14.父子相克

第1話 望まれない復帰

 771年2月。


 フェルディス帝国の帝都カナージュには不穏な空気が流れていた。


 原因は、前年より行われているホスフェ国境での砦の建造である。これに対する反対運動がホスフェからはもちろんのこと、カナージュ市内からも出ていて、一部では殺伐とした空気が流れていた。


 砦の建設についてホスフェ首都のオトゥケンイェルでは激しい議論が行われたようであるが、最終的にはフグィとセンギリを中心とした反フェルディス派が勝利した。その結果として以降は猛烈な抗議が行われ続けており、今もまた大使のニザブ・エスハンが宮殿で皇帝アルマバートに文句を言っている。


「ホスフェとしては、土台工事を開始された時点で、全面戦争に踏み切るつもりと受け止めております!」


 鼻息の荒い抗議ではあるが、頻繁に続いていることもあって、いつものことと受け止められているフシもある。事実、傍らで聞いているリムアーノ・ニッキーウェイは小さな欠伸をしていた。



 ニッキーウェイ侯爵リムアーノは一年の半分をフェルディスの帝都カナージュで過ごしている。フェルディス帝国大将軍のブローブ・リザーニのお気に入りでもあり、24歳にして次期大将軍候補の筆頭として相談相手となることが多いからである。


 今もまた、ホスフェ大使の抗議に対して、役目として立ち会っている。


 午後に始まった抗議であるが、ある意味形式的なものではあり、二時間で終わると全員速やかに帰る準備を始めていた。


(いくら抗議しようとも……)


 事態は変わらない。仮にバヤナ・エルグアバ執政官やホスフェの元老院議員が総出で出てきたとしても、どうにもならないであろう。


 今回の件は、大将軍ブローブ、宰相ヴィシュワ・スランヘーン、皇妃の弟マハティーラ・ファールフの三者が同意しているのであるから。



 カナージュ市内の邸宅に戻ったリムアーノは意外な来客に目を見開いた。


「ニッキーウェイ侯、久しぶりですな」


 と挨拶をしてきたのは、マハルラ・ホルカール、27歳である。ブローブのお気に入りの指揮官の一人であり、リムアーノもこの男と何度も参戦をしている。指揮官としては若干冷静さに欠ける弱点もあるが、大過のない男であり、何よりリムアーノには年齢の近い同輩という意識がある。


「どうかされたのか?」


 屋敷の中に案内しがてら、リムアーノは用件を尋ねた。戦場以外では歓楽街でしか会わない男である。夕方という時間に正装で屋敷を訪れること自体少ない。


「実は昨晩、マハティーラ閣下と酒食を共にしましてな」


「ほう? 忘れられない女とでも会ったのか?」


 軽口を叩きながら、ワインを勧める。ホルカールは笑いながら言う。


「仮にそうだとして、それを貴公と共有したくはないですな」


「全くだ。私も一人で満喫するだろう。では、何があった?」


「……協力を求められました」


「ほう。協力?」


 現在進んでいるホスフェに対する協力ではないだろう。何か別の協力を求められたのだろうと見当づける。


「アクバル・ヴィルシュハーゼ伯を支援するよう求められました」


「アクバル・ヴィルシュハーゼ? 一体何の支援なのだ」


 アクバルはヴィルシュハーゼ伯爵であるが、体が弱いということで三年ほど前からブネーの屋敷を一歩も出ていない。その間に、娘のルヴィナが頭角を現してきており、今やヴィルシュハーゼ伯というとルヴィナのイメージである。


「決まっておりますよ、復権の手伝いですよ」


 ホルカールが溜息交じりに話を始めた。



 ホルカールから一通り話を聞いて、リムアーノは呆れたような溜息をついた。


 話としてはよくあるものだ、と思った。


 ルヴィナに任せてしまう形になったアクバルであるが、体調が多少良くなってきたことで復帰に色気を見せ始めたらしい。


 しかも、体調不良の間介護をしてくれた若い美しい看護婦といい仲になってしまい、子供まで出来たそうだ。その幼児を次のヴィルシュハーゼ伯は難しいにしても、せめてそれに準ずる地位にしたいと領内の幹部に打診したのだという。


 しかし、現在、ブネーの軍はルヴィナを神の如く信奉しており、全く聞く耳をもたない。また、政務の面でも領内のトップとして大過があるわけでもない。従ってアクバルの誘いに乗る者は一人もいなかったという。


