蒼穹の女神と奇妙な事件簿
吉田 独歩
第1話 二人の散策(前編)
夏が終わり秋の気配を感じたある日。
民間警備会社『バレッド・ナイン・セキュリティ』では、要人警護やコンサート等の警備プラン、富裕層の警護、サイバーセキュリティの相談や軍事コンサルタントなど、あらゆる来客が訪れる。この頃は様々な夏のイベントの予定が減り、仕事に空きが出て来る。
本来ならとても哀しい状況ではあるが、今回のシンにとっては逆に歓迎すべき事だった。
ライコフ事件から、それほど時間が立ってない頃のことだ。ユキにはシンと共に来てから色々と手助けをしてもらっている。怪我も治りきっていないにも関わらずユキはシンの助手として大いに働いてくれた。
そのことはシンにとっては引け目を感じさせられた。
「新しい義手はどうだ?」
「とっても調子がいいわ。貴方が紹介してくれた職人さんがいい腕をしているわ」
「……そうか。よかった」
「今はカズと貴方のおかげでうまくいってるわ」
「すまない。本当なら俺がユキを休ませなければならないのに……」
「気にしないで、『前の件』の責任は私にあるわ。その分を取り戻したいの」
「そうか……そうか、でも少しは休めよ。倒れたら嫌だからな」
「うん、ありがとう」
ユキはわずかに表情を動かした。口だけがわずかに笑顔の形を形づくる。控えめだが確かにそれは笑顔だった。健気な微笑であった。ユキの少女のような顔立ちや美しい黒髪と相まって芸術的な美しさすらシンに感じさせた。
シンはわずかに顔を赤く染めながらも、冷静さを取り繕った。
「ん、……そうか。……って、ジョニーは?」
「あれ以降どっか行ったわ。今頃ギャンブルか、どっかでまたドンパチでもしてんでしょ」
「……俺だけが『強敵』と戦ったことを気にしてんのか?」
「というより、あの人いつもああだから」
「そうか」
シンは『やれやれのジェスチャー』をして仕事に戻った。
「シン、フランク連合の貴族の件だけど」
「ああ、あれどうなった?」
「そちらの業務はなんとか目処が立ちそうなんだ。前の大きなPMCとの商談がうまくいったから」
「ありがとう。カズの語学力のおかげかもな」
「いやあ、今回は前もってシンが指示をくれたことが大きな勝因だと思う。僕1人じゃあ無理って投げちゃったかも」
「ふ、そう言ってくれるか。お世辞でも嬉しいな」
「お世辞じゃないよ。ユキもシンも頑張ってるんだし」
「ありがとうな。アズマ国の件は?」
「ああ、タカオさんが助けてくれたからそちらも返事待ち」
「……兄貴が?」
「どうもクライアントと知り合いだったみたいで。助けてもらっちゃった」
「それは良かった。この分なら今年の閑散期も安泰かもな」
カズの語学能力とユキのサイバーテクノロジーの知識。そして、シンの軍にいた頃の人脈と経験でこの会社はなんとかうまく回っている。大もうけではないがなんとか目標分の黒字にはなりそうではあった。
「……ユキ、ちょっといいか」
「なに?」
「明日は土曜だろ?予定は空いてる?」
「すみません。仕事がなかなか……」
「そうじゃない。……えっと」
「?」
シンはユキの笑顔をみた時よりも赤面した。それこそ熟した一年草の果実の様に真っ赤であった。
「……遊びにいこう」
「え、え、いいの?え?」
ユキが柄にもなく素っ頓狂な声を出した。
「良いも何も、働き過ぎだ。休め、何なら俺と遊びにいくぞ」
「え、でも遊びって言ったって……」
「その辺教える。だから遊びにいこう」
「お、はい、よろしくお願いします」
声も言葉も調子を外しながらユキはシンと約束をした。
時刻は朝10時。ヴィクトリア・シティの東部ハミルトン地区にある繁華街セントラル・スクウェアで集合となった。
セントラル・スクウェアを集合に選んだのはハミルトン地区に大使館がないこともあるが、多くの人の喧騒が過去の悲しみを洗い流してくれそうな雰囲気をユキに感じさせてくれるとシンが期待した事も大きかった。
鮮やかなビルの看板、電気自動車の往来、若者の雑談。少なくともシンにとってはこの都会的な雰囲気が嫌いではなかった。
不安な事はユキが道に迷う事ぐらいであったがその心配は集合時刻の五分前に解決された。
「いたいた、おーい」
優しい女の声がシンの方へ語りかけた。
振り返るとユキがいた。
短い黒のスカート。明るい青を基調としたトップス、可愛らしい白のキャップ
そこから覗かせる黒髪と可愛らしい笑顔がシンの心を強く揺さぶった。
「またせてごめん。道が混んじゃって」
「あ、ああ、大丈夫だ。予想よりおしゃれだ」
「そう、よかった!」
白のキャップ越しに柔和な笑顔が覗く。シンは顔を赤らめながらも次の目的を冷静に告げた。
「まずは、俺の映画が先か。君の買い物が先か。どっちがいい?」
「じゃあ……シンの映画で」
「……ホラーでも良いか。苦手なら別の方も」
「問題ないわ。私ホラーもいけるわ」
「そうか!ならいこう。そうしよう!」
始めは気遣う様子だったシンはユキがホラーは平気だと告げた段階でにこにこと満面の笑みになった。
「……もしかして、ホラー好き?」
「ああ、幽霊がいるなんてロマンがあるだろ」
「それだけはわからないわ」
「あれ、そう?まあいいか。ホラーは何をみる?」
「ええっと、最近だと、山で化物に出会うやつが良かった」
「ああ、『ディライト』ね。あれは良かった。でも俺はアズマ国のホラーが好き」
「う、これは覚悟した方がよさそうね……」
