登場人物紹介・第九章まで
年齢は、第九章終了時点(1424年)。
ネームドキャラクターは実在した人物です。
名前を検索すると、生没年などネタバレ込みで詳細なプロフィールが分かります。
作者の力量不足で、時代考証が甘い部分もありますが、ストーリーに支障を来さないようにわざと簡略化している部分もあります。ご容赦ください。
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▼フランス王シャルル七世(Charles VII/Roi de France、21歳)
本作の主人公。フランス王国ヴァロワ王朝・第五代国王。のちの勝利王。
狂人王シャルル六世の10番目の子。第五王子だったが兄たちの相次ぐ死で唯一の王位継承者となる。母妃イザボーと愛人ブルゴーニュ無怖公に命を狙われて王都パリから脱出。父の死でフランス王位を継承し、逃亡先のベリー領ブールジュで宮廷をひらく。ロワール川以南を統治している。
1403年2月22日生まれ。
▼アルテュール・ド・リッシュモン伯(Arthur de Richemont、31歳)
ブルターニュ公の弟。のちのフランス大元帥。正義公。
ブルゴーニュ公やイングランド王家とも縁が深い。ケルトの伝説の王アーサー王の末裔で、周囲から羨望とやっかみを受けやすい。アジャンクールの戦いで捕虜となりロンドン塔に幽閉されていたが、出奔してシャルル七世に臣従する。英語名はアーサー・オブ・リッチモンド伯。ブルターニュの古称をもじってアルモリカの王子と呼ばれることも。
1393年8月24日生まれ。
▼ジャン・ド・デュノワ伯(Jean de Dunois、22歳)
シャルル七世のいとこで幼なじみ。王弟オルレアン公の庶子。
主人公とともに王立修道院で育つ。ゆるい主従関係。騎士になることを夢見ている。王太子専属の侍従長に就任したが、パリ脱出時にシャルルの身代わりを務める。オルレアンの私生児とも呼ばれる。
1402年11月23日生まれ。
【アルマニャック派】
▼タンギ・デュ・シャステル(Tanneguy du Châtel、55歳)
ブルターニュ出身の騎士。ブルトン人。
王太子専属の護衛隊長。唯一の王位継承者となったシャルルを守るため、パリ脱出と逃亡を手引きする。モントロー橋上で無怖公ブルゴーニュ公を襲撃・殺害した。
1369年生まれ。
▼アラン・シャルティエ(Alain Chartier、39歳)
宮廷詩人。ノルマンディー地方カルヴァドスのバイユー出身。
パリ大学(ソルボンヌ)に在籍していたが、シャルルを追いかけて書記官になる。『四人の貴婦人の書』『慈悲のない美女』などの韻文詩や寓話で知られる。
1385〜90年ごろ生まれ。
▼ベルトラン・ド・ボーヴォー(Bertrand de Beauvau、24歳)
アンジュー家の厩舎番をしていた下級貴族で、アンジュー公夫妻の信任厚いボーヴォー家出身。シャルル七世のもとで諜報活動をしている。子供時代の口癖で、たまに「ボーボーさん」と呼ばれる。
1401年生まれ。
▼ラ・イル(La Hire/Étienne de Vignolles、34歳)
本名はエティエンヌ・ド・ヴィニョル。ガスコーニュ出身の傭兵。自称・悪党で元野盗。粗野な性格で怒りっぽい。シャステルに雇われて王太子一行に付き合う。ボージェの戦いで負傷し、片足が不自由になる。
1390年生まれ。
▼ジャン・ポトン・ド・ザントライユ(Jean Poton de Xaintrailles、34歳)
ラ・イルとは同郷の腐れ縁。アルマニャック伯に雇われ、パリを脱出した王太子一行に加勢するべく後を追ってきた。じつは方向音痴。ラ・イルと行動を共にすることが多い。
1390年生まれ。
