第9話 カラスはバーにいる

アスガルドの首都。ヴィクトリア・シティ。旧市街の残るアルファ・フォードの片隅にそのバーは存在していた。

ゴッデス。

『女神』という意味であった。

ビリーと言う男がバーで酒を飲んでいた。

「……そんな事が」

「ええ、シンとの付き合いは子供の頃からさせてもらっていますがね……ヤツも苦労しているのですよ」

ビリーはそう言ってウィスキーの入ったグラスを呷った。

「……ええ、ありがとうございました。ところでビリーは店大丈夫ですか?」

「ええ、明日は定休日なもので……」

「そうか。久々に親友と飲めてよかったよ」

「ええ、それにシンの事を話せましたからね」

「……この事は秘密って事でいいね?」

長身の男、ロイの額に冷や汗があった。

「お願いしますよ。シンは誰かに同情されることを好みませんから。それに彼の事を別の誰かに口外することは、シンどころか多くの人間に危害が加わる可能性がある。『シャドウ』の正体を知るためにひどい手段すらいとわない連中が少なからずいますからね」

ビリーはいつになく真剣な口調でロイに『お願い』をした。その『お願い』は命がけの響きすらあった。

「あ、ああ……しかし、あの『都市伝説』とシンに繋がりがあるとは……」

「世の中そんなものです……シンは優秀な兵士ですから」

「あの『冷血カール』の元私兵で、元外人空挺部隊員出身で……」

「表に出ている経歴だけでも凄まじい事は分かるでしょう」

「……それはそうだ。かと思えば、アスガルドの高校を普通に出て大学にまで行っていたと……三文小説の主人公でも、こんな凄まじい経歴の人間はいませんよ……」

「それが事実です。……さもなければ、30人のギャングに店潰されかけたとき、一人でなんとか出来たなんてありえませんって……何人かは銃をもっていましたよ」

「……そう言えばこの近辺でマフィアとかの話聞かないな」

「……今やこの街の抑止力です。シン・アラカワって男は」

「ああ」

「しかし羨ましい話です。ヘイキョウでの私の店はもう潰されてありませんから……」

ビリーはグラスに酒をついでまた一口飲んだ。

「その年のカラーギャングは見境なしだったとか……よくもまあ、十三歳ぐらいの子供が生き残ったものです」

「……普通の十三歳じゃ生き残れませんよ。彼だから生き残れたんです」

「しかし、どうしてまた……、並の執念じゃありませんよ」

「……俺の経験上、もしかしたら彼は人の死を見すぎているのかもな?」

「それは当たりです。アラカワ一族はマリと言う人物を失っているのですから」

「マリ!?マリって、マリ・アラカワ……」

「ええ、そのマリです」

「…………いい人ばかり、早死にするものですな……しかも美人だったのに」

「そのせいかもしれませんね。シンの悪党に対する冷徹さは」

「ええ、全く」

「そういえば、そのワンチョウのゲリラはどうなりました?」

「……既に処刑されている。タカオ・アラカワが殺ったそうだ」

