【7】守るべき少女の笑顔

   ***


 『超常特区スキルテーマ』に通う生徒達は都市が孤島にある性質上、例外なく親元を離れての寮暮らしを余儀なくされる。

 高校より符号学園に通うこととなった俺と優華もまた、実家を離れて『超常特区スキルテーマ』内に乱立する学生寮の一つに生活の拠点を移していた。


 それが、昨日の話である。


 引っ越してきた翌日に学校が始まるという突貫スケジュール。

 本当はもう少し余裕を持って引っ越したかったのだけど、学園側から支給された『超常特区スキルテーマ』行きチケットの到着日が前日しかなかったので、俺達の意思ではどうすることも出来なかったのであった。


 当然、昨日の今日で引っ越しの片づけが終わるわけもなく、部屋の中は段ボールの山で大変なことに。

 私物を最低限にしか持たない俺の部屋はまだ落ち着いたものだったが、特に荷物の多い優華の部屋なんかは、一人ではどうすることも出来ない惨状となっていて。


 そんなわけで現在、俺は優華の部屋にて段ボールの山をせっせと解体する作業に勤しんでいるのであった。


「優華、この大量の本はどうすればいいんだ?」


 ギリギリまで詰め込まれた本を手に取りつつ問いかけると、台所から上機嫌な声が返ってくる。


「後で並べて入れるから、本棚の前に積んでおいて!」


「了解した」


 言われた通りに本を取り出し、本棚前に積み上げる。そしてまた、次の段ボールに手を伸ばし、ガムテープを剥がして開封する。

 単純作業の連続。しかし、単調で刺激がないかといえば、そういうわけでもない。


「んなっ……!!」


 例えば、優華の衣装類――それも主に下着の類がしまわれた、パンドラの箱を開いてしまったりもするわけで。


「……おい、優華」


「んー、なあにー?」


「さすがに下着類くらいは、事前にしまっておいてくれ……」


 すぐさま段ボールにふたをして、持ち主に抗議をいれる。


「あーっ!! 忘れてた、完全に忘れてた!! 見た? 見ちゃった!?」


「いや……見て、ないぞ……」


 ピンクに白に水色にと、妙にバリエーションに富んだ下着の群を、余すことなく見てしまいました――などと素直に言えるはずもなく、歯切れの悪い答えでお茶を濁すしかなかった。


「ううっ……その段ボールは、箪笥の前にお願いします……」


「……了解した」


 下着入り段ボールを箪笥の前に置き、再び段ボールの山と向き合う。

 もっとも、山といってもそれは先ほどまでの話。それなりに時間をかけた仕分け作業の成果もあってか、積まれていた段ボールのほとんどは解体された状態で部屋の隅に畳み上げられていた。