▼クレルモン伯シャルル・ド・ブルボン(Charles de Bourbon/Comte de Clermont、23歳)
ブルボン公の嫡男。父がイングランドの捕虜になっているため、実質的なブルボン公。いつも派手な服を着ている裕福な貴公子で、プライドが高いが、王家への忠誠心も高い。
1401年生まれ。
▼ブルボン公(Jean de Bourbon、43歳)
クレルモン伯の父。アジャンクールの戦いで捕虜になり、ロンドン塔に幽閉中。
1381年生まれ。
▼ルニョー・ド・シャルトル(Regnault de Chartres、44歳)
ランス教区の大司教。シャルル七世をフランス王に即位させるために来訪する。
1380年生まれ。
【フランス王国・ヴァロワ王家】
▼イザボー・ド・バヴィエール(Isabeau de Bavière、53歳)
シャルル七世の実母。バイエルン公の長女で、神聖ローマ皇帝ルートヴィヒ四世の曽孫。シャルル六世の妃で、王の死後はフランス王太后として君臨。
王弟をはじめ、名のある貴族たちと見境なく関係を持つため、淫乱王妃と呼ばれる。王子・王女の養育費を使い込むほどの浪費家で、愛人とともに宮廷で権力を振るおうと画策するが、最愛のブルゴーニュ無怖公が殺され、息子のシャルルを憎んでいる。カトリーヌ王女が産んだ孫、ヘンリー六世(アンリ二世)に会いたがっている。
1370年4月28日生まれ。
▼ジャンヌ王女(Jeanne de Valois、33歳)
シャルル七世の姉。第二王女。ブルターニュ公ジャンの妃。おっとりしている。
1391年1月24日生まれ。
▼マリー王女(Marie de Valois、31歳)
シャルル七世の姉。第三王女。ポワシー女子修道院の院長。母性的な包容力がある。
1393年8月22日生まれ。
▼オデット・ド・シャンディベール(Odette de Champdivers、34歳)
狂人王の世話をしている侍女。タロットカードが好き。
シャルル六世との間に私生児マルグリットを産むが、母子ともに行方不明。
1390年生まれ。
▼マルグリット(Marguerite de Valois、17歳)
シャルル七世の異母妹。シャルル六世と侍女オデット・ド・シャンディベールの間に生まれた私生児だが、母子ともに行方不明。
1407年生まれ。
【オルレアン家】
▼オルレアン公シャルル・ドルレアン(Charles d'Orléans、30歳)
シャルル七世のいとこ。ジャンの異母兄。
王弟オルレアン公の嫡子で、現在のオルレアン公。
詩を好む穏やかな貴公子だが、ひそかに両親の敵討ちを誓っている。
アジャンクールの戦いで捕虜となりロンドン塔に幽閉中。監視をごまかして
1394年11月24日生まれ。
▼ジャンヌ・ドルレアン(Jeanne d'Orléans、15歳)
シャルル七世の姪。シャルル・ドルレアンとイザベル王女の長女。
誕生直後に実母イザベルと死別し、6歳のときに父と生き別れている。ややファザコン気味。
1409年9月13日生まれ。
▼ボンヌ・ダルマニャック(Bonne d'Armagnac、31歳)
アルマニャック伯の娘。シャルル・ドルレアンの後妻。
ロンドン塔幽閉中の夫に代わってオルレアンを統治しながら、継子ジャンヌを養育する。
1393年2月19日生まれ。
▼コルネイユ(Corneille、年齢不詳)
ロンドン塔に生息する
シャルル・ドルレアンがフランスとの連絡手段としてひそかに調教し、伝書鳩の代わりに利用している。コルネイユとは、古語で「黒いカラス」を意味する。ジャンヌ・ドルレアンが命名。
▼マリエット・ダンギャン(Mariette d'Enghien、生没年不詳)
ジャンの実母。王弟オルレアン公の愛人。宮廷一の踊り子として知られていた。
【ブルゴーニュ公・ブルゴーニュ派】
