9.3 不名誉よりも死を(2)ブルターニュ兄弟

 アルテュール・ド・リッシュモンと兄のブルターニュ公は、幼くして父と死別し、母と生き別れた。それゆえに仲の良い兄弟だった。


 のちに、母親の再婚相手ヘンリー四世が亡くなると、息子のヘンリー五世は百年戦争を再開してフランスを侵攻。

 ブルターニュ兄弟からすればヘンリー五世は血のつながらない兄だが、リッシュモンはフランス陣営として参戦することを決め、兄のブルターニュ公は、弟の武運を祈る手紙を送った。


「不名誉よりも死を」


 激励というには苛烈すぎる言葉だが、あの兄弟ならではの思い入れがあるらしい。

 歴代ブルターニュ公は英仏の間でしたたかに立ち回り、見返り抜きにどちらかに肩入れすることはめったになかったが、リッシュモンの兄は、弟が所属するフランス陣営を加勢しようとブルターニュ軍8000人を率いて出陣、後を追った。


 幸か不幸か、アジャンクールの戦いには間に合わなかった。

 勝者となったヘンリー五世は、多すぎる捕虜を村の家畜小屋に閉じ込めて焼き払った。

 ブルターニュ公はアジャンクール戦後の惨状を目撃しただろう。騎士たちの焼死体を見つけて、弟の身を案じ、肝をつぶしたに違いない。


 実際には、リッシュモンは生き延びて捕虜となり身代金を要求された。

 このころのブルターニュ公は、弟を人質に取られた弱みがあるため、イングランドに協力せざるを得ない立場になっていた。


 高額な身代金を払ってもなお、リッシュモンは虜囚のままでイングランドに留め置かれたが——。


「アルテュール!」

「兄上、ご無沙汰しています」


 ヘンリー五世のフランス遠征に付き添う名目で5年ぶりに帰郷し、ブルターニュ公兄弟は久しぶりに再会を果たしたのだった。


「虜囚生活はつらくないか? 私にできることがあればなんでも言ってくれ」

「人の心配をしている場合ですか! 兄上こそよくぞご無事で……」

「はは、私は大丈夫だ」

「あんな事があったのに大丈夫な訳がないでしょう! こんなに痩せて……」


 感動の再会と思いきや、弟の剣幕に、兄はたじろいだ。

 しかし、兄らしくブルターニュ公らしく、すぐに気を取り直すと、いたわるように弟の顔を撫でた


「アルテュールこそ、顔に傷を負っている」

「これは名誉の負傷です」

「アジャンクールか?」

「不名誉よりも死を、でしょう?」


 兄弟の顔が、同時にほころんだ。 


「心配かけてすまん」

「私こそ、不甲斐ない弟で申し訳ありません」

「何を言う。普通は、兄が弟を守るものだろう」

「いいえ。あの日、私は兄上とブルターニュを守る騎士になると誓いました。それなのに何もできなかった」


 ある事件に巻き込まれた兄を守れなかった。

 そのことで、リッシュモンは自責の念にかられていた。




***




 父と死別し、母と生き別れ、子供たち——リッシュモンとブルターニュ公兄弟だけがフランスに残った。

 兄がブルターニュ公として即位した日、兄弟は手を繋いで家臣団の前にお目見えした。

 兄が君主の座につくと、弟は開口一番、「兄上の剣をください」とねだった。


「フランスもイングランドも大きくて立派な国です。でも、私はブルターニュが一番好きだから、大切な兄上とブルターニュを守る騎士になりたい!」


 主君から家臣へ剣を授ける行為は臣従儀礼のひとつだ。騎士の誓いともいう。

 若きブルターニュ公は優しく微笑むと、弟の一途なおねだりに応えるべく、その手に剣を取った。


「不名誉よりも死を」

「ふめいよ……?」

「これはブルターニュの家訓で、偉大な祖先に恥じぬようにという意味の誓いの言葉だ」


 兄は誓約の言葉とその意味を、弟に教えた。

 兄弟ともに幼かったから、誓いの重みを理解していたかわからないが、何度もつぶやいて記憶した。


「不名誉よりも死を……」

「偉大な祖先に恥じぬように……」


 私が知る限り、アルテュール・ド・リッシュモンはもっとも高潔な人物に違いなかったが、潔癖すぎるあまり、時に強引で、まれに高圧的なところがあった。

 その性格は、幼い日に刷り込まれた家訓と無縁ではなかったように思う。


「私はブルターニュ公を継ぐ。そしてアルテュールは……」

「私は偉大なブルターニュの騎士になります。そして兄上と故郷を守ります!」


 リッシュモンは、兄のブルターニュ公と愛する故郷ブルターニュに忠誠を誓った。


「不名誉よりも死を!」


 二人にとって、この家訓は兄弟の絆となり、同時に呪いの言葉になり得た。

 偉大な祖先に恥じぬようにというよりは、「兄の/弟の名誉を傷つけるならば、みずから命を絶つことも厭わない」と心に刷り込まれた。


 庇護者のいない子供たちは誓いを胸に刻み、手を取り合って生き延びた

 互いを思う気持ちが、生命力と兄弟愛を育んだのだろう。

 それは、美談だが悲劇でもある。




***




 高潔なリッシュモンは、兄の危機に何もできなかった自分を恥じた。

 虜囚とはいえ、ロンドン塔で安穏と暮らしていたことを悔いた。

 そして、兄を陥れた相手を生涯許さなかった。


「私たちは幸運のおかげで生き延びた。過去を悔いるよりも、無事に再会できたことを喜ぼう」

「兄上には神のご加護が付いていると信じていました。きっと助かると……。ですが、不正義な者には罰を下さなければなりません」

「アルテュール、一体何の話だ?」

「安心してください。二度とブルターニュに手を出さないように、王太子を……、シャルルを痛めつけてきます。そのために私は帰ってきたのですから」


 このころ、私は身に覚えのないことでリッシュモンから一方的に恨まれていた。







(※)「不名誉よりも死を」は、ブルターニュに伝わる昔ながらの「戒め(スローガン)」の言葉。


・ブルトン語:Kentoc'h mervel eget bezañ saotret.

・フランス語:Plutôt la mort que la souillure.


直訳すると「穢れよりもむしろ死を」でしょうかね。

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