第Ⅰ章 第5話 ~もう抑えられないんだ、君のこと~

~登場人物~


ノイシュ・ルンハイト……主人公。男性。ヴァルテ小隊の術戦士で、剣技と術を組み合わせた術剣の使い手


ミネア・ルンハイト……ノイシュの義妹。女性。ヴァルテ小隊の術戦士で、霊力を自在に操る等の支援術の使い手


マクミル・イゲル……ヴァルテ小隊の隊長。男性。ヴァル小隊の術戦士で、増強術という支援術の使い手


 ウォレン・ガストフ……ヴァルテ小隊の隊員で、戦士。男性。あらゆる術を無効化する術耐性の持ち主


 ノヴァ・パーレム……ヴァルテ小隊の隊員で、術士。女性。様々な攻撃術の使い手


 ビューレ・ユンク……ヴァルテ小隊の隊員であり、術士。また修道士でもある。女性。回復術の使い手









思わずノイシュは振り返った。

――何だろう、今のは……

 ノイシュは濡れたお皿をふきんで拭い、片付けると廊下に向かった。すっかり室内は暗くなっておりうまく周囲を視認できない。しかし、間違いなく玄関からの物音だった――


「ミネア、いないの」

 ノイシュは沈黙が返事するのを聞き届けると、戸外へ出る。季節はもう春ではあるものの、まだ夜気が冷たく思わず首元を縮めた。


――もしかして……

 空からほのかな明かりを灯す上弦の月を頼りに、ノイシュは人気のない村道を進んだ。

 

 やがて村の外れまで来るとその先には緩い上り坂と細い石段、そして幾つかの墓石が立ち並んでいる。ノイシュは眼を細めた。夜の墓所が怖くないと言えば嘘になるが、それ以上にこの場所に来るとつい思ってしまう。人のアニマはその肉体を離れた後、一体どうなってしまうのだろう――


 ノイシュはかぶりを振って思考を振り払い、まっすぐ石段を登っていく。やがて視界に古びた木造の造営物が見えてきた。

 

 屋根や壁、尖塔に至るまで全てが木片で組まれた造りでできており、厳かな佇まいであると同時に自然と調和した雰囲気を醸している。


 ノイシュは石段を登り切ると建物の各部位を眺め渡す。見た目には特に荒れ果てている様子はない。どうやらゲイン村長の言う通り、この教会はしっかりと管理していたようだ――


 やがて正面の入り口に立ったノイシュは、門扉が僅かに押し開けられていることに気づく。


――やっぱり、ミネアはここにいるんだ。

 ノイシュは教会へと静かに足を踏み入れた。講堂の中も視界は悪く、高窓から僅かに差し込む月明かりが僅かに石床や木製の腰掛けを照らしている。そして前方にある燭台の上で揺らめく灯火を視界にとらえる。


ノイシュは眼を細めるとゆっくりと祭壇へと向かった。やがて祭壇の前で祈りを捧げる人影を視認し、奥へ進むにつれてそれは見慣れた少女の後ろ姿へと変わっていく。ノイシュは義妹の隣に並ぶと、ひざまずいて祈りを捧げた――


「……明日、出発だね」

 ミネアの声が耳に届き、ノイシュは頷いた。

「……うん」

 ノイシュが義妹の方へと視線を向けると、彼女は静かに双眸を開いた。


「朝にはこの村を出なきゃね」 

「そうだね」

「聖都メイに戻って、小隊のみんなと合流して、そして……」

 不意にミネアの言葉尻が震えた。ノイシュは彼女を見据えながら、義妹の言葉の先にある想いを巡らせた。

 

 自分達が赴くバーヒャルトは戦いの最前線だ。現在、味方の軍があの要塞を奪還すべく集結している。もしもバーヒャルトを陥落させられなければ、今度はリステラ王国の王都メイが侵攻を受けるだろう。聖都とまで呼ばれるあの街を敵軍の魔手から守るために、何としてもバーヒャルト要塞を解放しなくてはならない――


