8.15 黒衣の使者(2)

 使者コルネイユに会うため、私たちは中庭へ向かった。


「私はパパに似ているかい?」


 少女の名はジャンヌ・ドルレアン。

 従兄シャルル・ドルレアンの一人娘だ。


「ジャンヌ、この方は王太子様です。ご無礼があってはなりませんよ」

「ご、ごめんなさい……」

「大丈夫、ぜんぜん無礼じゃないよ」


 ボンヌ・ダルマニャックとの対面は、嫌でも亡き宰相を思い出してしまう。

 気詰まりだったから、無邪気な少女の乱入は正直ありがたかった。


「パパに少しだけ」

「そうか」

「パパの方がハンサムかも」

「そうかー」


 三年前、シャルル・ドルレアンはアジャンクールの戦いで敗戦の将となり、イングランドに捕らわれた。

 それ以来、父娘は離ればなれになった。

 父は21歳、娘は6歳だった。


「主人よりも……」


 ボンヌは娘の発言に振り回されている様子だったが、この場の雰囲気はだいぶ和らいだ。


「殿下は、この子の母君に似ていらっしゃる」


 ボンヌの発言を受けて、ジャンヌがまたこちらを凝視している。

 言われてみて、私も「あぁ、そういえば」と思い出した。


 ジャンヌの生母は、私の長姉イザベル王女だ。

 英仏の休戦の証として、7歳でイングランド王リチャード二世に嫁ぎ、クーデターで王が死ぬと、10歳で未亡人となって帰国。その後、シャルル・ドルレアンと結婚して一人娘をもうけたが、出産してすぐに他界した。


(私は姉上に似ているのか? 会ったことがないからよく分からないな)


 シャルル・ドルレアンは、わずか二年の間に両親と妻を亡くした。

 15歳の若さで父となり、オルレアンの君主となり、手元には生まれたばかりのジャンヌだけが残された。


「ママのことは覚えてないわ。私のお母様はボンヌだけよ」


 ボンヌ・ダルマニャックはシャルル・ドルレアンの後妻で、ジャンヌの継母になる。

 ジャンヌは姉の子だから、私の姪でもあった。




 ***




 中庭には見覚えのある木箱と、侍従と狩人がいた。


「コルネイユ! 待ってたわ」


 木箱には、黒衣の使者が潜んでいた。

 狩人が、使者の足元にくくりつけられた紙片を慎重に取り外す。

 侍従はその紙片を受け取ると、ボンヌに差し出した。


「ご苦労様です。後のことは任せます」

「御意」


 コルネイユは人名だが、古語で「黒いカラス」を意味する。

 ボンヌが指示すると、狩人はカラスを連れて下がった。

 ジャンヌが、狩人の背中に向かって「食べ物とお水をたくさんあげてね」と付け足した。


 シャルル・ドルレアンのカラス通信は、パリの宮廷以外にも開通していたというわけだ。


「殿下のご来訪と、主人からの通信がかち合って良うございました」

「私が見ても構わない?」

「もちろんです」


 途中でカラスが落としてしまわないよう、小さな紙片2通にびっしりと文字が書かれていた。

 1通目はボンヌ・ダルマニャック宛ての手紙で、シャルル・ドルレアンが知り得た極秘情報が記されていた。もう1通は、ジャンヌ宛てだ。


「あぁ、愛しのパパ……」


 よほど待ちわびていたのか、ジャンヌは父の手紙に頬ずりしている。

 この物語を読んでいる読者諸氏の時代風にいうと、少々ファザコンの気質があるのかもしれない。だが、ジャンヌの気持ちはわからなくもない。

 私は、10歳の時に受け取った兄の手紙をずっと肌身離さず持ち歩いている。ブラコンと呼ばれても構わない。


「イングランドが……」


 ボンヌは手紙に目を通すと、険しい表情で「イングランドがブルゴーニュ領に攻撃を仕掛けたそうです」と告げた。


「えぇっ!」

「どうぞ、ご査収くださいませ」


 ボンヌは、シャルル・ドルレアンの手紙を差し出した。


「驚いたな。イングランドは、母とブルゴーニュ公の臨時政府を支持していたから、盟約を結んでいると思っていたのに」

「仲間割れでしょうか?」


 ボンヌとオルレアンの重臣、私とシャステルと侍従たちと話し合ったが、イングランドとブルゴーニュ公の関係はよく分からなかった。

 どれだけ考えても結局のところ、ただの憶測だ。


 わかっていることは、イングランドがブルゴーニュ領を攻撃したという事実。

 そして、そのおかげで、私は命拾いをしたということ。


 クーデターが起きて、王太子一行はパリを脱出し、ブルゴーニュ派がパリを掌握した。

 捕らわれたアルマニャック派の重臣は、厳しく処断されたと聞く。

 その一方で、パリ脱出に成功した者はみな無事だ。


(私とシャステル、ライル、ザントライユ。武器を持たないシャルティエまでもが……)


