第15話 停戦協定⑤
十一月十二日、レファールはルベンス・ネオーベ枢機卿と共にサンウマを出て、コルネーとの国境近くへと進んで行った。国境近くと行っても、サンウマ自体がコルネーとホスフェに挟まれるような形の街であるため、馬車で一日もしないうちに到達する。
移動の間、ルベンスとはほとんど会話もない。二、三回、「どうしてスメドアではなくこういう若僧と……」というような愚痴をこぼしていたところを見ると、本人的には不満の措置であるらしい。
国境近くに建物が出来ていた。そこにコルネーの兵と、ナイヴァルの兵が数人ずついる。お互い、ここでは特に敵意を見せていないところを見ると、この部分では事前にフェザートとスメドアの間で話し合いが済んでいるらしい。
兵士が建物の中に入り、馬車の到着を告げたのであろう。しばらくすると、中から見覚えのある人物が出てきた。相手もレファールを見ると苦笑する。
「久しぶりだな、金貨10万枚にふさわしい男になってきたじゃないか」
フェザートの軽口に、思わず苦笑いが浮かぶ。
「あれはシェラビー枢機卿が勝手に」
「ああ、そうだな。しかも、残念なことにその見立ては正しかった。おまえがナイヴァルに行ってしまったがためにコルネーが払わなければならなくなった金額は金貨10万枚どころかその十倍になりそうだ」
「私のせいではないですよ」
「分かっている。今更、俺の立場からおまえの選択についてどうのこうのとは言えんさ」
そこで言葉を切って、隣にいるルベンスに礼をする。
「コルネー海軍大臣フェザート・クリュゲールと申します。この度はよろしくお願いいたします」
「あ? ああ、私はルベンス・ネオーペ枢機卿だ。今回、交渉の責任者を務めることとなった。よろしく頼む」
中に入ると、既にコルネー側が用意していた書面が置かれてあった。
概ね以下の四点のようであった。
一、コルネーはナイヴァルがコルネー東岸を利用することを認める
二、国境については今年八月時点のものとする
三、賠償金その他のものはなしとする
四、停戦期間は二年とし、今後両国の間で交流を行う
「……」
少し虫がいいのではないか。レファールはそう思った。コルネー軍の被害は少なかったが、フォクゼーレ軍と連合して攻め込んできて、大敗しているのである。それにも関わらず、賠償金もなし、領土割譲もなしというのはナイヴァル側としてみるとやっていられないという思いになるはずだ。
(まあ、今年八月時点ということは、セルキーセ村近辺についてはナイヴァル領になることを認めたものとはいえるのか)
レファールはルベンスを見た。やはり不満があるようで、眉根が歪んでいる。
「この条件であれば、戦闘がなかったと同じということにはならないか?」
ルベンスが詰問するように言う。
「そんなことはありませんぞ。ただ、これ以上戦闘を継続するのはお互いのためにならないということを考えれば、このくらいの条件でも良いのではないかと思います」
フェザートは地図を取り出した。自信満々の様子でウニレイバを指さす。
「現在、ウニレイバには新たなる艦船が十六隻ございます。これにコレアルの艦隊を加えれば、サンウマに停泊しているナイヴァル海軍を撃滅することは不可能ではないでしょう」
「……」
恐らくその通りだろうとレファールは考えた。
ただし、コレアルの艦船を回すためにはフォクゼーレに対する絶対的な信頼が必要となる。そのためにはフォクゼーレに対して少なくとも不戦条約を締結する必要があるが、今回の敗戦を受けてそれなりの謝礼や弔慰金が必要になるだろう。
(要は、コルネーは艦隊建設で金がなくなったから、フォクゼーレのための金しかないというわけか)
仮にナイヴァルが同盟を締結した場合、恐らくコルネーはフォクゼーレとは手を切るのであろう。この場合にフォクゼーレとの交戦に備えての軍費が必要になる。どちらにしてもナイヴァルに払える金などはないということになる。
(この条件でも、シェラビー様にとっては悪くないのであろうが……)
ただし、シェラビー個人にとってはこれでも十分なのだろうと考えた。シェラビーの目標はコルネーを占領することではない。さしあたりは制海権を確保してハルメリカとの交易をおこなうことである。
(となると……、問題はこの男ということになるわけか)
レファールは尚も不満そうなルベンスに視線を向けた。
「とは申しましても」
フェザートが口を開く。
「もちろん、今回枢機卿に御出でいただいたことにつきましては深く感謝しております。そこで私的に条約締結の協力金を、コルネー政府から枢機卿に差し上げましょう。それでいかがか?」
と言って、目録のようなものを差し出した。ルベンスはひったくるように奪って、その中身を確認した。まるで餌を与えられた犬のようだ、とレファールは内心で苦笑する。
「……悪くはないな。分かった」
(そんな簡単なものでいいのか?)
レファールは唖然となったが、ルベンスとどちらが上かということになるとルベンスが上である。また、シェラビーの観点から見た場合にも特に不満がある内容でもない。
「それならば……」
拍子抜けするほどあっさりと締結が決まった。
(これは正直、ネオーペ枢機卿と私を責任者に据えた時点で失敗だろう)
レファールはそう思った。
十一月十五日、両国語で締結された停戦協定をルベンスとともに持ち帰ってきた。
出迎えたスメドアは内容を確認して、「分かった。これをバシアンと兄に送ることにしよう」と呆気ない。
二人になる機会を作り、レファールはスメドアに確認する。
「あれで良かったのですか?」
「もちろん」
「シェラビー様やスメドア様であれば、もう少し好条件を勝ち取れたと思うのですが……」
「分かっている」
「えっ?」
スメドアが当たり前のように認めたことにレファールは驚いた。
「今回の責任者は誰だ?」
「それはネオーぺ枢機卿です」
「では、仮にこの内容に不満があった場合、向かう先はどこだ?」
「……それも、ネオーペ枢機卿でしょうか」
「しかも、コルネーからネオーペ枢機卿には密かに財宝などが渡されたであろう? 金貨も10万枚は渡されたらしいな」
「どうしてそれを!?」
当然であるが、私的な謝礼については協定の中には入っていない。その中身、特に金貨の枚数をどうしてスメドアが知っているのか。
「こうした中身は、いずれ我々にはプラスになる可能性があるということだ」
「……」
レファールは改めてフェザートのしたたかさを思い知った。
(シェラビー様が今後発言力を強くしていく過程で、ネオーペ枢機卿は邪魔になっていく可能性が高い。その際に、今回の協定の顛末を漏らすことでやりやすいように持っていくということか……)
シェラビー個人にとっては、領土はどうでもいい。交易をするための制海権さえ確保できるのであれば。そのうえで、将来的に政敵となりうる男の弱みを握る術を用意しておき、コルネーに対しても恩を売るような形にしておく。
(全く見事な措置だ……。ただ……)
レファールは気づきたくない事実を考えざるを得ない。
(そこに私が副使としてついていたという事実は、どう評価したらいいものなのだろうか……)
スメドアは何も言わないが、あるいは、活躍しすぎたことを警戒する動きが彼らの中にあったのかもしれない。
そう考えると、喜んでばかりはいられなかった。
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