「おおー! すごい、ほとんど片付いてる!」


 台所の奥から、優華がひょいと顔を覗かせる。

 俺が引っ越し荷物と格闘している間、二人分の夕食を作ってくれていた優華は、知らぬ間に片付いていた部屋に驚いてか、お玉を片手に歓喜の表情で内装を見回していた。


「つっても、大雑把に移動させるくらいしか出来てないぞ」


「でも、こんな短い時間でこれだけ片付いてるなんて、さすが浩二だよ! 片付けのプロ!」


「優華の片付けが下手なだけだろ」


「むっ、下手じゃないもん! ただ引っ越しが初めてで、慣れてなかっただけだもん」


 頬を膨らませて言い訳を口にしながら、優華がエプロンを外して部屋に戻ってくる。

 どうやら夕食の支度が終わったらしい。台所から漂ってくる美味しそうな香りに空腹を刺激されたので、俺は片付けを中断しすぐさま食事の準備へと移らせてもらった。


 邪魔だからと隅に寄せていた座卓を引っ張りだし、向かい合って座る位置に座布団を並べる。

 ダイニングセットを常設しておくだけのスペースなど存在しないため、ご飯は床に座って座卓で食べるのが、寮住まいの学生のスタンダードとなっていた。


 段ボール漁りで汚れた手を洗いに、一度洗面台へ向かう。

 石鹸で手を綺麗にして部屋に戻ると、既に座卓には優華の手によって夕食が並べ終えられていた。


「悪いな、夕飯まで用意してもらって」


「全然平気だよー。それに、これは引っ越しを手伝ってもらったお礼でもあるから、遠慮せずに食べてよ!」


 本日の夕食は、至って普通の家庭料理。

 当たり前だが、全て優華の手作りである。


 箸を手に取り、いただきますをしてからおかずを口に含む。

 住む場所が変わっても、変わらない味。幼少期、優華がまだ料理初心者だった頃から食べていたその味は、他のどんな料理よりも俺の心を安らがせてくれるものであった。


「それにしても、今日はいろんなことがあったねー。0組の人達にゲームのターゲットとして狙われるだなんて、思ってもいなかったよ」


「まさか、入学早々こんな面倒事に巻き込まれるとはな……というか、優華はあれでよかったのか?」


「ん、あれって?」


「放課後を拘束されるって話だ」


 結局、最終的には合意という形に収まったわけだけど、優華の放課後の自由を奪ってしまったことへの懸念は、未だ払拭出来ずにいる。


「俺はまだしも、優華は友達と遊んだりとか部活を見たりとか、やりたいことは色々あるだろ?」


「それはそうだけど……あの時も言ったけど、私は大丈夫だよ。友達と遊んだり部活を見たりとかは、明日とか来週からすればいいし! あと、それにね……」


 そこで一度言葉を切って、優華は頬を掻きながら照れくさそうにはにかむ。


「放課後とか時間がある時は、なるべく浩二と一緒にいようって決めてたからね。浩二がちゃんと友達を作れるかも心配だし!」


「……ちゃんと友達を作れるかは、余計なお世話だよ。俺だって、友人の一人や二人くらいは作れるつもりだ」


 臆面もなく恥ずかしいことを言うものだから、つい反抗的な態度をとってしまった。

 たまに、不意打ちで心臓に悪いことを言ってくるものだから、この幼馴染は本当に厄介だ。


 可愛すぎて、たちが悪い。


「ふふっ、そうだねー。私が心配しすぎなのかな? 栞ちゃんや時宮くんとも友達になってたし、『ヴェノムローズ』の人達とも仲良く出来てたもんね」


「あの二人はともかく、『ヴェノムローズ』の連中とは仲良くしてたか?」


 表向きは談笑をしつつも、水面下では腹の探り合いせめぎ合いが起こっていたわけだし。

 特に篠森と話している時なんかは、常に首元に刃物を突きつけられていたかのような――背中に大量の冷や汗をかいてしまうくらいには、神経が張り詰め通しであった。


「私は仲良く出来たと思うよ。それに、みんないい人そうだったし!」


「……まあ、底の見えない連中ではあったが、悪い人間ではなかったな」


 油断も隙もない集団であったが、それ故に、同盟相手としては信頼出来る集団でもある。


 少なくとも、味方でいてくれる限りは、こちらもそれ相応の協力はしてやろう。

 そう思えるくらいには信用に値するチームであると、俺は勝手にそう評価していた。


「『ヴェノムローズ』の人達とも、もっと仲良くなりたいよね! それにさ――――」


 そんな損得勘定な胸中を知る由もない優華は、単純に俺がプラス評価を付けたことを喜んでか、こんなことを口にする。


「今は戦争なんて物騒なことになってるけど……このゲームが終わった時には、0組のみんなとも友達になれてたらいいなって、私は思うんだ」


 0組のみんな。『ヴェノムローズ』だけでなく、今は敵である『フラグメンツ』の生徒達も含めた、全員と友達になるということ。

 それは、相手が異常と呼ばれる連中であろうと関係なく、誰とでも仲良くなれる優華らしい、明るい未来を夢見た無垢な一言であった。


 『転校生攻防戦』――これから残り四日間、きっと想像以上に大変で面倒なことが続いていくのだろう。

 そんな最中でも優華は、誰もが幸せになれる優しい終幕を描いている。


「……優華はいつも楽しそうだよな」


「うん、楽しいよ!」


 そう言って優華はふわっと、心が溶けてしまいそうなくらいに柔らかな笑顔を見せる。


 守りたかった笑顔。守れなかった笑顔。

 今度こそは必ず、その笑顔を守ってみせるんだと。

 彼女の純粋な思いを胸に、俺は改めてそう心に誓うのであった。




   ***




「あれ……スマホどこいった?」


 夕食後、「残りは私一人で片づけられるから大丈夫だよ!」と言われたので、下着を見てしまった件の二の舞にならぬようにと、早々に優華の部屋を後にする。

 それからおよそ一時間が経過したくらいか。大した荷物もない部屋の整理をしていた時、ふと手元にスマートフォンがないことに気が付いた。


「優華の部屋に忘れてきたか?」


 時間も遅いし、取りに行くのは明日にしようか?