 今にして思えば、私たちの逃亡劇は、不思議なほど追跡者の存在を感じなかった。

 だが、無怖公ブルゴーニュ公がパリへ入城している隙に、手薄になったブルゴーニュ領が襲われたとなれば、納得がいく。

 おそらく、王太子の捕獲よりも自領防衛を優先したのだろう。

 不本意だが、私はイングランドに救われたと言える。




 ***




 突如、キャー!と甲高い悲鳴が響いた。

 びくりと振り返ってみると、ジャンヌが悶絶していた。

 悲鳴というより、黄色い声といったほうが正しいかもしれない。


「どうしたの?」

「パ、パパがぁ……」


 ジャンヌは真っ赤な顔で、しばらく逡巡すると、胸に抱きしめていた手紙を差し出した。


「読んでください。できれば声に出して」


 シャルル・ドルレアンが娘ジャンヌに宛てた手紙だ。

 ボンヌがたしなめようとしたが、私は制して、ジャンヌに向き合った。


「読んでもいいの?」

「……よろしくてよ」

「なぜ私に?」


 他人宛ての手紙を読むのは気がひける。

 それに、ジャンヌがいいと言っても、差出人のシャルル・ドルレアンは読まれるのを嫌がるかもしれない。


「読んでください! お願いします!」


 躊躇していると、ジャンヌは食い気味に「お願い」を言いながら手紙を押し付けてきた。


「王太子様の声はちょっとだけパパに……お父様に似ているの。だから!」

「ああ、なるほど」

「お願いします!」


 一応、ジャンヌの継母であるボンヌに許可を得て、私はシャルル・ドルレアンが愛娘に送った手紙を開いた。

 そこには、神への祈りのような詩がしたためられていた。


「じゃあ読むよ。神よ、素晴らしき娘を創造してくださったお方よ……」



====================

 上品でやさしくて美しい貴女ジャンヌへ。

 あまりにも素敵なひとだから、みんなが貴女を褒めている。

 貴女に飽きる人などいるのだろうか。

 貴女の魅力はますます増していくのだろう。

 はるかかなたの海の向こうにも、

 貴女ほどすてきな淑女や令嬢がいるとは聞いたことがない。

 すべてが完璧で、夢のように素晴らしい貴女だから!

 貴女について考えるだけでも夢ごこち。

====================



「神よ、素晴らしき貴女を創造してくださったお方よ……」


 読み終わって顔を上げると、ジャンヌはボンヌにすがりついて、またもや悶絶していた。


「お母様、大変! ジャンヌの耳が昇天してしまいます!!」

「あらあら、まあまあ……」


 詩の代読は気に入ってもらえたようだ。


「さあジャンヌ、王太子様にお願いごとを聞いていただいたのですから、淑女らしくお礼を申し上げないと」


 ボンヌに促されると、ジャンヌは顔を拭って立ち上がり、私の前まで来るとドレスの裾を引いて礼をした。

 賑やかな女の子だが、傍系王族の令嬢として教育が行き届いているようだ。


「美しい詩を読ませてくれてありがとう。ジャンヌ嬢は父君に愛されているね」

「はいっ!」


 私は侍従が掲げた盆に手紙を返し、シャルル・ドルレアンの手紙はジャンヌに返された。


「パパ、早く帰ってきたらいいのに」


 ジャンヌは手紙を抱きしめながら、ぽつりと「早く帰ってこないと、ジャンヌは淑女になってしまうわ」とつぶやいた。


 離れて暮らす親を思慕する気持ちは、私も痛いほどにわかる。

 手紙よりも、声や容姿が似ている誰かよりも、父娘本人を会わせてあげたい。

 きっと、この場にいた誰もがそう思っただろう。


 現実は残酷だ。


 のちに、シャルル・ドルレアンは愛娘ジャンヌの訃報を聞き、慟哭の詩を書き残している。

 離れ離れになった父娘は、二度と会うことはなかったのだ。



====================

 プレザンスが死んでしまったから

 5月だというのに私は黒衣をまとう

 こんなものを見るのはとても悲しい

 私の心がこれほどまでに沈んでいるのを


 私がこのような衣服を装っているのは

 その務めを果たさんがため

 プレザンスが死んでしまったから

 5月だというのに私は黒衣をまとう


 このような知らせをもたらした季節は

 もう華やかさを持つことはない

 涙雨がいたく降り注ぐから

 野を引き上げてその扉を閉ざす

 プレザンスが死んでしまったから

====================



 詩の中に出てくるプレザンスは「喜び」を意味する。

 1432年5月19日、ジャンヌ・ドルレアンはみずみずしい新緑の季節に息を引き取った。享年22歳。

 シャルル・ドルレアンにとって、愛娘はまさしく「喜び」そのものだったのだろう。

 ロンドン塔に幽閉された彼の心痛は計り知れない。







(※)今回の「シャルル・ドルレアンの詩」2篇は、実在する詩を参考にしています。


▼ロンドン塔に幽閉されたフランス王子、シャルル・ドルレアンの詩

https://charles7emeciel.blogspot.com/2020/04/blog-post_16.html

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