偽視短話集
コノハナ ヨル
第1話 舟
目覚めると、小さな舟に乗っていた。
舟には5人。私と、浅黒い肌をした見上げるほどの大男、猫背極まりない老婆、そして夫婦もしくは恋人同士と思われる、妙齢の男女一組がいる。
——おい、兄弟。そいつぁ、ヒデェな。早くこいつを塗っちまいな。
左隣にいた大男が壺を差し出してくる。私はこの男と兄弟なのだろうか。生憎と、そのような覚えは一切ない。寝ている間に記憶が吹き飛んだ、とでもいうのだろうか。
ともかく、促されるままに壺を持って中を除くと、粘っこい褐色の液体が入っている。嗅ぐと、いくつかの薬草が発酵したような独特な香りがした。
これを塗れと? 困惑して男を仰ぎみると、
火の傷には、それが一等よく効くんだ——と、いたって真剣な面持ちで返された。
視線を自らに降ろすと、たしかに腰回りを簡易な布で覆っただけの私のからだは、至るところが赤茶く爛れている。恐る恐る触れると、いともかんたんに皮膚はパリパリと割れ、滲出液がジワリと滲んだ。割れ目からはブヨブヨと浮腫んだ内皮が顔を覗かせる。
自分がマトモな状態ではない、と遅ればせながらその時はっきりと自覚した。
向かいに座る男女も私と似たような状態だが、その度合いはより深刻なものらしい。苦痛に顔を歪めながら、塗薬では足りぬとばかりに何やら草のようなものを揉んで互いの体にすりつけ合っている。
——あんれは海藻ダァ。香りがいいから気が紛れるんだと。
右隣にいる老婆が前歯しか残っていない口で笑う。
あんなものが慰みになんのかねぇ。オラは、勘弁だがゃあ——そう嘲るように言い、老婆は硬い干し肉のようなものを屠る。ジジジ、二つしか無い歯が肉の表面を薄く削る耳障りな音が響いた。
ガタン。
大きく舟が揺れる。
——きたぞ!
乗客らはみな腰を屈め、怯えるように空を見上げる。
いったいどうしたんです? 皆に倣い床にひれ伏しつつ聞けば、大男が辺りを伺いつつ低い声で囁き返す。
おんまえ、席見て気ぃつかんかったかぁ。
この船は8人乗りなんダァ。だけど、ここには5人しかいねぇ。
これがどういうこっか、わかるかぁ。なあ、兄弟。
“他はみぃんなぁ、死んじまったんだよ”
一人ずつ連れてかれて。腹ん中探られて、手も足もぜぇんぶバラッバラァよぉ。アァ、何とおっぞましいこった。
んでも、オラたちにあいつらの姿は見えねぇ。
太陽がまぶしすぎっから。
ビュオオオン!!
空を切る音。
一発。
今まで私と話していた男の眉間を、貫通する。
ヒイ! 喉が鳴った。背中に冷たいものがサアッと流れる。
槍だ。細く長い槍だ。
ビュオオオン!!
二発目。逃げる間も無く。
胸元からグルリ。抉るように入る。
男の体は、槍に支えながら上へ上へと持ち上げられる。
緊張と緩和。
限界を超えて伸ばされる皮膚。プラプラと空を泳ぐ四肢。
太陽がまぶしい。
思わず目を背けると、ボトリ。
首筋に張り付く何か。
アァ、落ちてきた、おちてきた、オちてきた、オチテキタ……!
伝わる、生あたたかさ。
あの男の、どこかだったもの。
首筋からぐるり、回り込んで。
胸へ、腹へ。
滴る、体液と脂肪。
ゴロリと眼前を転がり落ちるは、艶かしく赤黒い核。
ヒクヒクと小さな口が表面で蠢く。
……うわぁぁ、やめろぉ!! やめてくれぇ!!
耳を塞ぎうずくまる私の上に、たぶんもう来ている。
光の中、ユラユラと揺れる先端。
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たこやきが、お行儀悪く食べられている話です。
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