8.3 訃報(3)対話と対立

 私は身なりを整えると、あらためてアンジュー公妃ヨランド・ダラゴンと対面した。


「よく眠れましたか」

「はい。おかげさまで」


 昨夜は1年半ぶりに会ったというのに醜態を晒してしまった。

 しかも、ヨランドは王太子一行を迎えるために、夜更けまで起きて待っていたのだ。

 その恩を忘れて八つ当たりしたことを詫びた。


「ゆうべは失礼しました……」

「ふふ、見違えました。もう15歳でしたね」

「からかわないでください!」

「背が伸びましたね」


 ヨランドは一言も責めなかった。

 それどころか、目を細めて優しい眼差しで私を包んだ。


「そうですか? 自分ではよくわからないな」

「昨年まで王太子殿下が着ていらしたお召し物では袖が短いでしょうから」


 旅の間、ジャンと交換した服を着ていた。

 デュノワ伯ジャンは侍従長だが実質小姓とあまり変わらない。

 装飾に凝った服よりも動きやすい軽装を好んでいた。

 逃亡中は王太子の身分を隠す必要があったから、都合が良かった。


「着替えをありがとうございます。袖の長さはぴったりです」

「それは良かった」


 沐浴のあと、まっさらな肌着に着替えて髪を切ってもらい、用意されていた上衣に腕を通した。

 袖と着丈の長さはちょうど良かったが、私は細身だから横幅が少し余る。

 かと言って、布地を詰めるほどでもなくベルトを調整してゆったりと着こなした。

 肌着は新品で、上衣は洗いざらしまでいかないが少々着古しているように見えた。


「ええ、亡き夫が若い時分に着ていた服です」

「アンジュー公が……」


 ルネの服では小さすぎるし、アンジェ城に仕える10代半ばの小姓の服では王太子にふさわしくない。

 そこで、アンジュー公が若かりし頃に着ていた服を持ち出したようだ。


「急なことでしたから、用意が間に合わなくてごめんなさいね」

「いいえ、そんなことは!」

「のちほど寸法を測って、新しい服を仕立てましょう」


 初めてアンジェ城へ来た日を思い出して、懐かしい心地がした。

 あのときは亡き兄から婚約祝いの贈り物が届き、ヨランドは私の手を引きながら「さっそく職人を呼びましたから、季節に合わせたお召し物をたくさん作りましょうね」と楽しそうだった。

 あの日から四年間、アンジューはずっと平和だった。それなのに。


(王太子になって、アンジューを離れて一年半しか経ってないのに)


 私もアンジュー家も、予想だにしない不幸に見舞われた。

 けれどヨランドは以前と変わらないように見える。

 変わったのは見た目だけだ。

 貴婦人らしい華やかな衣装の代わりに、きょうも喪服を身につけている。


(寂しくないのだろうか。心細くないのだろうか)


 ヨランド・ダラゴンはフランスではアンジュー公の妃だが、もともとはアラゴン王国バルセロナ王朝フアン一世と後妻の間に生まれた第一王女だった。

 婿養子を取ってアラゴン王国を共同統治していたかもしれず、君主となるべく育てられた女性だった。


「ありがとう。公妃の心遣いに何度も救われています。だけど」


 私は、「服を仕立てる時間はいらない」と丁寧に断った。

 ヨランドはただ優しいだけの貴婦人ではない。賢く、気丈な女王だった。

 寂しくとも心細くとも、ヨランドの好意に甘えてばかりではいけないと思った。

 私もまた王にならなければいけない立場なのだから。


「もし、差し支えなければアンジュー公の服をこのまま着ていてもいいですか」

「それは構いませんけれど」

「あっ、ルネが成長したら父君の服を着たがるかな」


 私にとってアンジュー公は父のような存在だが、ルネからすれば死別した実父だ。

 遺品を勝手にもらってはいけないと考え直した。


「お気遣いはご無用です。ルネが成長する頃には、殿下も成長してその服はもう着れなくなっているでしょうから、その時にお返しいただければ」

「はい。きれいなままで返せるように大切にします」


 ヨランドはくすっと微笑むと、「気にしないで。それに夫の服は1着ではありません。しまっておくよりも、殿下に着ていただいた方が亡き夫も喜びます」と言ってくれた。


「身なりのことよりも、これからのことを相談してもいいですか」

「まぁ、これからのことをお考えでしたか」

「宰相をはじめ、王都で私を支えてくれた重臣たちの多くを失いました。どうか私に助言をください。私はどうしたらいいのでしょうか」


 ヨランドはいたずらっぽい微笑みを浮かべながら首を傾げた。


「殿下はずいぶんおかしなことを仰いますのね」

「おかしいですか?」

「ええ。いまの王太子殿下は国王代理であり、フランス王国を統治する最高権力者です。王は王国の将来を掲げ、王の意志に沿って家臣たちは筋書きシナリオを考え、役人たちは筋書き通りにことを運びます」


