愛知杏は飴と鞭なら飴がほしい

ハイブリッジ

第1話

 イベント会場の舞台袖、チラッと会場の様子を見てショックを受けた。

 すぐさまマネージャーの半田君の服を掴んで会場が見えて且つスタッフさんの数が少ない場所へ連れて行く。

 何故こんなところに連れてきたかというと、もちろん文句を言うためである。



「ねえねえ半田君、見た? 今日来てるお客さんの層。私のお父さんより年上な人が八割はいたよ! 

あとほとんど眼鏡かけてたし、頭も焼畑後の畑みたいな人しかいない!」



 私の文句を聞いて半田君は困り顔。いつも眉が八の字だけど、困ったときはさらにひどくなる。



「そ、そうですか。しかし遠方から遥々はるばる愛知さんに会いに来てくれているのです。今回のイベントでも愛知さん自慢のスマイルを見せてあげてください」


「いーやーだー! 何でキモいオタクに私の百万ドルのスマイルをぶちまけないといけないの!」


「これも仕事だから我慢してください」


「だってーほら見て見てあの人。前から二番目、顔が超テカってるよ。絶対手汗でびちょびちょだよ」


「一時間ほどで握手会は終わるので我慢してください」


「私声優だよ。まあ百歩譲ってね百歩譲ってだよ、トークショーはいいとしよう。でも握手会はわからない。なんでアイドルみたいに握手会なんてやらないといけないの?

アニメの収録がやりたいよ。可愛いキャラに声を当てたいよ」


「人気がでるためです。それに人気声優の人でも握手会は行います。愛知さんが憧れている桑原さんだって行います。愛知さんはまだ新人です、ぺーぺーです。頂いた仕事は文句を言わずやらなければいけません」


「う……。で、でも」


「でももししゃももありません。あと二十分ほどで始まりますので、準備をお願いします」


「はーい。……ん、ししゃも? ねえねえ何それ何それ。あ、もしかして洒落なの? もしそうだとだとしたらめちゃくそつまら」


「準備お願いします」



 そのまま背中を押されてうまく避けられてしまった。これはイベント後に詳しく追及してやろう。



 ◆



「みなさん、こんにちはー。愛知杏あいちあんずです。今日は私のトークショーに集まってくれてありがとう!」


「ワーーーー!」


 挨拶しただけなのに盛り上がってくれる、ちょろいなーオタクって。よし、もう一回やってあげよう。


「みなさん、こんにちはー。愛知杏です。今日は私のトークショーに集まってくれてありがとう!」


「ワーーーー!」



 デジャブだ。面白いからあと二回くらいやっちゃおうかなと考えたが、司会のお姉さんが『何で二回やったの?』って顔しているし、尺もあるからやめておこう。


 挨拶も終わり、私のプロフィール紹介などが行われた。宣材写真がスクリーンに映し出されたときに会場にくすくすと笑いが起きたので、イライラポイントが加算された。なんで笑ったんだろう、美少女の宣材が映し出されたのに?

 司会のお姉さんの有能であったため滞りなくイベントは進んでいく。


「では続いて質問コーナーに移りたいと思います。愛知さんに質問がある方は挙手をお願いいたします」


 これで誰も手を挙げなかったらどうしよう。学校でクラスの学級委員を決めるときみたいな感じで。でもそんな心配もどうやら杞憂だったみたいで、結構な数の人が手を挙げている。そんなに聞きたいことあるの。