▼ブルゴーニュ公フィリップ(Philippe de Bourgogne、28歳)
父・無怖公の殺害に関わった王太子(シャルル)に対抗するため、イングランドと同盟を結ぶ。
英仏の戦いをよく観戦しているが、なかなか参戦しない。
リッシュモンとは幼なじみで友人でもある。いつも黒い服を着ている。
1396年7月31日生まれ。
▼マルグリット・ド・ブルゴーニュ(Marguerite de Bourgogne、31歳)
ブルゴーニュ公フィリップの姉。無怖公の長女。
元フランス王太子妃でギュイエンヌ公夫人だったが、リッシュモンと政略結婚する。
1393年12月8日生まれ。
▼アンヌ・ド・ブルゴーニュ(Anne de Bourgogne、20歳)
ブルゴーニュ公フィリップの妹。無怖公の六女。ベッドフォード公と結婚する。
英語名はアン・オブ・バーガンディ。
1404年生まれ。
▼アニエス・ド・ブルゴーニュ(Agnès de Bourgogne、17歳)
ブルゴーニュ公フィリップの妹。無怖公の七女。シャルル七世の元婚約者。
生まれてすぐ、当時4歳のシャルルと婚約が決まったが、オルレアン公殺害やパリ暴動を扇動した罪で無怖公が追放されたときに破談になった。
1407年生まれ。
▼ブルターニュ公ジャン・ド・ブルターニュ(Jean de Bretagne、35歳)
リッシュモンの兄。賢明公。一時、失踪していたが無事に復帰する。
1389年12月24日生まれ。
▼ギヨーム・グリュエル(Guillaume Gruel、年齢不明)
ブルゴーニュ公フィリップがリッシュモンに与えた副官。
戦時は盾持ち役、平時は書記官を務める。上官リッシュモンに心酔しているが、シャルル七世のことはあまり好きではない。
【アンジュー家】
▼ヨランド・ダラゴン(Yolande d'Aragon、40歳)
アンジュー公の妃。アラゴン王国の王女。
長女マリーとの婚約を名目に、シャルル七世を修道院から引き取って養育した。
夫アンジュー公の死後、子供たちをつれてプロヴァンスに移り住む。
慈愛と聡明さを兼ね備えた美しい未亡人。
1384年8月11日生まれ。
▼マリー・ダンジュー(Marie d'Anjou/Reine de France、20歳)
アンジュー公とヨランドの長女。婚約期間9年を経てシャルルと結婚、フランス王太子妃(王妃)になる。
1404年10月14日生まれ。
▼ルネ・ダンジュー(René d'Anjou、15歳)
マリーの弟。騎士道物語をはじめ、文学・音楽・絵画を愛する。ちょっと寒がり。
1409年1月16日生まれ。
▼シャルル・ダンジュー(Charles d'Anjou、10歳)
マリーとルネの弟。愛称はシャルロット。
1414年10月14日生まれ。
【イングランド王国・ランカスター王家】
▼ベッドフォード公ジョン・オブ・ランカスター(John of Lancaster/Duke of Bedford、35歳)
ヘンリー五世の弟。ヘンリー六世の叔父。
兄の遺言でイングランド摂政となり、フランスを統治する。シャルル七世を敵視している。
1389年6月20日生まれ。
▼イングランド王ヘンリー六世(Henry VI/King of England、3歳)
イングランド王国ランカスター王朝・第三代国王。
ヘンリー六世とフランス王女カトリーヌ(キャサリン)の子。
フランス王としてはランカストル王朝・初代アンリ二世。
1421年12月6日生まれ。
▼キャサリン・オブ・ヴァロワ(Catherine of Valois、23歳)
シャルル七世の姉。シャルル六世の第五王女で、フランス名はカトリーヌ・ド・ヴァロワ。
姉王女マリーとポワシー修道院で暮らしていた。第一王女イザベルに生き写し。
