12.保身と改革
第1話 ジュスト将軍の華麗なる保身と改革の日々①
フォクゼーレ帝国の帝都ヨン・パオ。
その大学の図書館で、レミリア・フィシィールとチリッロ・ジョーヘックが資料を眺め渡していた。
「いやぁ、予想を超える凄さね……」
レミリアの感心するような声に、チリッロが苦笑する。
二人が見ているのは、ジュスト・ヴァンランが持ってきた資料である。国庫における軍事費の内訳と、今回のワー・シプラスで実際に使われた内訳であった。
ジュスト・ヴァンランはフォクゼーレにおいては中規模の土地所有者の次男であった。家柄はそこまで悪くはないが、中規模地主である以上自らの領地は期待できない。その所有地を子供達に分割すると一人一人の子供が零細地主になるからである。長男が全てを任され、次男以降はある程度の金だけもらって自活していくという道しかなかった。
運動能力はまあまあ評価されていたので、兵士の道を歩むことにした。勉学……特に算段などは大の苦手であったが、それでも最低限の学業をなす環境にあったので、何もない浮浪者同然の兵士志願者よりは圧倒的に優秀な成績として評価された。
とはいえ、中級クラスの、しかも次男ともなると上の役職にはつけない。五百人から千人程度の部隊を任されるという状況のまま、数年が続いたし、ジュストもそれ以上のことを望むことはなかった。確かに上に行けば、待遇は良くなるが、フォクゼーレでは政治状況の変革も派手である。上に行けば行くほど、誰かの連座で命を落とす危険性が高くなる。
最低限の仕事ができる状況のままダラダラ過ごせばいいくらいに考えていた。そんな中でクレーベト・イルコーゼという門閥出身の女性軍人の下に入っていた。
状況が一変したのは前年のコルネーとのワー・シプラスの戦いである。
この戦いはフォクゼーレの大敗ではあったが、ジュストの率いていた騎兵隊がコルネー国王アダワルを討ち取るという快挙を挙げたのである。
これにより、ジュストはクレーベト・イルコーゼに代わって将軍位に就くことになった。
また、総大将を任されていた天主の三男ビルライフ・デカイトがあまりの軍の酷さに、改革に乗り出すことを決意し、その要請により、フォクゼーレ軍の立て直しを任された。770年の新年時である。
将軍位はともかく、改革については割の悪い仕事だと思った。
もちろん、改革しなければならないことがあることは承知している。しかし、それは山のようにある。変に改革することを考えたのでは、ビルライフが仮に失脚した場合、間違いなく連座して処刑されてしまう。事実、ワー・シプラスの際にも、敗戦の罪をクレーベト・イルコーゼらとともに負う可能性もあったのであるから。
ここ十年以上使わなかった頭をフル回転させて、ジュストは保身のための方法は考えることにした。改革ではない、保身のための方法である。
その結果、彼が至った方法は以下の通りであった。
①文を重視し、武を軽視するフォクゼーレでは学生に対する評価が高い。従って、改革の必要な素案は全て学生にしてもらう。幸いにして、レミリア・フィシィールというカタンの王女がいる。いくらフォクゼーレの政治活動が危険だといっても他国の王女に責任を負わせるはずはない。レミリアが思い切った性格であることも分かっているので、彼女達の手で徹底的な案を出させる。
②出来上がった素案を、そのままビルライフに投げる。実行責任はビルライフに負わせるというものであった。
多分諦めるであろう。ジュストはそう思っていた。改善してほしいと考えるが、いざ実行するとなると無理である。もし、確実な前進のための礎になるのであれば、ジュストも思い切って身を捧げる覚悟を決められたかもしれないが、そんな保証もないのが現実である。
(ジョーヘックは大臣経験者の息子でもある。ひょっとしたら彼あたりが上に立てば何とかなるかもしれない。そうなればいいなぁ)
と、淡い期待を抱く程度であり、それ以上のことは何も考えていなかった。
3月15日、ジュストはビルライフに呼び出された。
「何でしょうか?」
「貴様ぁ!」
部屋に入るなりいきなり花瓶が飛んできた。慌てて身を翻す。哀れ花瓶は壁に当たると高い音を立てて粉々になった。
「うわ! 何をなさるのです!」
「許さぁん!」
