第2話 彼氏と海と彼女と


「わあっ!きれいな海!」


最近では、全国的にも、ぼちぼち有名になってきた糸島半島。


緊急事態宣言あけの週末ということもあって、海側にある魚料理が中心の店は、軒並み行列ができていた。


けどそれ以上に、道沿いにひろがる青い海が、俺たちの心をわくわくさせる。


本当に、きれいな海だ。


マジで真っ青な海だ。


光がキラキラ反射している。


「あれは?」


道路から、海の上を桟橋がとおりTの字になった中央の部分に塔がある場所を、明日菜が指差す。


「海釣り公園だよ。毎日スタッフが餌付けしてるから、春先から秋まで、結構、アジが初心者でもサビキで釣れるんだ。俺もよく大学の友達と行ったよ。豆アジなんか、マジでサビキ釣りで、入れ食いになるから、たまに最悪になる」


「最悪?」


「だって、料理が大変だろ?うまいけどさあ、内臓やらなんやら処理しないとだし。おかげで、ひと通り魚さばけるようになったけどさ。機会があったら、今度いこうな?」


「魚は、春馬くんに、まかせるよ?」


「なんでだよ?国営放送で魚さばいてたじゃん。ちょい役だけど」


「ひどーい!私のデビュー役なのに、ヒロインの若い頃の役だよ?」


「デビューが大役とか、ふつうにひいたわ。で、料理はできるように、なったのか?」


スカウトされて、中2で上京した明日菜は、いまも事務所の寮でくらしていた。


そろそろ寮をでようとしたタイミングで、コロナ騒ぎがあり、事務所がタレントを管理する上でも楽なので、寮生活が長くなったらしい。


「料理が得意な後輩が、何人かいてね、他の子達とよく教えてもらってるよ?みんな仕事が少なくて、ヒマだったら」


「さみしいな、おい。で、その手料理を食べたのは、女子寮の連中か?」


「あとはマネージャーさんとか?かなあ。あっ、大丈夫だよ。マネージャーさんたちも女の人だから」


「そんなことー」


「気にしてない?」


「すっごく、気になります」


「だから、甘いセリフは、ダメだってば!」


「痛っ!危ないから、手をたたくな!ーっと、ついたぞ。俺の釣り場」


とある漁港の駐車場の入り口で、いったん車を停止する。


すると、どこからともなく漁協のお婆さんが現れて、俺に釣りか、きいてきた。


今日は、ただの散歩だと言うと、良心的なこの場所は、無料で利用できる。


ただ、釣りだと5分でも、500円支払いになるけど。


釣りで五分って、仕掛けを作るだけでおわりそうだな。


ポイント探しなんか、絶対に無理だし。


いつもは、細い防波堤の上を走って、漁船がある場所に車を置く場合が多いが、今日は明日菜がいる。


明日菜は有名女優だから、人が多い方は、無理だよな?


人気のない砂利の駐車場に、車を停める。


マスクとメガネ、それに釣りと日差しよけとして、いつも車に載せているキャップを、明日菜にかぶらせる。


明日菜が、軽く眉をひそめる。


「春馬くんって、魚くさい?」


「失礼だな。そのキャップが、魚くさいんだよ」


車の鍵をして、俺は真っ先にたて1メートル横幅50センチくらいの堤防に、飛び乗ると真下をみた。


堤防の下は岩礁で、海藻も多い。


なにより堤防の幅が狭いから、こっちの駐車場には、人がいない。


ただ、俺がよくやる釣りには、適していた。


「うわっ、大丈夫、春馬くん。落ちないでね?」


「まあ、慣れてるけど?今日は風もあるしな」


ライフジャケットをつけていても、下が岩場なら、大怪我をしかねない。


素直に、堤防から降りると、明日菜が嬉しそうに、右手を俺の左手に絡めてきた。


「やっと、手を繋げたね」


「ごめん」


「いいよ。春馬くんのそういうところが、好きなんだもん」


伊達メガネごしに、きれいな瞳が笑う。


「ここで、どんな魚を釣るの?」


「いろいろ狙えるけど、ほらその辺に黒い染みあるだろ?あれはアオリイカの墨でさあ。ルアーじゃなくて、エギを投げてつるエギングってやつとか、あとは最近は、穴釣りかなあ」