ヘンリー五世と結婚してイングランド王妃となりヘンリー六世を産む。
1401年10月27日生まれ。
▼ジャンヌ・ド・ナヴァール(Jeanne de Navarre、54歳)
元ブルターニュ公夫人。リッシュモンの実母。
ヘンリー四世の後妻で、ヘンリー五世とベッドフォード公の継母。実権なきイングランド王太后。
1370年生まれ。
▼グロスター公ハンフリー・オブ・ランカスター(Humphrey of Lancaster/Duke of Gloucester、34歳)
ヘンリー五世とベッドフォード公の弟。
兄の遺言でイングランド護国卿となり、イングランドを統治している。
1390年10月3日生まれ。
▼エクセター公トマス・ボーフォート(Thomas Beaufort/Duke of Exeter、47歳)
ヘンリー五世とベッドフォード公の叔父。
ボージェの戦いで王太子軍に敗北・捕虜になっていたが、ヘンリー五世の死をきっかけに解放され、イングランドに帰還した。1377年生まれ。
▼ソールズベリー伯トマス・モンタキュート(Thomas Montacute/Earl of Salisbury、36歳)
イングランド軍の司令官。ボージェの戦いで王太子軍に敗北し、リベンジを誓う。
1388年生まれ。
【その他】
▼神聖ローマ皇帝ジギスムント(Sigismund von Luxemburg/Römisch-deutscher Kaiser、56歳)
神聖ローマ帝国の皇帝。人がいいが抜け目がなく、気まぐれで油断できない人物。ブルゴーニュ無怖公とは昔なじみの戦友。十字軍の英雄になることを夢見ている。コンスタンツ公会議で対立教皇を廃し「
1368年2月15日生まれ。
▼教皇マルティヌス五世(Martinus V/Ottone Colonna、56歳)
ローマ教皇。本名はオットーネ・コロンナ。教会大分裂によって誕生した教皇三人を退位させ、新たな教皇に選ばれた。ヤン・フス処刑当時はまだ枢機卿だったが、恩義ある皇帝ジギスムントへの配慮から十字軍を派遣してフス派を弾圧。英仏が争う百年戦争を和平解決したいと望み、しばしばフランスへ使節を送るが、どちらかといえばイングランドとブルゴーニュの利害を優先している。
1368年生まれ。
▼スコットランド王ジェームズ一世(James Stewart/King of Scots、30歳)
スコットランド王国スチュアート王朝・第三代国王。王太子だった11歳のとき、パリ留学へ向かう海上でイングランドに拉致され、ロンドンのウィンザー城に幽閉される。ヘンリー五世の従妹ジョウンとの結婚を機に18年ぶりに帰国・即位した。
1394年12月8日生まれ。
【故人】※没年順
▼
シャルルの父。フランス王国ヴァロワ王朝・第四代国王。
生まれつき精神が弱く、統治・認知能力に欠けている。トロワ条約に調印、息子のシャルルを廃嫡してヘンリー五世に王位継承権を与える。
1368年12月3日生まれ。1422年10月21日没。
▼イングランド王ヘンリー五世(Henry V、享年35歳)
イングランド王国ランカスター王朝・第二代国王。
休戦協定を破り、フランス王位を要求して宣戦を布告。百年戦争を再開した元凶。アジャンクールの戦いで大勝利を治める。モー包囲戦で勝利した後、急死した。
1387年9月16日生まれ。1422年8月31日没。
▼ミシェル王女(Michelle de Valois、享年27歳)
シャルル七世の姉。シャルル六世の第四王女。ブルゴーニュ公フィリップの妃。
勝ち気で家族想いだが、母イザボーとは険悪。母が送り込んだ侍女に毒殺されたといわれている。
1395年1月11日生まれ。1422年7月8日没。
▼ブシコー元帥(Boucicaut/Jean le Maingre、享年55歳)