「……タカオ君か。ワンチョウという国の野蛮さを恨んでいたのは聞いています。どんな最期だったんです?」

「……意外にも法の手続きに乗っ取った処刑だったみたいだ」

「……そうですか。なんて名前のヤツだったんです?」

「ハンって男だったみたいだ。ゲリラ戦の達人だったが、相手が悪かった。タカオ相手では歯が立たなかったようだ」

「それはご愁傷様……いや、自業自得か」

「そうだな」

「まあ、何はともあれ、『アレ』から何年も経ちますね」

「……シンの人生史上最悪の時代か」

「彼は、まだ中学校は嫌いでしょうか?」

「間違いなく……」

「……」

「……アスガルドに来た頃の荒れた時よりはマシだな。あの時は抜き身のナイフみたいでおっかなかったな」

「戦争ボケって揶揄されたのも分かる気がします」

「今はだいぶ丸くなったな」

「ええ」

「だが。アイツを怒らせる事だけはさせるなよ。アイツは怒りを溜め込む癖があるからな。普段ニコニコしている分、キレた時のおっかなさは桁違いだ」

「ああ気をつけるよ……ああ、お代はこんぐらいだ」

ビリーは差し出された伝票を見て、やれやれのポーズをとった。

「親友割引を要求します」

「親しき仲にも……ってやつだ。今回も払えよ」

「ちぇ……相変わらずのケチんぼめ」

「そりゃどうも。金はそこに置いておきな」

「ええ。では」

そう言ってビリーは店の外に出て行った。金はレジの側に置かれていた。

「また来なよ。親友」

そう言った後、一人のお客さんが入れ違いの形で入ってきた。紳士的な雰囲気のある柔らかな男であった。その顔はテレビでよく見られる。

レオハルトであった。彼は帽子を脱ぎ、ロイの近くの椅子に座る。

茶髪。整った顔立ち。奇麗に整った高級なスーツ。

かの『蒼い旋風』が。かの『最速の男』が。

人目を忍ぶようにして来店をした。

「……ジントニックを」

「ええ」

そう言ってバーテンのロイは仕事に取りかかった。

ジントニックと言う酒はなかなか奥が深い。その酒の味が店の方向性を決めるといっても過言でもなかった。どのジンを選ぶのか?どのグラスを使うのか?そしてどの果実を使うのか?

シンプルな酒だけに難易度の高い酒であった。

ロイは調和を大事にした。

極端な味で勝負する店も少なくないが、ロイは好き嫌いを超えた酒を出す事を考えた。より多くの人に喜んでもらいつつ、こだわるところはこだわる。独りよがりにならず、かといって低俗にもならないものをロイは目指した。

ロイは味も香りもそう言ったものを目指した。ジンとライムをじっくりとステアしてゆく。

「……どうぞ」

「…………いい香りだ」

レオハルトは香りをじっくり楽しんでから一口飲んだ。

芳醇な果実の香りがレオの鼻孔をくすぐった。味も一級品で、果実とジンそのものの風味がレオを存分に楽しませてくれていた。うっとりとした顔でレオはジントニックを舐めるように味わってゆく。

