第11話 新たな利害関係人

 フェルディス帝国の帝都カナージュにも、ナイヴァルがイルーゼン南部に攻め込む準備を整えているという情報は次々に届いていた。


 ハルダーナ宮殿の一室で、宰相ヴィシュワ・スランヘーンと外務大臣トルペラ・ブラシオーヌが渋い顔をして睨み合っている。


「完全に手をこまねいて見ているしかなさそうだ、な」


「うむ……」


 元々、ある程度は覚悟していた路線ではある。


 ナイヴァルがイルーゼンに攻め込むだろうと想定していたからこそ、ジャングー砦建設を通じてホスフェに圧力をかけていたこともあったのであるから。


 とはいえ、そこに誤算が幾つも重なり、想像以上に何もできない状態となってしまった。


 まずは、フォクゼーレの予想以上の譲歩であった。国内を重視するということは想定されていたが、南部をナイヴァルが支配することを事実上黙認し、北部をアレウト族に任せるところまで踏み込むことは想定外だったのである。


 そこにヴィルシュハーゼ伯爵ルヴィナの不在が重なる。もちろん、彼女自身の指揮官としての実力もさることながら、中堅組のホルカール、ペルシュワカ、バラーフなどが「ルヴィナかリムアーノがいない限りは」と依存心を大きくしてしまっていることが痛い。リムアーノはホスフェ方面に当たることになるので、イルーゼンに行きたがる者がいなくなってしまったのである。


 更にイルーゼン南部の機能不全である。侵攻するという情報が伝わっても、それぞれの部族は「アレウトがどうの」、「ポゴマニが気に入らない」などと内輪もめを繰り返している状況であった。


 これではどうしようもない。


 もっとも、フェルディスの言い分が信用されないのは、他でもないフェルディス自体が二年前にイルーゼン南東部へ侵攻したことの警戒もある。大きなことが言えるような立場ではなかったし、その動機が美姫として知られたアタマナが欲しいというつまらないものだっただけに猶更である。


「ナイヴァルがイルーゼン南部を支配することについては、もはや諦めるしかないが、問題はそれがホスフェにどう波及するかだ」


 フェルディスは目下、対ホスフェ対策に重点を置いている。


 リヒラテラの戦い以降、東部だけでなく首都オトゥケンイェルでも親フェルディスの動きは増えてきている。とはいえ、南部のフグィや西部のセンギリなど、親ナイヴァルの陣営も根強い。前年のジャングー砦の件で、オトゥケンイェルの陣営が南部西部を押しきれなかったことにもそれは現れていた。


 そこにナイヴァルがイルーゼン南部で快進撃を見せたとなると、ホスフェ元老院の空気が変わってしまう可能性がある。


「ホスフェに集中して、イルーゼン戦役を無視した結果として、イルーゼンも取られてホスフェも親ナイヴァルになってしまうと最悪だ」


 二人はしばらく無言で地図を眺める。お互いの視線が地図のあちこちを行き来し、次第に北東の方に向いていく。


「……ソセロンに足止めを頼むか?」


 ヴィシュワの言葉にトルペラが小さな唸り声をあげた。


「さすがにそれは……」


「何が問題だ? 兵站か?」


「はい。ソセロンの生産力ではとてもではないですが……」


 ソセロンは高原地帯と山岳地帯が断続的に続いている地形である。全土を通じて農地の面積は極めて狭く、馬や羊などの牧畜も東側で盛んなのみである。当然、食料生産には常に問題を抱えているし、馬などを西側に運搬する能力にも欠けているという評価であった。


 従って、フェルディスとしては本来放置しておきたいところであるのだが、ソセロン東部からフェルディス北東部にのみ回廊のような形で高原地帯が続いており、何もしないと食料を求めてそこから侵入してくる恐れがある。


 そのため、ここ十数年に渡って介入を続けており、四年前にようやくイスフィート・マウレティによってほぼ統一されるところまでに至った。それにしても食料供給などを行ってようやくである。