本名はジャン・ル・マングル。フランス軍司令官。
昔ながらの騎士道を体現した人物で、騎士のためのトレーニングマニュアル本を著す。アジャンクールの戦いで敗れて捕虜となり幽閉中に死去する。若い同胞を帰国させるため、自分の身代金を譲っていたといわれる。
1366年8月28日生まれ。1421年6月21日没。
▼クラレンス公トマス・オブ・ランカスター(Thomas of Lancaster/Duke of Clarence、享年33歳)
ヘンリー五世の弟。ベッドフォード公の兄。ボージェの戦いで王太子軍に敗れ、戦死した。
1388年9月29日生まれ。1421年3月22日没。
▼無怖公ブルゴーニュ公(Jean de Bourgogne/Jean sans Peur、享年48歳)
フランス最大勢力の貴族。淫乱王妃イザボーの愛人。
王弟オルレアン公を殺害して宮廷の実権を握ったが、暴動と反乱を企てたことがばれて逃亡。王太子と対立した王妃を抱き込み、宮廷復帰を目論む。モントロー橋上で殺される。
1371年5月28日生まれ。1419年9月10日没。
▼アルマニャック伯ベルナール・ダルマニャック(Bernard d'Armagnac、享年58歳)
ガスコーニュ地方アルマニャック出身。ガスコン人。
賢明王シャルル五世時代の名将ゲクランから知略を学んだ。亡き王弟オルレアン公の家臣と、反ブルゴーニュ派貴族を取り込んで対抗勢力「アルマニャック派」を形成。ブルゴーニュ公のクーデターで失脚し、拷問・斬首される。
1360年生まれ。1418年6月12日没。
▼大法官アンリ・ド・マルル(Henri de Marle)
アルマニャック派の重臣。王印(玉璽)を預っている。
息子を連れてパリ脱出を図るが、ブルゴーニュ派に王印を奪われ父子ともに惨殺される。
▼アンジュー公ルイ・ダンジュー(Louis d'Anjou、享年40歳)
マリー・ダンジューとルネの父。マリーとの婚約を名目に、シャルルを修道院から引き取った。
大諸侯のひとりだが気さくな性格。子供たちの養育と領地経営に専念している。
1377年10月5日生まれ。1417年4月29日没。
▼王太子ジャン・ド・トゥーレーヌ公(Jean de Touraine、享年19歳)
シャルル七世の兄。シャルル六世の第四王子。
兄ルイの死後、王太子の身分を継承するが、パリへ戻る途中で急死する。
1398年8月31日生まれ。1417年4月5日没。
▼ベリー公(Jean de Berry、享年76歳)
シャルル五世の弟。シャルル六世の叔父。
芸術家のパトロンとして知られ、『ベリー公のいとも豪華なる時祷書』を製作。後継者の息子に先立たれていたため、所領と遺産の多くは王領に編入され、のちにシャルル七世が王太子になったときに相続する。
1340年11月30日生まれ。1416年3月15日没。
▼王太子ルイ・ド・ギュイエンヌ公(Louis de Guyenne、享年18歳)
シャルル七世の兄。シャルル六世の第三王子。
父王に統治能力がないため、幼少期から国王代理を務める。
義父ブルゴーニュ公の謀略を暴き、宮廷から追放した。称号はギュイエンヌ公。
1397年1月22日生まれ。1415年12月18日没。
▼ドルー伯シャルル・ダルブレ(Charles d'Albret/Comte de Dreux、享年47歳)
フランス軍司令官。アジャンクールの戦いで敗れて戦死する。
1368年生まれ。1415年10月25日没。
▼ヤン・フス(Jan Hus、享年46歳)
プラハ大学の学長。教会の腐敗を批判し、コンスタンツ公会議で異端宣告を受けて火刑に処された。支持者が反乱を起こしてフス戦争が勃発。
1369年生まれ。1415年7月6日没。
▼イングランド王ヘンリー四世(Henry IV/Henry Bolingbroke、享年47歳)