 けど、スマホがないってのはさすがに不便だしな。


 なんて、引き出しの衣服を整理しながら、悩むこと一分。

 面倒さよりも不便さの方が勝ると判断した俺は、スマホを回収するため再び優華の部屋に戻ることを決めた。


 まあ、面倒なんて思いはしたものの、優華が住んでいるのは同じ寮の一つ上の階。

 徒歩一分もかからずにたどり着く距離なので、それほど苦労するものではないのだけど。


 寮の中を移動するのに恰好を気にする必要もないので、部屋着のままサンダルを履いて玄関を出る。

 流石にまだ春先だからか、スウェット一枚では夜風の冷たさが肌に染みたけども、わざわざコートを取りに戻るほどでもなかったので、そのまま強行突破で階段を上った。


 部屋の前に辿り着いた俺は、インターホンを押して二度目の来訪を知らせる。

 寒さに身を震わせながら、待つこと十秒ほど。機械越しに「どちら様ですか?」と尋ねられたので、簡潔に自分の名前だけを伝えた。


「えっ、浩二!? ちょ、ちょっと待ってて!」


 妙に上ずった声に続いて、ドタバタと慌ただしい音が扉の奥から聞こえてくる。

 もしかして、まだ片づけの途中だったのだろうか。だとしたら、迷惑なタイミングで訪ねてしまったな。


 忙しそうならまた明日でも構わないぞと、そのような旨を伝えようかと考えていたところで、開錠音とともに扉が開けられ、中から優華が姿を見せる。

 そしてそこで俺は、上ずった声に慌ただしい音の理由を察するのであった。


「なっ……お、お前……!」


「は、はやく入って! さすがに、開けっ放しは恥ずかしいから……!」


 困惑する俺の腕を掴み、強引に玄関の中まで引き摺り込む優華。

 瞬時に扉を閉め、鍵をかけ、ほっとため息をついた彼女は、引き摺り込んだ際の密着に等しい距離感のまま、上目遣いで用件を尋ねてきた。


「えっと……何か用? 忘れ物でもしたの?」


「ああ、ちょっとスマホを忘れちまったみたいで……ってそれより優華、その恰好……!!」


「ううっ……は、恥ずかしいんだからあんまり言わないでよー!!」


 素肌にバスタオルを一枚巻いただけ。

 それが今の優華の恰好であった。


 おそらくさっきまで風呂にでも入っていたのだろう。

 前髪に滴り、艶やかな肌をつたって流れる水滴が、直近の行動を如実に示している。


 体に貼りつくバスタオルを固く握りしめ、恥ずかしそうに顔を赤らめる優華。

 たかが布一枚では隠しきれない胸部の双丘と、むき出しの腕と生足。その抜群のプロポーションから溢れ出る魅力を前に、俺は人見知りなど関係なく彼女を直視することが出来なくなっていた。


「え、えと……お部屋のほう、探させていただきます」


「ど、どうぞ」


「なかなか、綺麗に整頓されていらっしゃいますね」


「こ、浩二が帰った後、頑張って整理いたしましたので」


 区別のつかない無数の情動が折り交じり、その末に何故か敬語で会話を始める俺と優華。


 ……いや、なんで普通にスマホ探し始めてるんだよ。いいから一旦部屋を出ろよ。

 と、普段ならそういった冷静な対応をとれていたのであろうが、思考力と判断力を同時に消し飛ばされてしまった今の俺では、そんな単純なことにすら考えを至らせられなくて。


 当初の目的を実行するというただ一点のこと以外は、何も考えられなくなってしまっていた。


「……あ、もしかして」


 どこかに落としていないかと考えて床を重点的に探していると、後ろで優華がぽつりと声を漏らし、それから俺を追い抜いて本棚の辺りにしゃがみ込む。


「えっと……あった! 本棚の裏に落ちてたよ!」


 本棚ということは、本の入った段ボールを移動させた際に落としてしまったのだろうか。

 なんにせよ、早々に見つけられたのはありがたいことだった。


「見つかってよかったねー。はい、どうぞ」


「おう、ありがとな」


 拾ったスマートフォンを差し出す優華。それを普通に受け取る俺。

 物を探すというワンクッションをいれてしまったからだろうか、いつの間にか俺達の頭からは、現状が――優華が風呂上がりであるという事実が、抜け落ちてしまっていた。


 いや、現状に耐え切れず、強引に現実から目を逸らしたというのが正しいのか?

 どちらであったにせよ、きっとこの先の展開は免れられなかったのだろうが。


「…………あっ」


 忘れ物が発見されたことに安心し、ほっと表情と一緒に握りしめた手の力も緩ませてしまったのか。

 最後の防壁が――彼女の体に巻かれていたバスタオルが、はらりと地面に落ちる。


 迂闊な失念。

 そしてその結果、俺の眼前に完成したのは、一糸まとわぬ生まれたままの姿をした優華が、そのなまめかしくも美しい姿態の全てを晒しているという状況であった。


「……………………」


「……………………」


 永遠にも感じられる、刹那の硬直。


「…………み、見ないで!!」


「す、すまん!」


 優華の叫び声に反応し、フリーズした脳が強制的に再起動させられる。

 そこまでをしてようやく、自分が何をしてしまっているかに気付いた俺は、己の首を折らんとばかりの勢いで、視線を横に外した。


「あっ、ごめん……えっと、その……と、とりあえず、もう少しお話ししていく? このまま帰っても、その……気まずいし!」


「そ、そうだな……すまん……」


「いえ……こちらこそ、お見苦しい姿を……」


 入学初日。

 めくるめく騒乱に見舞われた『転校生攻防戦』の一日目は、こんな締まりのない事故を最後にして、翌日へと駒を進めるのであった。

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