ユキは額に冷や汗をかいた状態で苦笑した。こんなに身近に重度のホラーファンがいることに驚愕しつつも、映画の待ち時間内にあらすじとネタバレ抜きの評判をユキは急いで調べ始めていた。
しばらく情報を調べると、ユキの額の汗が増えることになった。
「…………これってガチで怖い奴?」
「……いや、前作みたけど割とたいしたことない」
ユキは顔をほんのり青くしながら、映画館に引きずられていった。
映画館を出る時のユキの顔は蒼白の状態になっていた。
「ごめん……今回はちょっとチョイスが本気すぎた」
「…………おぅ、おぅ、本格的過ぎ……」
オットセイのようなうめきを漏らしながら、喫茶店のテーブルにユキは突っ伏していた。
「犬の化物が……犬の化物が……」
「俺は楽しかったっけどユキがあそこまで怖がるとは……もうすこしチョイスを考え直せば良かったかな?」
「……いいの、狼とか大型犬がだめなだけだから」
「そっちぃ!?なぜに!?」
「……子供の頃、怖い夢をみたの。マフィアみたいな180センチ以上ある男に機械の狼をけしかけられて、食い殺される夢。私、なぜか首だけになっていて、『ありがたいと思え』って言われながら殺された。その夢が余りにも怖くってそのとき夜中じゅう大声で泣きまくってたわ。あれ以降、野生の大型犬とか狼がダメで……」
「……それはひどい。そいつ殺しとくから」
「夢だから!子供の私が見た悪夢だから!」
シンの周囲に溢れんばかりの殺気が漂うのを感じ、慌ててユキはシンを制止した。
「はあ、もうあなたって私がピンチになると冷静じゃなくなるから……」
「すまん。もっと冷静になる」
「そうね。……でも、そのおかげで……」
ユキが話を続けようとしたところ、店員が注文の品をもって来た。
「おまたせしました。たっぷり魚介類のスープヌードルセットとレッドソースの卵ライス&野菜ス―プをおもちしました」
「ああ、ここ置いてくれ。卵の方は連れの方な」
「はい、かしこまりました」
アンドロイドのウェイトレスが料理を器用に置いてゆく。料理が全てそろったところで二人は食事を始めた。
「あなたって麺料理好きね」
「まあな。アタリア共和国の名店を何件か知ってる程度には」
「……ホントあなた、SIAのジョルジュと同じ国の出身なんじゃないの?女の子に飢えてるしさ」
「……一応、元々の出身はアズマ国だ。それに普段はご飯ものを食べている」
「……そう?この手の店来るとシンはいつも魚介系のヌードル食べてるから……。そう言えば、普段の何食べてるの?」
「自炊して、ご飯と野菜炒めを。……この国はそれなりに料理がうまいが、ご飯が恋しくなる。味付けした奴ではなくシンプルな奴が」
「そう言えば、私も食べてなかったわ。この頃はパンばっかりよ」
「……だから、いまは『卵ライス』か」
「そういうことよ。あっちじゃあ食べ物最低だったわ」
「……そうか」
「でも今は美味しい『卵ライス』にありつけるから良かった」
「そうか」
黙々と食べながら、シンはユキの様子を観察した。ユキはシンと違ってお行儀良く食事をとっている。一口を小さく頬張ってから、ゆっくりと咀嚼する。食べ方は少女の時から変わってはいない。その代わり、シンも子供の頃から豪快な食べ方は変わっていない。ユキの手前、あまり豪快な食べ方はこの時は控えたが、シン一人の時は一口がかなり大きめではあった。
「……今日は丁寧な食べ方ね」
「まあな。人もいるし」
「ふう、何回かのレクチャーの成果はあったようね」
「ああ、ありがとうな」
「……ところでさ。この後は買い物以外に予定あったっけ」
「……う、うーん」
「ないのか」
「ない」
「……そうか」
「ごめん、そっちは何かプランある?」
「…………ああ、一つある」
「どんな?」
「ホントはサプライズだったんだが、景色のいいところに連れて行こうと思ってな」
「へえ、どこどこ?」
「それは、夕方以降のお楽しみでな」
「そう、わかった楽しみにしてる」
「ああ、……じゃあ買い物タイムにするか」
「ええ、付き合ってね」
「ああ」
会計を済ませて来た二人は、店を出る直前である人物に出会った。とても意外な人物だった。紳士服を着たシンと似た顔つきの男だ。それでいて、背丈はシンよりも10センチ以上であり、もの静かで理知的な雰囲気を出していた。
「え?兄貴?」
「シンか。……それとユキさん」
「あ、シンのお兄さん」
二人とタカオが出会う。タカオの方も二人に出会ったことに驚いている様子だった。
「相変わらず無茶ばっかしてるなお前」
「すみません。兄貴」
「……いえ、今回の件は私の不手際にあります。シンは助けていただいたので、どうか……」
「いいさいいさ。手段はともかく堅物だった弟が萌え萌えな可愛い女の子の為に身体を張ってきたんだ。健康的な男の子に育って良かったと思うよ」
「……こら、ナチュラルになんて事言うの」
「兄は褒めただけなのにそう言うのかよぉ。はは、赤くなってる」
「ぐぬぬ」
兄が一枚上手なのも相変わらずであった。シンは頬をほんのりと火照らせている。
「じゃあな。あんまり『獣にならない範囲』で楽しんでこいよー」
「なるかよ。ちゃかすな……」
がっくりうなだれたシンを他所に、タカオはご機嫌な様子でどこかに消えていった。
時間が惜しいと感じたユキはシンを引きずる様子でこの日の買い物の主戦場へと足を踏み出していった。
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