イングランド王国ランカスター王朝・初代国王。
穏健派のリチャード二世に追放され、ブルターニュに逃れていたが、帰国して主戦派の仲間とともにクーデターを起こす。リチャード二世を監禁して餓死させると、王位を簒奪してイングランド王に即位した。即位前はヘンリー・ボリングブルックと呼ばれていた。
1366年4月3日生まれ。1413年3月20日没。
▼イザベル王女(Isabella de Valois、享年20歳)
シャルル七世の姉。シャルル六世の第一王女。
百年戦争休戦の証しとして、7歳でイングランド王リチャード二世の妃になる。
クーデターでリチャード二世が退位・餓死するとフランスへ帰され、従兄弟シャルル・ドルレアンと再婚するが、長女ジャンヌを出産した直後に亡くなる。
1389年11月9日生まれ。1409年9月13日没。
▼ヴァランティーヌ・ヴィスコンティ(Valentine Visconti、享年42歳)
オルレアン公夫人。ミラノ公の娘。シャルル・ドルレアンの実母。
夫である王弟オルレアン公暗殺の真相究明と犯人の断罪を求めていたが、王妃イザボー・ド・バヴィエールに「陰謀を企てた反逆者」として疎まれ、失意のうちに急死する。庶子のジャンを引き取り、実子と分け隔てなく養育した人格者。
1366年生まれ。1408年12月4日没。
▼王弟オルレアン公(Louis d'Orléans、享年35歳)
狂人王シャルル六世の弟。シャルル七世の叔父。ジャンの父。
ジャンが5歳の誕生日当日、王妃の愛人で政敵のブルゴーニュ公に暗殺される。
1372年3月13日生まれ。1407年11月23日没。
▼オリヴィエ・ド・クリッソン(Olivier de Clisson、享年71歳)
百年戦争のフランス軍三大名将のひとり。
リッシュモンの父とは幼なじみで好敵手だったが遺言を託され、幼少期のブルターニュ公・リッシュモン兄弟を保護する。
1336年4月23日生まれ。1407年4月23日没。
▼イングランド王リチャード二世(Richard II、享年33歳)
イングランド王国プランタジネット王朝・最後の国王。
穏健派で、英仏百年戦争は一度休戦協定が結ばれるが、主戦派のヘンリー・ボリングブルック(のちのヘンリー四世)のクーデターで退位させられ、幽閉先で餓死する。
1367年1月6日生まれ。1400年2月14日没。
▼
シャルル七世の祖父。フランス王国ヴァロワ王朝・第三代国王。
王太子だった19歳のときに父ジャン二世(シャルル七世の曽祖父)がイングランドに捕らわれて以来、国政を取り仕切る。病弱だが、賢君と誉れ高い。
1338年1月21日生まれ。1380年9月16日没。
▼ベルトラン・デュ・ゲクラン(Bertrand du Guesclin、享年60歳)
百年戦争のフランス軍三大名将のひとり。
容姿が醜く「鎧を着た豚」などと呼ばれるが、シャルル五世に見出された。
1320年生まれ。1380年7月13日没。
▼
シャルル七世の曽祖父。フランス王国ヴァロワ王朝・第二代国王。
ポワティエの戦いで敗北してイングランド軍に捕らわれ、虜囚のままロンドンで亡くなる。
1319年4月16日生まれ。1364年4月8日没。
▼
シャルル七世の高祖父。フランス王国ヴァロワ王朝・初代国王。
即位前の称号はヴァロワ伯。カペー王朝直系の男系男子が途絶えたため、フィリップ三世の男系の孫としてフランス王に即位したが、イングランド王エドワード三世(フィリップ四世の女系の孫)が王位継承権を主張し、英仏・百年戦争が勃発する。
1293年11月17日生まれ。1350年8月22日没。
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