 これで伯爵としての面子を潰されたと感じたらしく、アクバルはマハティーラを頼ったらしい。


「それでマハティーラは乗ったのか?」


「はい。アタマナの一件がありましたので」


「ほう……」


 話が一応つながった。


 アタマナというのは、イルーゼン南東部の部族の姫であった。同地域では有名な美女ということでマハティーラが所望し、それを受けてルヴィナが捕獲に行き、連れてくることには成功した。もっとも、彼女は「純潔を汚されるくらいなら顔を失った方がましだ」と劇薬を使い、幽鬼の如く腫れあがった顔をしていたという。当然、マハティーラからすぐに追放されたのであるが、その後、ルヴィナのところに向かい、以降彼女の屋敷で暮らしている。劇薬も時間限定のものであったらしく、容姿も程なく元に戻ったということだ。


 マハティーラとしては、まんまとしてやられた形になり、ルヴィナが気に入らない。


「それでアクバルの悪だくみに乗ったということか」


「はい。どうやら、父親アクバルの名前で、ルヴィナが精神を病んだということにして、押し込めようとするようです」


「……で、貴殿は何と答えたのだ?」


「さすがにあの場で拒否するわけにはいきませんでしたので、協力はする旨伝えておきました。ただ、伯爵代理ルヴィナ殿にはリヒラテラとイルーゼンでの恩義がありますので、もちろん協力するつもりはありません」


「賢明だ。今後のフェルディス軍にとってもヴィルシュハーゼ伯代理はなくてはならない存在となるだろうし。分かった、おまえがあれこれ活動していると不審に思われるだろうし、私の方でヴィルシュハーゼ伯代理と大将軍には伝えておこう」


「ありがとうございます。そうしていただけますと助かります」


「ちなみに、昨晩、協力を求められたのは貴殿だけか?」


「はい。私だけですね。こう申しては何ですが、マハティーラ様とよく飲食する機会があったので、声をかけやすいと思ったのでしょう」


「そうか。ならば、広がらないうちに抑えておいた方がいいな。明日にでもヴィルシュハーゼ伯爵代理には伝えておこう。伝えておきさえすれば、成功する計画とは思えないからな。それはそれとして、マハティーラと付き合うのである以上、今晩は私とも付き合うのだろうな?」


 リムアーノが指を鳴らすと、従者が二本のワインを持って入ってきた。


 最低、三本は飲んで行けという意思表示である。ホルカールは満面の笑みを浮かべて両手の親指を上に向けた。



 四時間後。


 ホルカールが帰ると、リムアーノは秘書のファーナ・リバイストアを呼び出した。さすがに二人で三本のワインを開けると眠気も来ており、入ってきたファーナの前で小さな欠伸が出る。


「明日から三日ほど留守にする。特に大きなことはないと思うが、何かあれば病気ということにでもしておいてくれ」


「分かりました。どちらへ向かわれるのですか?」


「ブネーに行ってくる」


「ブネー? ルヴィナ様に何か?」


「あのお嬢ちゃんがどうこうというより、父親の方が年甲斐もなく復帰しようとしているらしい。だから隠居の身分であると理解してもらう必要がある」


「……困った方ですね」


「全く困った話だ。ルヴィナ・ヴィルシュハーゼの存在の有無は、今、進んでいるホスフェとの交渉にも影響が出るかもしれないわけだし……」


 ルヴィナ・ヴィルシュハーゼの恐ろしさを一番体感しているのはホスフェ軍である。ルヴィナが追放されたり幽閉されたりしようものなら、「フェルディスは愚か極まりない」と強気に出る可能性もあるだろう。そう思われることは避けたいし、ルヴィナがいないことで自分達の負担が増えることも望ましくない。


「分かりました。大将軍にはお伝えするのですか?」


「大将軍も立場があるのでおおっぴらには支援できないだろう。基本的にはヴィルシュハーゼ家のお家騒動だ。こっそり支援して、大袈裟なことになる前に終わらせるのがベストだろう。私が不在の間に具体的に何かをしてくれと言われれば応じてほしいが、気づいていないようであれば無理にする話ではない」


「承知いたしました」


「任せた。それでは私は寝ることにする」


 寝室に向かおうとしたリムアーノは数歩歩いて、足を止める。


「たまには昔みたいに一緒に寝るか?」


「……私は、酒の匂いが嫌いですので」


「残念」


 リムアーノは苦笑して、再び寝室へと歩を進めた。

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