8.8 招かれざる客(4)公妃の思惑と、令嬢の意思

 アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは、最愛の夫を亡くして未亡人となり、広大な領地と幼い遺児が残された。

 イングランドの脅威にさらされていたが、王家および宮廷からの支援は見込めない。

 アンジューばかりかフランス王国としても危機的な状況だった。

 だが、アンジュー領はイングランドにもブルゴーニュ派にも屈しなかった。


 生来、ヨランドは女王の気質を持っていたのだろう。

 夫の死によって、アラゴン王家の祖先から受け継いだ誇り高い気質が開花した。


「ロワール以南、南仏はわたくしにお任せください。祖国アラゴン王国にも使者を派遣して、殿下を支援するように取り計らいます」


 ヨランドは王太子ドーファンを援助すると約束し、それ以来、アルマニャック派とみなされるようになった。

 アルマニャック派の残党が再集結する前に、いちはやく存在感を示した。


 私はヨランドから受けた愛情を疑っていない。

 私がアンジューに引き取られた当時は、ふたりの兄が健在だった。

 10歳の末っ子王子が王位を継承するとは思わなかっただろう。

 私を養育してマリーと結婚させても、アンジュー家に見返りをもたらす可能性は低かった。


 私はヨランドの愛情を疑っていないが、都落ちした王太子を受け入れたとき、ヨランドの心に野心が芽生えても不思議ではないと思う。

 祖国で叶わなかった王位継承の夢を、私に託そうと考えたかもしれない。


 このころ、15歳だった私は、宮廷づくりに必要な助言と家臣団の一部を譲り受け、ひたすら感謝していた。愛情深くて頼もしい恩人だった。




***




 ヨランドと子供たちの一行が旅立ち、残る王太子一行は男が大半を占めたが、身のまわりの世話をする侍女も必要だ。

 少数の侍女を統率するために女主人が加わった。


「女主人とはおこがましい。わたくしはまだ婚約の身の上ですから、殿下に並ぶことはできません。ですが——」


 亡き父と、賢い母から精いっぱい学んできたこと。

 そして、いまは侍女のひとりとして力になりたいと言い、王太子一行に同行する旨を申し出た。


「公妃の……母君の言いつけでここに?」

「いいえ」


 彼女はかぶりを振ると、「わたくしの意思です」と言った。

 読者諸氏の時代風にいえば、こうだろうか。


 婚約者マリー・ダンジューが仲間になった。


「無理だよ」


 私ははじめ、マリーの申し出を断ろうとした。

 パリを脱出するときに王太子の身代わりとなったジャンのことを思い出したからだ。

 シャステルは「王太子を守る」任務のためなら何でもする。

 王弟の庶子デュノワ伯ジャンを切り捨てるなら、婚約者も例外ではないだろう。

 正式に婚姻して王太子妃になれば別格の扱いになるが、神の御前で誓いを立てれば、原則的に離婚できない。私はまだ結婚を申し出る勇気がなかった。


「私についてくるのは危険だ」

「王国内に、危険じゃない場所はありません」

「南は安全だよ。だから、公妃たちはプロヴァンスへ行くのだろう?」


 南仏はブルゴーニュ派の影響力が薄く、イングランドの脅威もない。


「今ならまだ追いつける。すぐに手配をしよう」

「お気遣いはご無用です。わたくしはシャルル兄様の……いいえ、王太子殿下のお役に立ちたい」


 マリーはまだ14歳だが、実年齢よりも聡明な少女だ。

 母のヨランドがしたたかな賢夫人だとしたら、マリーは人間関係の機微によく気がつき、こまやかに心を配るタイプだ。

 例えば、貴婦人の身だしなみともいえる紋章付きのハンカチで弟の鼻水を惜しげもなく拭き取ったり、子守の侍女が叱られないように「小さい子は暖かくて気持ちいいから私たちが抱いているの」とかばったり、私が剣術の稽古でかっこわるい姿を晒しそうなときにそっと席を外したり、水浴びの水に摘みたての花を仕込んだり。

 貴婦人の誇りを損なうことなく、それでいて言動は柔らかい。

 マリーのささやかな振る舞いに救われたことは数えきれない。


「もしマリーに何かあったら、公妃に顔向けできないよ」

「母はわたくしの決意を知っています。殿下についていくことを許してくださいました」


 まだ王太子妃として迎えることはできないが、マリーはだいじな友人だ。

 危険な目に遭わせたくない。それは本心だ。


「まったく、公妃は何を考えているんだ……」


 母であるヨランドは、娘の安否を考えなかったのだろうか。

 そんなことはないはずだ。


「やっぱり危険だと思うな」

「そうかしら」


 人目もはばからず、「姫! 姫!!」と狂喜する詩人シャルティエにあきれながら、私は一抹の不安を覚えていた。

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