8.11 ラ・ロシェル視察(1)

 この物語を読んでいる読者諸氏は、アレクサンドル・デュマの名著『三銃士』をご存知だろうか。17世紀フランス史をベースに、実在の人物をあつかった有名な歴史創作小説だ。


 かの物語で、主人公ダルタニャンはフランス西海岸にあるラ・ロシェルに従軍する。

 この地には、巨大な塔がそびえていた。

 時の宰相リシュリュー枢機卿は、物語では切れ者の悪役だが、歴史をたどると聖職者でありながらラ・ロシェル包囲戦に司令官として従軍し、この塔に本陣を置く。


 私が生きた時代は15世紀フランス。

 デュマの小説からさらに200年以上さかのぼる。

 私の物語の舞台は、百年戦争の後期にあたる。


 漁港で栄える港湾都市ラ・ロシェルに、筆者いわく「オーバーテクノロジー・・・・・・・・・・」な二つの塔を建造したのは、私の祖父・賢明王ル・サージュシャルル五世だった。


 もとは、対イングランドを想定した海上防衛施設だった。

 中世時代に作られた城塞の多くは、近世の火砲攻撃に耐えられず朽ちていったが、ラ・ロシェルの塔は200年後——17世紀の戦いでも現役の要塞として機能した。


 さらに時間を進めて、太陽王ルイ14世の時代。

 築城の天才ヴォーバンが近代的な防衛施設群として完成させ、21世紀現在、世界遺産と呼ばれる名所となっている。

 中世から近世・近代にかけて西洋式要塞と海戦に興味があるならば、一見の価値があるだろう。


 話を1418年に戻そう。

 私もまた、ラ・ロシェルとは浅からぬ縁があった。




 ***




 貿易都市ラ・ロシェルは三重の城壁によって守られていた。

 王太子ドーファン一行は北東にあるクーニュ門から入城すると、最初の囲みの中にあるヴォクレール城に落ち着いた。


「王太子殿下におかれましてはご機嫌うるわしゅう……」


 市長がうやうやしく出迎え、私はしきたり通りに臣従礼を受ける。


「お目にかかれて光栄です」


 にこやかで人の良さそうな人物だが、腕っぷしは強そうだ。

 市長は都市の代表者で、平時は商人だが、戦時には剣を振るい、前線で指揮を執る戦士でもある。


「二つの塔は、賢明王亡き後もまったく問題なく稼働しています」

「そうか。管理が行き届いているようで何よりだ」

「恐れ入ります」


 ラ・ロシェル訪問の目的は、二つの塔の視察だ。

 私たちは陸側の門から入ったが、海側には異様な玄関口があった。


 ひとつめの塔は、サン・ニコラ塔。

 ふたつめの塔は、シャインの塔。

 二つの塔は、巨大な鎖のゲートでつながっている。


「内部をご案内するだけでしたら今すぐでも構いませんが、塔の仕掛けをすべて起動してお見せするとなりますと……」


 市長は、日中の視察を勧めた。

 私は了承する代わりに「今夜は塔に関する資料を見たい」と希望した。

 市長は少し驚いたようだったが、「仰せのままに」と答えた。


 晩餐会もそこそこに私は退席すると書斎にこもった。

 机上には、二つの塔の図面と仕様書、賢明王時代の建造計画書などが積み上げられていた。

 急いで書庫から持ち出したのか、少々ほこりっぽい。


「整理が行き届かず、このように乱雑ですが、あの塔に関する資料をすべてご用意いたしました」


 部屋の片隅に、男がひとりいた。

 市長から王太子の接待を申し付けられたのだろう。


「資料でも軽食でも、必要なものがあれば何なりとご用命ください」


 どことなく市長と似ているから、息子かもしれない。

 秘書兼、雑用係として付き合ってくれるらしい。


「これで充分だよ。一晩では読みきれないかもしれない」

「まさか、ぜんぶ目を通すつもりですか」

「できるだけやってみる」


 秘書の男は無言だったが、呆れたように目を細めた。


(何だ……?)