言うなり飛び掛かってきたので、ジュストは逃げ出す。何をしでかしたのか分からないが、早くも権力ゲームに負けたらしいということは分かった。生き延びるためにはこの場を逃げ出して、ヨン・パオからも逃げるしかない。どこに逃げたものか。
残念ながらヨン・パオを逃亡することは難しそうだった。屋敷の中を知らないまま逃げているうちに行き当たりの廊下に出くわしてしまった。
「俺は貴様ならやってくれると思ったんだ!」
ビルライフが叫び、そのまま号泣を始めた。
「貴様なら、フォクゼーレ軍のぉ、改革を! それなのに、貴様は、外国人や学生なんぞに任せおって! 貴様は俺を裏切ったんだ! うおおおお!」
「ま、待ってくださいよ!」
とりあえず自分が殺されかねない理由は分かったが、これで殺されるのも号泣されるのも溜まったものではない。
「ビルライフ殿下、お聞きいただけますでしょうか? 学生や外国人と馬鹿にしていますが、彼らのことを軽視すべきではありません」
仕方がないので、ジュストは理由を説明しはじめるが、もちろん、自分の保身のためとは言えない。その場で必死に理由を取り繕う。
「学生というのはかなり力を持っております。学業に専念しておりますし、改革が数年かかる場合は本人以外の多くの学生も関心を持ってきます。彼らに計画を作成させることで、改革への味方を得ることが可能となります。また、外国人は究極的にはフォクゼーレのことには関心を持っておりません。それは問題である反面、一方ではフェアな計画を立ててくれることにもつながります。我々が改革を断固として進めるためには外国人と学生、この両者は欠かせないのです。そのうえで、殿下と私とで断固として進めることが必要となります」
「そう……か」
「とりあえず鼻水は拭いていただけますか。……誰かいないのか?」
呼びかけると、近くの部屋から恐る恐る使用人が出てきた。どうやら、感情が爆発すると収まるまで隠れているらしい。
一時間ほどして、ようやく気を取り戻したビルライフと会議室で話をする。
「外国人を入れる理由は分かったが、カタンの人間一人だけで大丈夫なのか? カタン風に解釈してくるかもしれないぞ」
「……確かにそうですね」
そこまでは考えていなかったし、気も回らなかった。ただ、確かにその通りである。レミリア・フィシィールはしっかりした人間であると考えているが、もう一人くらいいた方がいいのかもしれない。
(いや、探しに行くことにしよう。この方についていたら、危険過ぎる)
ジュストはそう決めた。誰か別の人間をつけて、自分はしばらく外に出ておこう。ひょっとしたら、早々にビルライフが諦めて、以前までのような日々が戻ってくるかもしれない。
(コルネーはダメだな。ナイヴァルは砂漠を超えるのが面倒くさい。となると、イルーゼン一択ということになるか……おっ!)
恰好の人物がいることを思い出した。
「殿下、私、イルーゼンに向かいまして、ミーツェン・スブロナに会いに行きます」
「ミーツェン・スブロナだと? しかし、彼はシルキフカルから動かないというではないか」
「はい。ですので、私がシルキフカルまで行き、彼に改革のための方策を尋ねてまいりたいと思います」
「なるほど。よし、貴様に任せよう。しかし、貴様がいない間、こちらの計画はどう進めればいい?」
「そうですね……」
ジュストは誰を身代わりにしようか考えた。まずはそのままチリッロとレミリアにすることを考えたが。
(殿下のこの性格を考えると、レミリア王女はまずいかもしれない)
激情に発火して喚くビルライフと、激情にかられると徹底的に非難しかねないレミリアの組み合わせはどう考えても好相性とは言えない。
(「こんな愚か者、死ぬべきよ」とか言いかねないな……。仕方ない)
「殿下、アエリム・コーションを残しておきます」
「おお、アエリム!」
アダワルを討ち取った名前で、ビルライフも大分気を取り直したらしい。
「それでは、ジュストよ。イルーゼンに行って、見事ミーツェン・スブロナの協力を得てこい」
「ははっ」
跪きながら、ジュストは残された者の幸運を願わずにはいられなかった。
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