 スタッフがマイクの持っていきやすい前方の人を司会のお姉さんが当てる。

げっ! 顔が超テカってる人じゃん。


「今まで演じてきたキャラクターの中で一番印象に残っているのはどれですか?」


 なんだ、意外と普通な質問。もっとこう爆弾を投げ込んでくるかと思ったよ。


「うーんそうですねー。やっぱり『この中に二、三人妹がいるかもしれないのは間違っている』で演じた桐谷美優ちゃんですかね」



 てか美優ちゃん以外は友人Aとか客Aしか演じたことないから、美優ちゃんしか選択肢がないんだよね。



「美優ちゃんは可愛いかったですよね。私もアニメを視聴したのですが、一番可愛かったです」


「見てくれたんですか、ありがとうございます」


 ほほう。美優ちゃんが一番とはこの司会のお姉さん、やっぱり有能だな。後で半田君と一緒に褒美を持っていこう。

 一つ目の質問は気分良く終わると、まだ私への質問の時間は終わらないのでどんどん次の質問へ進む。



「演じてみたいキャラクターなどはいますか?」


「そうですね。ミステリアスで無口なキャラクターとかやってみたいですね」


 無口キャラなら棒読みな演技でもネットで叩かれないからね。あと、少ないセリフ量でギャラももらえるし。


「愛知さんはお仕事がない時は何をして過ごしていますか?」


「家から出ないですね。ぼっちなので友達もいないですから」


 事務所にぼっちアピールしろって言われてるから。そうするとオタクの人は何故か好感度が上がるらしい。まあ私は本当にぼっちだから、休日は家から出ないでアニメ三昧だ。



「では逆に愛知さんから会場の皆さんに聞きたいことございますか?」


「じゃあー、私に対してこれから頑張ってほしいことありますか?」


「認知―!」



 おいこら。歌とかアフレコを頑張ってほしいとかを期待して聞いたのに。私だってもっと色々な人に認知されたいわ。

 その後も質問が続いていったけど、当たり障りのない返答をしていき何の問題もなく進んでいった。そして、このイベント一番の難所の時間がやって来た。



「では続きまして握手会に移りたいと思います」



 きてしまった。ざっと数えたけど手汗が酷そうなのがひい、ふう、みい……十人はいる。握手する前にちゃんと拭いてくれることを願う。神様、お願いします。



 ◆



 イベントも無事終わり、楽屋のソファーにバタンと倒れこむ。



「だー、やっと終わったわー。半田くんジュースちょうだい。炭酸じゃないやつねー」


「お疲れ様です。午前ティーのみかん味です」


「さっすが、わかってるね」



 ほど良く冷えている午前ティーを受け取って、乾いた喉に押し込む。



「っかーうまい! 仕事の後の午前ティーは最高だよ。そうだ、ねえねえ聞いてよ半田君」


「なんでしょうか?」


「やっぱり手汗が酷い人いたよ。あと顔が超テカってた人もいたし、興奮してて何言ってるのかわからない人もいた」



 その人たちとの握手の時は必殺の営業スマイルを崩しそうになった。でも私もプロですからそこは乗り切った。



「しかし、その方々が愛知さんを応援したくれているのです。ありがたいことではないのですか?」


「…………そーなんだけどさー」



 こんなペーペーの私に時間を作って会いに来てくれるなんて、とてもありがたいことというのは半田君に言われなくてもわかっている。



「でもやっぱり、ファンの人たちはもっと若い方がいい! 女の子のファンもほしいし、お金もほしい!」



 つい我慢できず本音をぶちまけてしまった。これは半田君を呆れさせてしまったかもしれない。チラッと半田君の顔色を窺うかがう。

でも半田君の表情は呆れているとか残念がっているなどの嫌な表情ではなかった。



「そうですね、ではもっと有名になりましょう。そして若いファンの方や女性ファンの方を増やして、お金持ちになりましょう」



 私の言葉をただただ復唱したに近いだけの半田君。でも、何故かその言葉は力強くて、半田君となら本当にもっと有名になれる気がした。あくまでも気がしただけ。



「よっしゃー! 楽に人気声優になるぞ、おー!」


「そ、それは……難しいですね」


「大丈夫大丈夫、私天才だから。それにほら、美少女だし」



 半田君の眉の八の字がさらにひどくなったと思ったら、半田君が何かを思い出したようで両手を軽くポンと叩く。



「そうだった。愛知さん、お疲れのところ恐縮なのですが……これを」



 おもむろに半田君が鞄から冊子を取り出し私に手渡す。表紙には『普通科高校の優等生』というタイトルが書かれていた。



「次のお仕事の台本です。来週までに目を通しておいてください」


「モブ役?」


「いいえ、ちゃんと名前がある役です。なのでセリフ量も多めです」


「やったー! さすが半田君だよ」


「ありがとうございます。事務所の方に原作がありますが読まれますか?」


「原作って漫画?」


「いいえ、ライトノベルです」


「じゃあ読まない、長いし」



 読まないと聞いて半田君がひな壇にいるお笑い芸人みたくこけた。もし効果音をつけるのならズコーッだろう。



「よ、読まれないのですか。さっきまであんなにやる気に満ち溢れていたではないですか」


「だってさー、ラノベだからあれでしょ。どうせ女の子がいっぱい出てくるハーレム作品に違いないよ。そんなアニメ私死ぬほど見てきてるから、大体予想がつくよ。だから大丈夫!」