「……おお、……お……」

「お気に召しましたか?」

「久しぶりですよ。ここまでのものは……」

「ありがとうございます」

恭しくロイは頭を下げた。

「……これほどの腕がありながら、どうしてこんな隅の店で?」

「といいますと?」

「……これほどの腕なら、どこでもやっていけると思いまして」

「ありがとうございます。ですが、ここが一番酒に集中出来ると考えましたもので……」

「そうですか。……良い店に出会えて感動したよ」

「身に余る光栄でございます。レオハルト殿」

「……ここにいる前にはどこで?」

「……AGUにいましたが、かの大戦に巻き込まれまして」

「それでこっちに?」

「ええ、あそこは『秘密結社』のごたごたで地獄だったもので」

「そうか……」

「でも、結果としてこっちに住めた事は幸運でした。天職にも恵まれましたし」

「……なら良かった」

「そういえば、スチェイの方は元気してますか?」

「ああ、色ボケコンビに相変わらず振り回されているよ。三人娘も相変わらずだ」

「……三狂でしょう?三人娘ではなく……」

「……言ってやるなよ。それ以上は」

苦笑しながらレオハルトはそれ以上のコメントをしなかった。

「まあ、いいです。命の恩人と出会えたことだけで、今日はすばらしいと感じていますから」

「……君がこれほどのカクテルの腕を磨けた事を僕も嬉しく思うよ」

「ありがとうございます」

「他の連中も連れてくるよ。ここはすばらしい店だ」

「ええ、その時はマリアさんも」

「マリアは真っ先に連れてくるよ。妻にこんな美味しい店を紹介しないなんてもったいない」

「ええ、ぜひ……ところで、スチェイは大変そうですね」

「楽しそうでもある。ああは言ったがスチェイにとって、コウジとジョルジュの二人は大事な親友だ。いつでもどこでもあの三人は楽しくやるさ」

「なら、なによりです。三人娘も元気そうですね」

「ああ、アンジェラは『びぃえる本』なるものを作成している。相変わらず」

「ぶっ……」

ロイがぶっと吹き出した後、レオも苦笑した。

「……ま、まあ、その分LGBT側の人間に理解があるのが彼女の強みだ。その証拠にビアンのキャリーと友達同士だしな」

「男は男と、女は女とくっつくべきだとか言ってましたね。あの二人……」

「……」

レオはまた苦笑する。

「ま、まあ口調からして派手なギャルっぽいけど、レイチェルはいい人でしたね。あのひと面倒見が良くて優しかったです」

「ああ、それだけにレイチェルが一番苦労しているかもしれん」

「レイチェルには今度……って酒はまだ駄目でしたね」

「そうだな。果物なんかどうだ?スイーツや甘味が好きだったはずだ。果物も喜ぶ」

「では酸っぱくないものを……」

「それがいい。きっと喜ぶ。『激ヤバ』とか言いそうな感じだ」

「ええ」

「そういえば、イェーガーは生きてますか」

「心配ない。アイツはSIAの中でも最精鋭だからな」

「……寡黙な仕事人って感じですよね。あの人」

「ストイックさが売りだからな。それがアイツの取り柄だ。いざって時には彼に助けられている」

「ええ、あの時も彼に助けていただいたもので」

「彼にも紹介しておこう。北国育ちだから酒は喜ぶ」

「ありがとうございます」

「さて、シンはまだ来ているか?」

「いえ?最近は忙しいみたいでたまにしか来ていません」

「そうか。彼は彼の仕事を見つけたみたいだ」

「ええ、いつもの二人以外に仲間を雇ったそうですよ」

「元フルハウス隊の面々だろう?あの二人を部下にするなんて大したものだ」

「……どんな人なんです?ガタイの良い男と美人さんなのは分かるのですが」

「あの二人はそんじょそこらのヤツには頭を下げない。先の大戦の時は、無能な軍指揮官を後ろから撃ったことがあるって噂だ。まあ、そいつはかなりの厄介者だったからみんなむしろ感謝しているくらいだ」

「でも上層部にはそう言う訳には……」

「ああ、だから何人かがその場でごまかしたよ」

「なるほど、あなたもなかなかワルでしたね」

「大勢の部下が死ぬよりかは安い代償だ。もっともそれ以前に僕はあの手この手で彼に改心してもらおうと工夫していたけどね……」

「そうでしたか……大変でしたね」

「そうだな……このことはもちろん内緒な」

「ええ……それにしてもそんな反骨精神の持ち主をよく……」

「……シンと言う男はそれだけ優秀な戦士だということだ。もっとも兵士としては扱いが少々ピーキーかもしれないけどね」

「ええ、……ですが少し羨ましくも思います」

「ほう?」

「私はバーテンとして生きるために自分にすら嘘をついてきました。少なくとも子供の時は……彼は身近な命や親しい人間の為にいくらでも命を懸ける事が出来ます。そういうところは時折羨ましく思うのです」

「……そのために、時には正義にすら歯向かった男だ。並大抵の生き方じゃない」

「ええ、わかってはいます」

「さて、すてきな酒をありがとう」

「ええ、またのご来店を」

帽子を被ってレオハルトは去っていった。

しばしの沈黙が店内に残った。小雨が外からロイの耳に聞こえてくる。

からん。

ドアベルの音が店内に響く。

「……今日は一人で?」

「ああ、そうだ」

「いつもので?」

「ああ」

シンがカウンターの席に腰掛ける。

外はまだ雨が降っている。そして閉店までの時間に余裕があった。

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