうであれば上の意見が通るのが自明だからです。変に奇襲などかけて相手をバラバラにしてしまうとトータルとしては有利ですが、下位の優秀な者が単独行動をして痛い目を見る可能性も否定できません」
「そういうものなのですね」
「……優秀かどうかは分からないが、軍律が滅茶苦茶だったことで俺の部隊が国王を仕留めることができたのは確かだな」
ジュストがワー・シプラスの時の話を持ち出して、頷いている。
「もっとも、これは我々が攻め入る時だけで、攻め込まれた時には相手の開戦要求を無視してアレウトのやりたいようにやりますけどね」
フレリンはそう言って、舌を出した。
そうした言葉通り、しばらくするとアレウト族から一人の若者が集落の方へ向かい、何人か集まってきた中で大声をあげる。
「我々アレウト族の指揮官フレリン・レクロールの言葉を聞け! アレウト族は明日、このボルカイを我々のものとするべく東から攻め入る! 従うならば道を開けい! 阻むのなら、兵を揃えい!」
しばらくすると、肥満したように見える男が一人出てきた。
「愚かなるアレウトの者よ、我が族長スドシーの言葉を聞け! 明朝、我がヒバンコは精鋭をお前達の正面に並べよう。いかようにでもかかってこいと!」
「おうとも!」
アレウトの若者が戻ってくる。
これでお互いに開戦について同意したことになるらしい。
「スドシーの奴も、あの言い分だけ聞いているといっぱしのリーダーぽく見えるな」
ジュストが隣でつぶやいた言葉に、レファールが苦笑する。
「スドシーは中々の猛者ですよ」
フレリンが口を挟んできた。
「お二人は、恐らく歩いているスドシーを見たからそう思うのでしょう。あの男は足が悪いので、歩いている時には鈍重に見えますが、戦車に乗っている時には恐ろしく勇敢です」
「なるほど……」
「ミーツェン司令から聞いていると思いますが、彼らは総じて体格に優れていて、格闘戦になると極めて厄介です」
「距離をとって矢で射止めるということですな」
「はい。ただ、向こうもそのくらいは理解していますから、分厚い装甲で臨んできます。矢を撃つとしても簡単には通りません」
「なるほど。それではどのように?」
「それは私達にお任せいただいていただきましょう」
フレリンは煙に巻くように言った。警戒されているのか、あるいはこれから考えるのか、はっきりとは分からなかったが、ひとまずフレリンに任せて、明日に備えて休息をとることにした。
翌朝、ジュストともどもフレリンのところに向かう。
相手も来ることを予想していたようで、深々と頭を下げる。
「おはようございます。早速でございますが、本日、レファール様とジュスト様には女王陛下の護衛をお願いいたしたく思います」
「女王陛下の?」
ジュストと二人で顔を見合わせた。
途中まで、という話ではあったが、ユスファーネを含む二百人ほどの女性陣はここまでついてきている。それで護衛というのはいかなる意味だろうか。
「……分かりました」
とはいえ、ここまで来ている女王に護衛が必要なのは間違いない。レファールはジュストともども引き受けて、フレリンの指示通りにユスファーネらのいる天幕に向かう。
女王らのいる天幕は男達の天幕から少し離れたところにある。
「うん……?」
挨拶をするべく天幕に近づいたレファールは急に鼻を刺激する匂いに顔をしかめた。思わずジュストの方に視線を向けると、「一体何だ、この匂いは?」という顔をしている。
近づくと、匂いの正体は分かった。何らかの香草を大量に煮ているらしい。
「女王陛下」
その中央にいるユスファーネに声をかける。
「あら、レファール将軍にジュスト将軍、よろしくお願いします」
既に話は聞いていたらしい。ユスファーネがにこやかに頭を下げる。
「参戦されるのですか?」
「当然です」
「……しかし、シルキフカルを出る前までは途中で引き返すと聞いていたのですが」
レファールの言葉に、ユスファーネはクスクスと笑う。
「ミーツェンが言っていませんでしたか? 私達は常に多めの選択肢を用意しておいて、必要に応じて、最適な選択肢をとるようにしているのです。計画なんて変更して当たり前ですわ」
「……何と。しかし、女性陣が戦いの場に出てくるというのは」
「それは大国の言い分でございます。我々アレウト族にはそんな余裕はございませんから、男子も女子もありません。皆の勝利のために、皆で戦うのでございます」
「なるほど……」
「ということで、こちらは明日の勝利のために必要な儀式でございます」
「儀式ですか」
儀式と言われると反論の仕様もない。
それに、怪しげな匂いに包まれる女王ユスファーネをはじめとしたアレウト女性に囲まれていると、レファールも何やら不思議な気持ちにかられてくる。
(……何なのだろう。興奮剤とか刺激剤でも使われているのだろうか?)
はっきりと分からない。
しかし、ミーツェンにしても、フレリンにしてもこれまで実績のある人間である。ひとまずは成り行きを見守るしかなかった。
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