「……ノイシュ……ッ」

 ミネアの声がはさまれ、ノイシュは正面へと意識を向けた。義妹は手にした念珠石を閉じた眼に押しつけ、震えていた。


「どうして……っ」

 次の瞬間、彼女の瞳から涙がこぼれた。ノイシュは眼を見開きつつも、ただ胸に広がる苦い感情を噛みしめ続けた――

 不意にミネアがこちらへと視線を向けた。今までにない厳しい眼差しだった――


「どうしてっ、どうして私達、術戦士になっちゃったの……っ」

 そこで彼女は我に返った様な表情を見せ、眼を細めた。

「……っ、ごめんねっ……今さらこんな事……ッ」

 ゆっくりと義妹が俯いていった。


「……私、やっぱり怖いっ、ノイシュの力になりたくて術戦士になったけど、本当は戦場なんて行きたくない……ッ」

鼓動が強く脈打ち、強い震えが全身を駆け巡るのをノイシュは感じた。わななく口を開けて声を発しようとする。しかし喉からは潰れた様な息が出るだけだった――


 視界に映る義妹が強くかぶりを振った。

「……訓練じゃない、戦場では殺し合いが待ってるっ……この手で誰かの命を奪って、返り血をこの身に受けてっ……私、怖いっ、怖いよ……ッ」

 それ以上言葉にならず、ミネアはただ嗚咽を漏らし続けた。やがて震える胸の奥から新たに火傷の様な痛みが広がっていくのを、ノイシュは感じた――


「……仕方なかったんだ、こうするしか……っ」

 ようやく言葉を吐き出すと、ノイシュは強く胸を握りしめた。


――そう、仕方なかったんだ……だって術を発現できる者は皆、兵役を課せられる。司祭だった父が死んだから、今度は僕に兵役が回ってきて……っ――


 次の瞬間、脳裏にかつての記憶が次々と浮かんでいくのをノイシュは止められなかった、


――強制的に召集され、従軍していく父オドリックが最後に見せた微笑み――


――父の戦死通知とともに、代わりに自分が戦場に行くことを告げられたあの雨の日―


――そして孤児達との別れの日、絶望を押し殺して去っていったあの子達の姿――


――術士学院で必死に詠唱を繰り返し、術を発現させていくミネアの横顔――


 不意にノイシュは強く唇を噛み、追憶を無理に打ち消した。

――違うっ、ミネアが言いたいことはそうじゃない、きっと彼女はそんな事、分かっている……っ――


 ノイシュはそっと震える少女へとまなざしを向けた。

――そう、だからこそ今まで僕に言い出せなくて、一人で不安や恐怖に苦しんで……卒業式で倒れたのも、きっと心労のせいで――


 ノイシュは強く眼を閉じた。胸中で痛みが強く疼いた。自然と目頭が熱くなってくるのが分かった。

――それなのに僕は、ずっと彼女に寄り添って生きているつもりだった、その苦しみに気づいてあげられなかった……っ――


 ノイシュは深くうつむき、かぶりを振った。

――ミネア……ごめんね……ッ


 ひたすらノイシュは心の中で義妹に謝りながら、同時に激しく胸から湧き上がるもう一つの感情を、静かに受け入れた――

――やっぱり君は、僕のアニマが求めて止まない人なんだ……この命よりも、大切な人――


 あふれた涙を拭うと、ノイシュは眼を開いた。

――彼女のために僕が出来る事、それは……――


 ノイシュがまっすぐに義妹を見据えると、彼女もまたその翠眼をこちらに向けていた。

「……バーヒャルトでは、僕がミネアを守る。誓うよ」

 そしてノイシュは微笑んだ。

「でも、それでも君が戦場から離れるのを望むなら……君はここに残ってほしい」


 涙で濡れる義妹の瞳が、大きく開いた。

「え……っ」

 胸の底が大きく揺れるのを感じつつ、ノイシュは顎を押し開く。

「……僕だって、ミネアが戦場で血塗られていくのを見たくない……だからここで待ってて。いつ戦争が終わるかは分からないけど、きっと……帰ってくるよ」


 ノイシュは懸命に微笑み続けた。きっと、これが別れの言葉になると思った。父オドリックもそうだった様に――


「そうだ、戦争が終わったら、ミネアの故郷に行ってみようよ……っ」

 ノイシュは溢れそうになる胸の想いを紛らわせるべく声を発したが、想いとは裏腹に視界がにじんでいく――


「ノイシュ……」

 不安と気遣いに揺れるミネアの声を聞き、もうノイシュは想いも言葉も、止められなかった――


「だって、まだ一度も帰っていないじゃないか。きっと二人で一緒に行こうよ、そして捜すんだ、ミネアの本当の両親を……っ 」

 そこまで言うと、ノイシュは深く俯いた。こらえ切れず涙が溢れてくる――


「……だから、さようなら、ミネア……ッ」

 義妹に背を向け、ノイシュは通路の床を歩み出す。


「ノイシュッ、待ってッ……」

 不意にミネアの声がして、後ろから誰かに抱き止められた。


「ごめん……っ、ノイシュ、ごめんねっ……ゴメン……ッ」

彼女の体温が背中ごしに伝わってくる。その声は嗚咽にまみれ、うわずっていた。


「……私、ノイシュと離れられる訳ないのにっ……なのに、あんな事言って……ッ」


「ミネア……ッ」

 秘めていた感情が一気に膨れ上がり、自らを呑み込んでいく。想いに身を任せて振り向くと、そのまま彼女の背中へと腕を回した。


「僕だって、ずっと君の傍にいたいんだ……ッ」

 ノイシュは義妹を見据えると、そのまま彼女の唇に自分のそれを重ねた。驚きの息を漏らし、はじめは頑なだった少女の唇はやがて、氷が溶ける様に少しずつほどけていく――


 どれ位そうしていただろう、不意に義妹の身体が震えるのを感じ、ノイシュは静かに唇を離した。


「ノイシュ……」

 揺れる彼女のまなざしを、ノイシュはまっすぐに見据えた。

「もう抑えられないんだ、君のこと……ッ」


「でも、でもっ……私達……っ」

 ミネアがうなだれていく。ノイシュは強く眼を閉じ、かぶりを振った。


「……ずっと前から、初めて君と出会ったあの時から、この胸の奥には君が……っ」

 ノイシュは奥歯を噛み締めた。胸に再び震える感情が湧き起こり、とっさに強く自分の胸を掴んだ――


「今でも、僕の中にいる君はっ……ずっと、あの時の君のままなんだっ……」

 それ以上言葉にせず、ノイシュは求めて止まないその人を見た。彼女もまた、こちらをまっすぐに見つめている。その瞳に、もう拒絶の色はなかった――


「ミネア……」

 ノイシュは静かに眼の前の少女を抱きしめた。彼女の手から念珠石が床に落ちる音を聞いた。


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