「穴釣り?」


「餌を岩の隙間とかに落として、根魚をつるんだよ。カサゴとか、運がいいとアコウとか、高級魚の25センチオーバーが釣れる」


「本当に福岡で、釣りにハマってたんだね。既読つかないで待ってたら、よく魚の写真送ってきたもんね。春馬くんじゃなく」


「えっ⁈」


「えっ⁉︎」


明日菜がキョトンと目を瞬く。


「へっ?」


「へっ?って、毎回思うんだけど、なんなの?このやりとり?」


さすがに10年のつきあいだけはある。


俺の擬音は、たまに明日菜にだけ、通じる。


ーたまに、だけどな。


「だって、魚釣りに、俺の写真なんかいる?」


「私は魚より春馬くんの写真のほうが嬉しいけど。って言うか、ふつうに恋人なら、そうじゃない?」


「えっ?」


「えっ?ーって、だから、このやりとりは、いらないからね⁉︎」


今度は、のってくれなかった。


地味に、こたえる。


だけど、俺もいつもふざけているわけじゃない。


「なんで?魚釣りなら、魚が主役だろ?」


「なんでよ?」


「だって、魚、釣りだろ?」


明日菜が俺を呆れた顔でみる。


「ふつうは、魚を釣った自分の写真を、彼女におくるでしょう?」


「えっ?」


ふつうに、驚いたぞ、いま。


「ふつうはメジャーとか、タバコの箱とか、魚のサイズがわかる写真だぞ?」


「えっ?」


めずらしく明日菜からの「えっ?」発言。


そのあと、すぐに、


「お返しはいらないから」


「え〜っ?」


「のばしてもダメです」


「ええ〜っ?」


「なんで増やすの⁈」


そんなこと言ったって、おどろいたのは、事実だし。


いや、だってさあ?


ー釣った魚のサイズが、いちばん気になるだろ?


「俺、自撮りするの苦手なんだよ」


もともと、なんでわざわざ自撮りするのか、まったく理解できない俺だ。


明日菜の単独の写メはあるけど、ふたりで撮ることもない。


俺にその気が無くても、ロックかけていても、個人情報なんか簡単に光の速さでネット流出する時代だし。


そもそも俺は、スマホにアプリもあまり入ってない。


仕事では使うけど、基本的に、SNSやゲームのたぐいに興味がない。


だって、スマホなんて、釣りしているときは気が散るし、うっかり気をとられたら、海に落ちるかもしれないし?単純に面倒くさいツールでしかない。


大抵の場合スマホは、マナーモードにして、ポシェットにいれている。


で、そのまま充電が切れてしまうパターンが多かったりもする。


完全マナーモードにしているため、普段からあまりスマホを触らない俺は、スマホが無くても別に困らない。


だから、明日菜から共通の友人である俺の同僚を通じて、間接的に連絡をとってくるパターンが、ここ最近は、いちばん多くなっている。


そもそも、この春から社会人になった俺と、まったく違うライフスタイルの明日菜だから、俺から連絡をすること自体が少ない。


ネットの流出なんて、清純派女優として売ってる明日菜には、致命傷でしかないんだから。


ー流出して困る写真なんて、一個もないけど。


腰には、腰にまくタイプのライフジャケットをしているから、ウェストポーチは使えないし。


俺がなにかに夢中になったら、遠恋中の明日菜より、そっちを優先することを、明日菜もよく知っている。


だって、俺には俺の生活があるし、俺と明日菜が一緒にいたのは、13歳の3カ月くらいしかない。


告白された時に、明日菜がスカウトされたから。


その時点で、つきあう前から遠恋が確定したわけだし。


人の目が少ないようで都会より多い田舎ですら、めだっていた明日菜と一緒にいたら、同じ中学のヤツらはともかく、大人たちに、なにを言われるかわかったもんじゃない。


明日菜が東京に行く前に、明日菜からキスをされた程度の関係だし。


そのキスだって、もう明日菜は、俺より他の男とした回数の方が多い。


もっと、過激なやつだって、俺以外の田舎の中学じゃ、絶対見かけない男たちとしている。


まあ、俺の存在だけメディアに知られてないのか。


いや、明日菜は、俺の存在を隠してないか。


単純に明日菜の中学時代の初恋相手としか受けとられないだけだ。


だって、それくらい俺と明日菜には、同じ中学という事くらいしか、共通点がない。


クラスも違うし。


明日菜の正式な出身中学は、東京の芸能科がある学校だしな。


スカウトで大手の事務所に入った明日菜は、東京に行った時点で、特待コースにいた。


レッスンもろくに受けてないのに、いきなり人気雑誌のモデルになったり、朝ドラデビューしたり。


必死に勉強して、でも福岡の大学にしか行けなかった俺とは違い、明日菜は高校卒業と同時に、本格的に芸能活動をはじめた。


そういえば、明日菜のキスシーンを見たのもその頃だったな。


俺たちの関係を唯一知っている、俺と高校、大学、いまは職場まで一緒の同僚に無理矢理、連れて行かれたなあ。


恋愛映画はカップルでしか見れないって、かなり強引な明日菜の親友に。


しかも、大学に入ったばかりの頃。


ー受験が終わっていて、よかった。


そんなことをぼんやり思い返していたら、つい立ち止まった俺を怪訝そうに明日菜がふりむいた。


こんなさびれた漁港なのに、海と明日菜は驚くほどマッチしている。


眼鏡やマスクをしていても、明日菜のスタイルの良さや存在感は隠せてない。


たまに休憩や俺たちみたいにドライブに来た車から視線を感じる。


釣りしてるならともかく、ただ歩いているだけなのに。


カップルって、だけじゃないよな。


やっぱり人目を意識してしまう。


それにさ、


「俺、そろそろマスクなしの明日菜が見たいんだけど?」


一人暮らしのマンションまで車であと15分。


明日菜がつないだ手をぎゅっと握り返した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る