「は、はあ。すごい自信ですね」


「うん! 大船に乗ってつもりでいていいよ半田君」


「わかりました。……そろそろ時間ですので退室しましょう。明日は十時から『はんおん!』の収録がありますのでお願いいたします」


「オッケー。じゃあ着替えたらささっと帰るよ。お疲れ様半田君」


「はい、お疲れ様です」


「あっそうだ。ちょっと待って半田君」


「何でしょうか?」


「開演前にさ、でももししゃもありませんって言ってたじゃん。あれってどういう」


「お疲れ様でした」



 ガチャンと何も聞いていないかのように扉を閉めて去っていった。くそ逃げられたか。まあその件はまた今度追及するとしよう。

 明日も朝早いし帰ったら明日の台本チェックして、アニメ見て、まとめサイトを漁ったらすぐ寝よう。今日もらった方の台本に目を通すのは・・・・・・まあ明日にしよう。



 ◆



「……だっる」



 朝の素晴らしい陽ざしが私の体を容赦なく攻撃する。……全部まとめサイトが悪い。ちょっと夜更かしした私は悪くない。

 ささっと支度して、仕事場に行きますか。あーあ、一瞬で仕事場まで移動できる装置とか売ってないかな。



 ◆



 今日のお仕事、一言で終了。

これでもお金がもらえる。なんとありがたいことなんだろう。帰りにスーパーで晩ご飯買っていこう。

あーまだ眠いや。今日こそは早く寝よう。…………よし、帰り支度終了。



「お疲れ様でしたー」



 関係者のみなさんにしっかり挨拶してブースから出ると、外にオーラがものすごい人がいた。

あまりのオーラで目が開けられない……ということはないけど、そこら辺にいる一般ピーポーとは明らかに違う。

いったい誰なんだろう。よし凝視しよう。数秒凝視し誰かが判明した瞬間、今の今まであった眠気が一気に吹き飛んだ。



「く、桑原さん!」


「えっ…………はい?」



 感動のあまり思わず声に出してしまった。

 桑原まつりさん。数々の人気アニメキャラの声を担当した人気声優で、私が声優を目指したきっかけの人物だ。

す、すげー。本物の桑原さんだ。


「え、えっと。私、ハウスプロモーション所属のあ、愛知杏っていいます。よろしくお願いします」



 私ってこんなに緊張するんだ。手汗で手がびちょびちょだし、心臓も走った後みたいにバクバクしてる。



「よろしくね。そんなに緊張しなくても大丈夫よ」



 微笑んだ桑原さんの姿は穢れを知らない天使のようだった。いや天使だった。徹夜明けで腐れ切っていた私の心が浄化されていく。

桑原さんと一緒の空気が吸えるなんて最高。サイン欲しい、握手したい、できることなら一緒に写真を撮らせてもらいたい。



「あ、あの握手してもらっても大丈夫ですか?」


「もちろん大丈夫よ」



 両手の汗を服でしっかりと拭き取って桑原さんと握手をする。柔らかい女の子の手だ。って私も女の子だった。ああ幸せだ。

握手をしている間、桑原さんは終始ニコニコしていた。その笑顔はとても優しくて温かいものであった。ずっとこの時間が続いてほしいが、いつまでも桑原さんの手を握っているわけにもいかない。



