人生に彩りを

志央生

人生に彩りを

「ソバを作るぞ」

 僕の部屋に前触れもなくやってきた鴨田剛はネギとソバを片手にそう口にした。

 つけたままのテレビは赤と白に分かれて歌っていて、もうじき終わろうとしている。夜も深まりつつある時間に台所でソバを作るなど面倒以外のなんでもない。

 正直に言えば断りたいが、この鴨田という男は引き下がることを知らない。「ダメです」と言ったところで「なぜ」と聞き返してくるだろう。そんな意味の無い問答を寒い玄関先で繰り返すくらいなら中に入れたほうが楽だろう。

「いやぁ、寒いんだ。とにかく上がらせてもらうぞ」

「えっ、ちょっ」

 僕が招き入れるより先に鴨田は部屋の中に入り込んできた。玄関の戸が締まり、寒さが少し和らぐが僕の中では怒りが湧いていた。

「いやぁ、年の瀬なのにまだ年越しソバを食ってない事に気付いてな、慌ててコンビニで買ってきたんだよ」

 笑いながら人の家の台所にネギとソバを並べている。この男の身勝手さには毎度手を焼いているが、まさか年末にまで焼かされるとは思っていなかった。

「あの、鴨田先輩。ソバを作るなら自分の部屋でやってくださいよ、隣の部屋なんですから」

 僕の言葉に彼は笑ったままで答えてくる。

「どうせ根岸もまだ年越しソバ食ってないだろう。だから、一緒に食おうぜ」

 鼻歌交じりに人の家の台所を物色し、鍋を手に取り、水を入れて火にかけた。まるで自分の家のような姿に沸々と怒りが湧いてくる。

「すいません、僕の実家だと年越しソバを食べる風習はないんですよ。だから、別に食べなくても困らないので、自分の部屋で作って食べてください」

 頬を引きつらせながら僕は彼に伝えるが、聞く耳がないのか、付いている耳が飾りなのか返事はない。むしろ、淡々とソバ作りを進めている。

 こうなれば抵抗するだけ無駄だと悟り、僕はテレビを見て時間を潰すことにした。あいにく見たかったグループの出番はまだのようだった。コタツに体を入れて温もりに身を委ねる。このまま寝てしまいたい気分になるが、それを覚ますように台所から鴨田の声が聞こえてきた。

「ソバつゆはあるか。これがないとソバが食えないからな」

 勝手に作っていてくれるならもういいか、と溜飲を下げたところだった。人の気も知らずに我が道を進むとはこの事かと実感させられる。

「そんなものありませんよ。ソバを買いに行ったついでに買ってきておけばよかったのでは」

 コタツに体を入れたままで答えてやる。この場所から出ないのは小さな抵抗のつもりだ。あくまで僕はソバ作りを手伝わない。その意思表示でもある。

「買う、って言ってもな。俺の部屋にはあるからいらないんだよな」

 僕は鴨田の言葉を聞き逃さなかった。

「自分の部屋にあるなら取りに行けばいいじゃないですか。隣の部屋だし一分もかからないでしょ」

 少しは仕返ししてやれたかと思って鼻を鳴らしてしまう。だが、すぐに自分の発言を後悔してしまう。

「なら、根岸が行ってきてくれ。俺はソバを茹でているから。部屋の鍵も開いてるし、つゆは冷蔵庫の中に入れてあるから」

 言葉を失いかけて僕は強く拒絶した。ありえない、別に食べたいわけでもないソバのために温かさを手放して冷寒地に身を投じる意味がわからない。

「しょうがないか、醤油をお湯で薄めつゆの代わりにするか」

 代わりになるわけがないでしょう、と口を出かけた。これは罠であると理解したからだ。ここで僕が醤油がつゆになりえない、と指摘したら無理矢理にでもツユを取りに行かされる。

「根岸、ソバを見ててくれ。やっぱり俺が取ってくる」

 そう言って鴨田が玄関から出て行った。呆気にとられていたが鍋から湧き出しそうなソバを見て慌てて台所に急いだ。

 すぐに鴨田がめんつゆを持って帰ってくる。

「ありがとよ、これでうまいソバが食えるぞ」

 気分が上がっているように見えるが、こちらは全然だ。かろうじて聞こえてくるテレビの歌に耳を傾けてソバを茹でる。隣で鴨田がソバのつゆを用意しており、彼の耳にも歌が聞こえているのか軽く口ずさんでいるように見えた。

「おっ、この曲は」

 鴨田が反応を見せたのは僕が見たかったグループだった。その瞬間にイヤな予感がした。テレビから聞こえていたはずの歌が消え、代わりに真横で歌う声が鼓膜に響く。待っていたはずの曲が早く終わってほしくなってしまうほどの苦痛だった。 歌が終わる頃にソバが茹であがり、湯切りする。結局的に手伝っていたことに溜息が漏れた。

「さて、ここでネギを乗せてと」

 どんぶりに盛り付けたソバにネギを添える鴨田は満足げな顔をする。たかがソバのために人を巻き込むなんて、やはり迷惑な人だと呆れてしまう。「ネギを乗せるより、天ぷらとかのほうがうれしいですけどね」

 鴨田が作ったソバを机に運びながら愚痴ると彼は小さく息を吐いた。

「わかってねぇな。天ぷらを乗せれば華やかになるのは間違いない。けどな、そんな見栄を張るのは意味が無いんだよ。年越しソバってのは験担ぎみたいなものなんだから、質素で結構。ただ、そっと添えるネギさえあれば、人生も彩られるのさ」

 そう言ってコタツに体を入れて、ソバをすすり上げる。僕も続いてソバをすすった。

 ふとテレビを見るとすでに日付は年を越していた。

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人生に彩りを 志央生 @n-shion

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