 ヨランドは「筋書きどおりに上手くいかないときもありますが」と前置きした上で、「はじめから『どうしたらいいか』と尋ねられては家臣たちは困ってしまいます。王はただ命じれば良いのです。さすれば、わたくしたち家臣が『どうしたらいいか』策を考えましょう」と持論を語った。


「王太子殿下はこの国をどうしたいのですか。殿下のご意向をお聞かせください」


 いままで宰相に任せきりだった私には、ヨランドの君主論はとても新鮮で、それでいて難解な質問に聞こえた。


「この国をどうしたいか、か……。考えたこともなかった」

「ひとつずつ整理して考えましょう。いま、フランス王国はアルマニャック派とブルゴーニュ派で二分していますね。王太子殿下は母君とブルゴーニュ公についてどうお考えですか」


 長い間、アルマニャック派とブルゴーニュ派が対立していることは知っている。

 けれど、私が王太子になるよりもずっと前からの怨恨で、私個人としては「対立している」と言われてもあまりピンとこない。


「本音を言うと、母やブルゴーニュ公と敵対している実感はないんだ」

「では、殿下は和解を望んでいらっしゃるのですね」

「そういうことになるのだろうか」


 争いごとは苦手だ。

 対立を解消して、母妃やブルゴーニュ公と協力していけるならその方がいい。


「私は断固反対です」


 低い声で横槍が入った。


「シャステル……」


 護衛隊長シャステルはいつものように私のかたわらに控え、ヨランドとの会談を見守っていたが、何か思うところがあるようだった。


「私は長年、パリの宮廷にお仕えしてきました。王太子殿下とは一年半、付かず離れずお守りしてきました。何も言うまいと思ってましたが」


 私とヨランドの注目を浴びて、シャステルは少し逡巡してから口を開いた。


「恐れながら申し上げます。失礼ですが、公妃は王都の情勢をご存知ないようです」


 いままでシャステルが会話の最中に割り込むことは滅多になかった。

 あるとしても、私とジャンが公務中に雑談しすぎたときに軽く注意する程度だった。

 政治的な発言をしたこともなかったと思う。

 何より、私を驚かせたのはヨランドを見くびるような態度をみせたことにあった。


「わが国はアラゴン王国とは違います」

「まぁ、どのように違うのかしら」

「少なくとも、くじ引きで王を決めたり、女性に王位を継がせて統治させたりしません」


 ヨランドは意味ありげな笑みを浮かべて無言を貫き、シャステルが言葉を続けた。


「公妃はアラゴン王位継承から身を引いたと聞き及んでいます。賢明なご判断だと推察いたします。権力志向の淫乱王妃イザボーとは格が違うと思っていました。それなのに」


 シャステルは失望したようにため息をついた。


「外国人女性に知った風な口を利かれたくありません。公妃よ、あなたは部外者です。ご夫君を亡くして血迷われたのですか」


 シャステルの暴言にかっとしたのは私だった。


「シャステル、いくら何でも聞き捨てならないぞ!」

「……ご無礼をお許しください」


 シャステルは謝罪したが、言い足りないのは明らかだった。


「何か言い分があるなら私が聞こう」

「殿下、助言が必要でしたら私にお尋ねください。アルマニャック伯には劣りますが、私とて馬鹿ではありません」


 シャステルは公妃への暴言を取り下げた代わりに、私に強く進言した。


「殿下がこれからすべきことは何かと問われるならば、答えははっきりしています。簡単なことです。アルマニャック伯、オルレアン公、その他大勢の犠牲者たちの報復をすべきです」


 生き延びた者は、哀れな死者を弔わなければならない。

 ブルゴーニュ公を許したら、彼らの献身はすべて無駄死にだとシャステルは説いた。


「報復は、私たちに課された義務です。和解など断じてありえない!」


 ブルゴーニュ公が宮廷で権勢を振るっていた時期、敵対者への粛清は凄まじかったと聞く。

 アルマニャック派に属している者の多くは、身内か主君か、あるいは家臣の誰かが粛清の犠牲となり、無怖公へ恨みを募らせている。

 ジャンでさえ「父の仇」だと言っていた。この手でぶっ殺してやる、と。


 シャステルも例外ではないのだと気付かされた。


 シャステルは護衛の役目に徹し、ずっと私情に蓋をしていたのだろう。

 宮廷という名の縛りがなくなり、はじめて怒りをあらわにした。

 アルマニャック派の統率者だった宰相の死をきっかけに、怒りと憎しみが溢れようとしていた。


「決めるのは王太子殿下です」


 ヨランドは静かに唇を開いた。


「わたくしたちは王太子殿下にお仕えする家臣です。助言を求められたときに意見を申し上げることはあっても、家臣の身分を忘れて、主君を意のままに操ってはなりません」

「失敬な。殿下を操ろうなどとは……」

「ゆめゆめお忘れなきように」


 ヨランドは凛としていた。発言も姿勢も、決してぶれなかった。

 シャステルは不服そうだったが、それ以上何も言わなかった。

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