第2話

「――やっぱこれ、鬼道傀儡きどうくぐつじゃん」


 ジャーに案内された御神体の背中。その開いた空洞を見て、美咲は呟く。


「ジャー、これ多分、動かせるよ。ウチの実家に似たようなのあった」


 鞍のような形状の座面。固定器具に吊られた手甲や脚甲。鞍の上には感覚を同調させる面まであり、御神体の内部は完全に実家で見たのと一緒だった。


「動かせるなら僥倖だ。ヤツが来る前に始めよう」


「りょーかい」


 美咲は面を着けて、手甲脚甲に手足を通す。


「――響け、士魂ブレイブ・ハート


 呟けば、美咲の胸がほのかに燐光を放つ。


「――事象干渉波を確認。ミサキ、それはなんだ?」


「なにって、魔道器官だよ。魔法を使うための、もうひとつの心臓。


 ――そんな事より、背中閉めるから離れて。あいつが来ちゃう」



 まだなにか問いたそうだったが、ジャーは美咲の言葉に従って、御神体の背中から出て離れる。


「それじゃ、行ってみよう」


 着けた面の内側に、知らない文字が上から下へ流れ、すぐに外の景色が映し出される。手足の拘束が緩んで、動かせるようになった。


 ちょうど、木々をへし折りながら、森から巨熊が飛び出してくる。


「――さあ、反撃だ!」


 御神体の白い面に真紅の文様が浮かび、貌を形造る。たてがみが淡い赤の輝きを帯びた。


 立ち上がるのに合わせて、表面に積もった土埃や苔がこそげ落ちた。


「ジャー、この子の武器は?」


 大岩から離れたジャーに問えば、彼は首を振って無いと答える。


「組打ちかぁ。まあ、やってみるか」


 御神体が半身になって、左手を前に、右手を腰だめに構える。


 自身を傷つけた紗江の匂いでも頼りにしているのか、熊は迷うこと無く御神体へと駆けて来て、すぐ目の前で跳ねた。


 伸し掛かろうとしてくる巨熊相手に、御神体は前に出した左手を熊の顎下に。左足を引いて身体を反らすと、熊の横手に回ってその腹を突く。


 胴部を覆った甲殻が砕け、熊は宙を滑って森の木にぶつかる。


「すんごい力。ジャー、この子の名前は?」


 上機嫌になって、美咲はジャーに問いかける。


「邑ではサイラと呼ばれている。唄と舞踏の女神の名だ」


「いいね。あたしにぴったりの子だ」


 二人が会話する間にも熊は立ち上がり、逃げ出そうというのか、森の方へと頭を向ける。


「――美咲! 逃がすな。手負いのまま逃せば、いずれ復讐に来る!」


 ジャーが叫び、美咲はサイラを跳躍させた。


「――鳴り渡れ、士魂ブレイブ・ハートッ!」


 サイラを中心に事象干渉領域ステージが開かれ、巨熊の身体を覆い包む。


「ウ――」


 それは単音からなる原初の唄。それに反応してサイラの周囲に燐光が舞い飛ぶ。


「――フッ!」


 鋭い呼気と共に、両手を振り下ろした。


「ギイイィィィ――ッ!」


 巨熊の断末魔。


 直後、巨熊が胴から真っ二つになる。


 サイラが着地し、直後、巨熊の胴のその断面から、真っ青な血が噴水のように噴き上がる。


 身をひるがえして反転。左手を前に出して残心。青の鮮血がサイラを染め上げていく。


 やがてその血飛沫も緩やかになって行き、美咲は残心を解いた。


「……デカさには驚かされたけど、やっぱ熊は熊じゃん」


 ジャーとテツを振り返ってVサインを向ければ、ふたりは驚いた顔でサイラを見上げていた。





 騒ぎを聞きつけた邑人達がやって来て、巨熊が死んでるのを確認すると、邑中が喝采をあげてお祭り騒ぎになった。


 巨熊がみるみる解体され、邑の中央に急造された三つの大竈で次々と焼かれていく。


 酒蔵が開けられて酒が振る舞われる中、美咲とジャーは敷かれた蓙に腰降ろしていた。


「ねえ、魔獣の肉って本当に食べられるの?」


 美咲は目の前の木皿に山積みになった熊肉の串焼きを前に、ジャーにそう尋ねる。


「なにをいまさら。おまえが目覚めた時にも食べたろう」


「えぇ!? あれって魔獣の肉だったの? うーん、青い血の生き物ってあたしの世界ではいなかったんだよねぇ……あれ? カブトガニは青いんだっけか?

 ――とにかく、少なくとも食肉の血の色は赤だったから、抵抗があるの!」


「良いから食ってみろ。普通の肉となんら変わらん」

 と、ジャーは木皿から串焼きを一本取り上げ、美咲の口に押し込んだ。


「あら、ほんとだ」


 口にした以上はよく噛んで飲み込む美咲。魔獣熊の肉は意外に美味しかった。


「おまえにはいろいろ訊きたい事もあるが……」


「奇遇ね。あたしもこの世界を知るために、いろいろ質問があるわ」


 言い合って二人で苦笑する。


 周囲の騒ぎの中で、生真面目な話は無粋に思えたからだ。


「先生! ミサキ! 食べてる?」


 テツの娘のミヤが両手に木杯を持ってやって来て、二人の間に座ると、

「はい、これ。去年漬け込んだ果実酒。美味しいらしいよ」

 木杯を二人に手渡す。


「――お酒? 呑んでいいの?」


 美咲がジャーとミヤを交互に見ると、二人は不思議そうに首を傾げた。


「ミサキぐらいの歳なら、呑むんじゃないの? わたしも今年の成人式で解禁だよ?」


「えっと、成人式って、ミヤっていくつ?」


「――成人式で十五よ。やっと大人の仲間入り」


 ミヤは歯を見せて笑う。


「……年下かぁ。同じくらいかと思った」


「いいから呑んでみなよ。お父さんが美味しいって言ってたんだから!」


「え? でも――いいのかのぁ。昔、実家の梅酒くすねて呑んだ時、もう絶対に呑むなって、家のみんなに言われたんだけど……」


 言いながらも、興味はあるのか、美咲は木杯を傾け、チビリと舐めた。


 美咲の記憶があるのは、そこまでだった。

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