理屈っぽい私が屁理屈を言うだけの自己満足
白薔薇
自分が嫌なことはしてはいけません...の基準
人間が幼い頃に一度は言われるであろう言葉。それは『自分がやられて嫌なことはしてはいけません。』考えが古い人、新しい人関係なく殆どの人が言った経験があるだろう。
友達同士の喧嘩の際などにも用いられることかあるかもしれない。
けれど、私は思う。
『自分がやられて嫌でなければやっていいのか』と。
例えば、自分は嘘をつかれるのが嫌だから自分も他人に嘘をつかない。だの、
自分が蹴られるのが嫌だから人にも暴力を振るわない。とか。
別に自分が嘘や暴力をつかれる・受けるのを承諾していれば、自分はやってもいいということになる。
これは極端だが、自分が人生に絶望し、死にたいとする。でも自分では死ぬ勇気がないから殺してほしいと心から願っていたとする。
そうすれば、自分が殺されることを願っているのだから人を殺してはいけないという教えには繋がらない。
更に、もう一つ幼い頃に一度は言われるであろう『自分のしてほしいこと、されて嬉しいことをしてあげなさい。』の方に当てはまってしまっているではないか。
別に私がそれを望んでいるわけではない。
ただ、こういうこともあり得なくはない。
なので、幼い子供に道徳として簡単に教えるのは間違っているとまでは言わないが、自分の主張にも多少の誤りがあるということを踏まえた上で子供に注意をしてほしい。
嘘だとか暴力だとか犯罪だとか、
『自分のやられて嫌なことはしてはいけない』の理屈では、犯罪が減る事などきっとない。
私は殺人報道を見るたびにそう思う。
あの教育は意味を成していたのかと。
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