マリー・ダンジューの政略結婚(1)

 1419年9月10日、モントロー橋でブルゴーニュ無怖公が殺された。

 同年12月30日、第二次ラ・ロシェル海戦でカスティーリャ海軍と組んで快勝。


 王太子が台頭するかに見えただろう。

 だが、イングランド王の野心とブルゴーニュ公の復讐心は止まらない。


 1420年5月21日、トロワ条約締結で王太子シャルルは廃嫡された。

 6月、イングランドとブルゴーニュ連合軍は無怖公殺害の地・モントローを包囲して攻め滅ぼした。7月にはムランが包囲されて殺戮と悲劇が続いた。


 ムランでは王太子の援軍を待ちながら四ヶ月籠城し、その間に飢餓と疫病が蔓延した。

 11月、ついに包囲は破られた。

 生き残っていた者は見せしめに殺され、城壁から吊るされた。


 私は自前の軍を持っていなかった。

 隣国の海軍を借りて一度勝利したから何だというのだ。

 王太子に心を寄せる人々が殺されていくのに、何もできなかった。


 イングランドに反感を抱く者、ブルゴーニュ公に不満を持つ者、トロワ条約に異議を唱えた者はたくさんいた。

 それ以上に、フランス王に忠誠を誓う貴族や騎士もたくさんいた——が、廃嫡された没落王太子にすすんでしたがう者は少なかった。フランス中の人々が困惑していた。


 肩書きや称号を取り上げられ、さらに血筋まで疑われた私は「無力な私生児」と大差なかった。


 翌1421年、スコットランドの協力を取り付けてラ・ロシェルから兵を上陸させるまで、一年近くジリ貧状態が続いた。


 私にとって「黒歴史」といえる暗黒時代だ。

 しかし、マリー・ダンジューとの復縁と結婚について語るには外せないエピソードでもある。



***



「王太子殿下のご心痛は、アンジュー家にも一因がありますね……」


 マリーが、悲しげに目を伏せた。


「……そんなことはないよ」

「いいえ。トロワとモントローとムランで不幸があったころ、アンジュー家はロレーヌ公と政略結婚でよしみを結びましたから」


 ロレーヌ公はブルゴーニュ派の重鎮だった。

 アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは王太子と距離を置き、ルネを「出し」に使ってブルゴーニュ派に接近していた。


「お母様は聡明な方だもの。政略に間違いはないのでしょうね」


 マリーの言葉は、自分に言い聞かせているようだった。

 令嬢らしい品格を保ちながらも、しだいに抑えきれない熱を帯びてきていた。


「だけど、わたくしやルネがシャルル兄様を慕う気持ちは昔からずっと変わってないの!」


 すかさず、ルネが「シャルロットもね」と付け加えた。

 胸の奥にあたたかいものが広がり、目の奥がじわりと熱くなる。


(アンジュー家の家族から向けられる愛情を疑ったことはないのに、もう充分に愛されたから離れようと思っていたのに……)


 自分で考えている以上に、私は感傷的で流されやすい性格らしい。

 これではまたほだされてしまう、と思った時だった。


「ねぇ、シャルル兄様。わたくしたちはやっぱり結婚すべきだと思います」


 若い女性のほうから求婚するなど、令嬢にあるまじき「はしたない」振る舞いなのにそうは思わなかった。

 マリー・ダンジューが紡いだ言葉は、ごく自然で、何のてらいもない素直なプロポーズだった。私自身も、思いのほか冷静に受け止めていた。


 しかし——


「本当にいいの? 私は、結婚相手としてはかなりリスクが高いのに」


 すかさずルネが「シャルル兄様はまだそんなことを!」と口を尖らせて割り込んだ。

 否定的に聞こえたかもしれないが、マリーからの求婚を拒絶したわけではない。

 マリー本人には、私の真意が伝わったようで、「すべて承知の上で申し上げました」と述べた。


「母は、亡き父アンジュー公との間に生まれたわたくしたちを深く愛してくださった。幼いころは当然だと思っていたけれど、そうではないと徐々に気づきました」


 マリーは、「高みから見下ろして哀れんでいるのではありません」と付け足した。


「神の思し召しは分かりませんが、殿下は大いなる試練を授かっているのかもしれませんね」

「試練か。マリーは、もっともらしいことを言う」

「運命と言い換えても構いません」


 例えば、私が両親から愛されて王城で幸せに暮らしていたら。

 いつかの嵐の日にヨランド一行があの修道院に立ち寄らなかったら。

 私たちの運命も、この国の行く末も、今とはだいぶ違っていただろう。


「母は、シャルル兄様のことも実子同然に愛しています。だからこそ、『リスクのある結婚』をさせようとは考えてないみたい」


 ヨランド・ダラゴンは愛情深い賢夫人だ。

 いつも真摯な助言を与えてくれるが、子供たちを甘やかしたりしない。


 ヨランドは王太子を見捨てたのではない。

 中途半端な気持ちで「リスクある結婚」を強行すれば、不幸は目に見えている。

 それを見越した上で、婚約をうやむやにしたまま何も言わないのだ。

 私とマリーが成熟して、身の振り方を自分で決める日を待っている。


「結婚すると決めれば、母は必ず祝福してくれます。王太子妃にふさわしい持参金を用意してくださるでしょう。そうすれば……」


 マリーは自分の胸元、ロザリオのある位置に手を置くと、しばらく何事かを考えていた。


「わたくしに妙案があります」


 妙案とは、難局を打開する思いつきのことだ。

 私を見上げたマリーの瞳には、決意の光が宿っていた。

 それは恋する令嬢というより、戦う貴婦人の煌めきだったのかもしれない。


「わたくしごときが何を……と思うかもしれませんが」

「ううん、そんなことはない」

「ずっと前から、殿下のお役に立ちたいと願っていました。上手くいけば、殿下の窮地を救うための一助になるのではないかと」


 一時は、情にほだされて結婚するかと思われたが。

 恋人たちの甘い語らいよりも、冷静に政略を話し合って結婚を決意するあたり、私もマリーも似たもの同士。政略志向の王侯貴族なのだろう。

 だが、私たちの間に愛がなかったわけじゃない。


「マリーが考えた妙案について聞かせて欲しい」

「はい……!」


 私とマリー・ダンジューの結婚は、俗に言う「政略結婚」だった。

 だが、恋愛結婚こそが至高で、政略結婚は不幸だと誰が決めたのだろう。

 平和と幸福のための政略的な結婚を、無関係な第三者に批判される筋合いはないのだ。

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