8.13 ラ・ロシェル視察(3)試射

 市長の指示で、塔の守備兵がにわかに慌ただしくなった。


「仮に、艦隊を商船に偽装して敵が近づいてきたとしましょう」


 火砲一式を組み立てている間に、火薬と弾丸が運び込まれた。

 港には、船を沖に出さないように伝令が向かった。


「投石機や火砲を積み込むほどの船は、大きくて重い。重量船が無理やり入江に侵入すれば浅瀬に乗り上げて座礁します。動けなくなったところで……」


 火薬はとても高価なので試運転は一発のみ。

 五方向に射撃できるらしい。


「こいつをズドン! と撃ち落としてやるのです」


 市長ご自慢の火砲は、すさまじい轟音とともに発射された。

 私は思わず耳を塞いだが、目は閉じなかった。

 塔の最上階から撃ち上げた石の弾丸は、大きな放物線を描きながら沖合に落下し、遠くで水柱が上がった。

 もし、船に命中していたら木っ端微塵に吹き飛んでいただろう。


「あれは……」


 視線の先、海の向こうにうっすらと陸が見えた。

 昨夜、ラ・ロシェル周辺の地図を見ながら、港湾の沖に島があったのを思い出した。


レ島イル・ド・レです」


 市長は、「もちろんあの島もフランス領ですよ」と付け加えた。


「もしや、ブルターニュのレー伯とゆかりが深いのでは?」

「シャステル、何か知っているのか」

「現・当主の孫ジルはかのベルトラン・デュ・ゲクランの曾孫でして」


 当主と孫は血縁関係ではなかったが、勇猛な性格を見込まれて養子となった。

 当主みずから厳しく躾け、同時に溺愛されているとも。


「殿下と同じくらいの年ごろだったかと存じます」


 歳が近いと聞いて、私は親近感を持った。

 祖父シャルル五世とゲクラン主従の話は、何度も聞いている。


「いずれは騎士となり、殿下のもとへ馳せ参じるに違いありません」

「ジル・ド・レーか。覚えておこう」


 王太子は、ブルゴーニュ公と対等に交渉できる力を示さなければならない。

 だが、私の実像は力強さとはかけ離れている。

 補強するためには、強い家臣が必要だ。

 私は、シャステルが推す人物に期待したいと思った。


 ヨランドの発案で「王太子の存在感」を広く知らしめているおかげで、アルマニャック派の残党が少しずつ集まってきたが、王国政府を標榜するには武官も文官も人材が足りなすぎる。


 やがて海は静けさを取り戻し、退避していた船がちらほらと出港し始めた。

 しばらくの間、塔の中は煙と火薬のにおいが立ち込めていたが、そのうち気にならなくなった。


「ありがとう市長。きょうはいいものを見せてもらった」

「光栄です」


 視察を終えてヴォクレール城に帰ると、出迎えのマリーが「くさい」と言って顔をしかめた。


「えっ、くさい?」

「なんだか、腐った卵のような匂いがします」

「腐った卵だって?!」


 思わず、着ている服をつまんで匂いを嗅いだ。

 どうやら火薬のにおいが服に染み付いてしまったようだ。

 黒色火薬は、木炭と硝石と硫黄でできているので独特の匂いがする。


「たぶん火薬の匂いだと思う。食事の前に着替えるよ」

「かやく……ですか」

「火砲を撃ったんだ」

「かほう?」


 伝統的な騎士はあまり火砲を使いたがらない。

 騎士の強さは、日々の鍛錬で培われる。

 人力を軽視して火力に頼るのは騎士道にそむくという理屈だ。

 だが、私は「非力な人間でも、あのような道具があれば戦えるかもしれない」と大いに興味を掻き立てられた。


「すごかったよ。眠気が一気に吹き飛んだ!」

「ふふ、わたくしにはよく分からないけど、殿下が元気そうでよかった。朝はずいぶんやつれていたから」


 私は服を着替えると、もう一度くんくんと匂いを嗅いだ。


「まだくさいかなぁ」


 もし髪に匂いが染み付いていたら、服を着替えてもくさいに違いない。

 水浴びをしないと匂いは完全に取れないが、事前準備が必要だ。


 この物語を読んでいる読者諸氏の時代と違い、入浴も射撃も、さまざまな手順を踏まなければ実行できない。


 食事の準備中に、唐突に入浴の準備を割り込ませたら「王太子は下々の労働を顧みない、わがままな人物」だと不興を買うだろう。

 私は火薬臭を消すために香水を少し振りかけた。


「そういえば」


 火砲の試射にかまけて、市長にひとつ聞き忘れていた。

 塔の図面によると、客間の天井には上階へ繋がる「覗き穴」の仕掛けがある。

 つまり、客間でささやいた会話は、上へ筒抜け・丸見えというわけだ。

 客間に案内されると、私は目を凝らして観察したが、繊細な彫刻模様レリーフにまぎれて見分けがつかなかった。


 そして、市長も仕掛けについて何も言わなかった。


 深い意味はなく、単に説明し忘れたのかもしれない。

 誰かが、私たちを監視しながら聞き耳を立てていた可能性も捨てきれないが、いまさら確認するすべはなかった。



***



 余談になるが、後年、私はラ・ロシェルに「ランタンの塔」と呼ばれる三つ目の塔を建造する。

 さらにのち、私の死後に息子ルイ十一世がラ・ロシェル要塞を視察したとき、奇妙な構造にあきれて「頭がおかしい(狂っている)」と塔のどこかにらくがきを残したそうだ。訪問する機会があればぜひ探してみて欲しい。

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