 階級社会とは実に面倒くさい。

 何も言わなくても、本心は態度にあらわれる。


「立ちっぱなしでは疲れるだろう。その辺で楽にして座っていてほしい」

「恐れ入ります」

「夜は長い。私に付き合わないで寝てていいよ。誰にも言いつけないから」

「……恐れ入ります」


 王太子の道楽に一晩中付き合わせるのは申し訳ない。

 秘書の不満に配慮しながら、市長の顔をつぶさないように、細心の注意がいる。

 秘書が座ったのを見届けると、私はさっそく資料を手に取った。


「これが、おじいさまの時代の計画書……」


 少し古びた紙に、イカ墨のインクで書かれた文字。

 意外と神経質な筆跡で、こまごました経緯が記されている。


「おじいさまの字だろうか」

「いえ、名もなき建築士の筆跡でしょう」


 独り言のつもりだったが、秘書が訂正した。

 少し興を削がれたが、気を取り直して、別の紙束を手に取った。

 こちらの書類は急いでいたのか、かなり乱雑な筆跡で書かれていた。


「おじいさまの……」

「いえ、名もなき建築士が酔っ払ったときの筆跡でしょう」


 また秘書が横槍を入れた。

 もしかしたら、秘書の接待というのは表向きの理由で、監視役としてここにいるのかもしれない。


 資料はどれも書庫から出したばかりでほこりっぽかったが、手持ちの紙束はひときわ汚かった。

 よく見ると、ところどころに赤茶けたシミがついている。

 飲みかけのワインをこぼしたのかもしれない。


「失礼しました。訂正いたします」


 秘書がまた割り込んできた。


「その紙束は、サン・ニコラ塔の建造中に事故を起こしたときの報告書です。その赤いシミはおそらく……」


 紙束をめくろうとした手が止まった。

 私はまぶたを閉じると、胸の前で十字を切った。


 建造計画書、塔の仕様書、図面。

 その夜は、さまざまな機密文書を読みふけった。


 翌朝、マリーに「顔色が悪い」と心配された。

 一夜漬けで、ラ・ロシェルの情報を頭に詰め込んだのだから仕方がない。


「きょうは塔の視察へ行かれるのでしょう?」


 マリーは、侍女に化粧箱を持って来させると、磨かれた二枚貝の小物を取り出した。

 かちりと蓋を外すと、クリーム色の粉を練ったものが見えた。


「まさかそれは……」

「ただの白粉おしろいです。これで目の下のクマを消しましょう」


 逃げようとしたが、回り込まれてしまった。

 侍女たちはアンジューから連れてきたので、私よりもマリーを主人だと思っている。


「いい! いらないってば!」

「よくありません。視察とはいえ、臣下と民衆の前にお出ましになるのですから」


 不健康な顔色は、よけいな憶測を生む。

 男女に関係なく、身ぎれいにしておいて損はない。

 そんなことを言われながら、半ば無理やり、目の下に白粉を塗られた。


「恥ずかしい……」


 マリーは「臣下と民衆の前に出るなら不健康な顔色を隠した方がいい」と言ったが、私は「白粉を塗った顔で外出したくない」と思った。

 つい、目の下を触ろうとして止められた。


「せっかく肌色と馴染ませたのに、こすったらまだらになってしまいます」

「変じゃないか?」

「目の下のクマを消すために薄ーく塗っただけです」

「白すぎないか?」

「ご安心ください。この白粉は鉛を使ってませんから」


 マリーに笑顔で送り出された。

 護衛隊長のシャステルは何も言わなかった。

 市長は昨日と変わらず機嫌が良さそうだった。

 秘書はしきりに目をしばたたいていたが、単純に眠いのだろう。

 誰かに何か言われるのではないかと冷や冷やしたが、誰も何も言わなかった。

 時間が経つにつれて、私自身もそのうち白粉のことを忘れた。

 塔の視察で、頭がいっぱいだった。


 実際に二つの塔を訪れて、張り巡らされた仕掛けを起動し、なめらかに制御している光景を見て、私はひそかに「狂っている」と思った。

 私の父シャルル六世は狂人王ル・フーと呼ばれている。

 だが、賢明王と崇拝されている祖父シャルル五世の方が、圧倒的に頭がおかしい人物だった。







(※)重複投稿しているアルファポリスで挿絵「ラ・ロシェル包囲戦」をアップロードしました。

https://www.alphapolis.co.jp/novel/394554938/595255779/episode/2907302

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