「仮にソセロンをイルーゼン南部で戦わせるとなりますと、兵站を全てこちら持ち、軍の進路は一旦東部からフェルディスに入ってもらい、西まで抜けてもらうことになります。カナージュも通過されることになりますし、そこまでしたものかどうかと」


「現実的ではないか……」


「左様です」


 ヴィシュワは大きく溜息をついた。


「仕方ない。とはいえ、こういう状況だからこそ強気に行かなければならん。ホスフェに対してはこれまで以上に強気で当たるようブローブに要請しておこう。場合によってはマハティーラ様にも出張ってもらう」


「今回の状況であれば仕方ありませんな」


 トルペラも頷いた。



 ハルダーナ宮殿を出て、自らの屋敷に戻ったトルペラを執事が速足で出迎えた。


「旦那様、御客人がお見えです」


「客人? 誰だ?」


 けげんな顔をして、応接室に向かったトルペラは、ソファに腰かけていた高齢の男を見て「おっ」と声をあげる。


「これはタスマッファ殿、ちょうど先ほど、宰相と貴国のことについて話をしていたぞ」


 高齢の男はタスマッファ・カーリル。ソセロンの王イスフィート・マウレティの教導者でもあり参謀でもある男であった。


「それは光栄でございます」


 低い小声でタスマッファは話す。いつもこのような話ぶりであるとトルペラは記憶していたが、今日は更に低いようにも感じられた。


「このような情勢でわざわざカナージュまで来るということは、何か面白いことでもあるのかな?」


「はい。近くイルーゼンの方で大きな戦役があるということのようで、我らが王はソセロンも関わりたいと考えております」


「しかし、西部は山岳地帯が多く、とてもではないが大軍の運用はできないであろう?」


「これまでは」


「うん、これまではだと? どういうことだ? 今は運用できるようになったとでも言うのか?」


「はい。この二年に渡りまして、ラインザースから南方への道を切り開いておりましたが、この度、ようやく開通いたしました。イルーゼン南部方面へは速やかに進軍できる状況でございます」


「二年で開通した、だと?」


 トルペラは仰天した。彼も一度、ソセロン南方の方へ使節として派遣されたことがあるので、その地域の状況は大雑把には理解しているつもりであった。


(杖でもなければ歩くのも難しいような場所に、騎馬や攻城兵器も通れる道を開通しただと?)


「この度の戦いは、フェルディスにとって不利な状況であると聞き及んでおります。我が王はフェルディス帝国に対して多大な恩を受けたことを理解しており、その一部を返さんと、今回、イルーゼン南部に進軍してナイヴァル軍相手に時間を稼げればと考えております」


「そ、それは非常にありがたいが……」


「ただ、一点だけ了承いただきたいこととしまして、食料だけはどうにもならないのでご援助いただきたいということはございますが」


「……それは宰相と掛け合ってみるが、多分問題ないだろう」


 どの道、治安維持の名目で食料供給はしているのである。それがフェルディスの防衛のためになるのなら、むしろ喜ぶべきことだとヴィシュワは賛成するだろう。


 しかし、トルペラは素直に喜んでばかりもいられない。


(あの山岳地帯に二年で道を開通させるなど、並々ならぬことだ。今は有難いが、下手をすると、今後イスフィートがイルーゼンに侵攻していくことになるのかもしれない)


 トルペラは三年前にイスフィートとの間で「ソセロン統一後、イルーゼン戦線でも共同しよう」という盟約を結んでいる。


 それはあくまでフェルディス主導のものという認識であった。ソセロンの協力はないよりはマシだろうという最低限度のものでしか期待していない。


 しかし、ソロセンがイルーゼン南部への道を確保した今、状況は全く変わってしまった。あるいはフェルディスがホスフェと睨み合っているうちに、ソセロンがイルーゼンを手中に収めてしまうかもしれない。


 後々イスフィートは自分達の頭痛の種になるのではないか。


 そんな不安が漠然と浮かんできた。

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