「ありがとうございました。もう手は洗いません!」


「風邪予防のためにも洗った方が良いわよ」


「わかりました洗います。ど、どうして桑原さんは今日このスタジオに?」


「もちろんお仕事だよ。十年ぶりに新作が出るドラマCDの収録にね」


「十年ぶり? ・・・・・・も、もしかして、ピーラームーンですか!」


「うふふ正解。あっ、いけない。これまだ秘密だったんだわ」



 ピーラームーンは五人の魔法少女が満月の夜にピーラーを使って悪い怪人をやっつけるというストーリーで、私の世代の女子に爆発的な人気があったアニメだ。桑原さんは主人公のピーラーレッドの声を担当していた。



「私、ピーラームーン大好きで、グッズ全部集めてました。ロッドもベルトもフィギュアもゲームもカード、もうぜーんぶです!」


「あらそうなの、ありがとう」


「あ、あと私が声優を目指すきっかけになったのもピーラーレッドで、もう本当に大ファンなんです!」



 やったー新作出るんだ。超うれしいよー。聞く用、保存用、布教用の最低三枚は買わなければ。半田君にも買わせよう。



「うふふ。大ファンでいてくれてありがとう。愛知さんはお仕事終わり?」


「はい、今終わりました」


「そう、お疲れ様。あらもうこんな時間。ごめんね私次の現場に行かないと」


「す、すいません。お忙しいのに」


「いいのよ。ファンの子と話すのは楽しいから。じゃあ今度のお仕事よろしくね。一緒に頑張っていい作品にしましょう」


「はい、よろしくお願いします!」



 頭なんて下げないことで有名な私だが桑原さんには深々とお辞儀をする。

ああ、幸せの時間だったな。今度のお仕事よろしくねって言われたよ。やった、やったー桑原さんと一緒にお仕事だ。

 …………ん? ちょっと待て整理しよう。一緒に……お仕事? 誰が? ……もちろん私が。 誰と? ……桑原さんと。……私と桑原さんが一緒にお仕事?



「えーーーーーー!」



 カバンの底にある携帯を急いで取り出し、半田君に電話をかける。


『はい、半田です』


「もしもし半田君。ちょちょっと、あの桑、桑原さんがものすごくオーラで、あと天使だし、そうだお仕事も」


『えっと……愛知さん、とりあえず落ち着いてください』



 あまりのサプライズに動転してしまい口がうまく回らない。落ち着け私、深呼吸だ。



「わ、私と桑原さんって一緒にお仕事するの!?」


『はいそうですが』


「な、なんの作品で?」


『普通科高校の優等生です。昨日お渡しした台本の……まだ台本は見られてないのですか?』


「昨日はすぐ寝たからまだ見てない」



 ナチュラルに嘘を吐いてしまったが今はそんなことは問題ではない。



『そうですか。まあ昨日はイベントでお疲れでしたから仕方ないです』


「半田君、原作って事務所にあるんだよね? 今から借りに行ってもいい?」


『えっ……昨日読まないと言われたので他のキャストの方に貸してしまいました』


「もう何やっているんだ! 半田君は私が心変わりすることを想定していなかったのか」


『…………すいません。思っていませんでした』



 すいませんの一言がでるまでの間はなんだ。この間まで半田君が私をどう見ているのかがわかってしまった。

ううっ……半田君が悪い子になってしまったよ。出会ったときは何でも言うこと聞いてくれる良い子だったのに。



「と・に・か・く、私はどーしても原作が読みたいの。それで演じるキャラのことを理解したい。半田君どうにかならないかな?」


『愛知さん……。わかりました、愛知さんが事務所に戻られるまでに何とかします』


「ほんとに! さっすが半田君だね。じゃあ五分くらいで事務所に着くからよろしく。約束破ったら焼肉おごりの刑だからね。じゃあねー」


『……え。ちょ、ちょっと待ってください。十、いや三十分でなんとかしま――』



 プープープー。


 よし、今から事務所に行って読むぞーっ!!

桑原さんと一緒のアフレコだもん、カッコ悪いところ見せられない。良いところ見せて桑原さんに褒められたい。ついでに半田君にも褒められたい。

 だからもっともっと声優として技術を磨いて、お仕事頑張って、桑原さんみたいにオーラがものすごい人気声優になるぞ! 

 今の私はやる気満々だ。足取り軽くスタジオから外へ出る。



「さーてと焼肉楽しみだな♪」



 とりあえず事務所までダッシュで帰ろう。



 終

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