8.1 訃報(1)

 旅の途中で何度かアルマニャック派援軍と合流し、旅程は加速した。

 先行する先触れ、地味な馬車を中心とした本隊、後衛を務めるしんがり。

 小規模な隊列を組んで先を急いだ。

 ときどき、逃亡が間に合わなかった重臣たちの訃報がもたらされたが、王太子一行はひたすらロワール川沿いを西へと前進し続けた。


 護衛隊長シャステルは、加勢を得てからも王太子逃亡の主導権を握った。

 いつも私の意思を汲み取り、困難な行程を実現してくれた。

 アンジューに入城するときもそうだ。


「王太子殿下、先触れからの報告で、アンジュー公妃は城下にありったけの松明を灯しておくからと——」


 王太子一行がアンジェ城に入城したのは夜だった。

 王国内は治安が悪く、夜間の外出は危険だったがアンジュー領内は安全だという自信があった。

 とはいえ、アンジュー側も王太子を迎える準備があるだろうから、夜明けまで城下にとどまって待とうかと考えた。

 だが、アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは、私の遠慮を見越していたようだ。


「夜間でも構わない。公妃は殿下のご到着を夜通し待っていると仰せです」

「わかった、行こう。公妃のご厚意に感謝すると伝えておいて」

「御意」


 再び馬車が動き出した。

 緑豊かな郊外から城下の中心地へと進んでいく。


(どの辺だろう)


 10歳でアンジュー家に引き取られてから王太子になるまでの4年間、大抵のことは城の中で済んでしまうからそれほど城下について詳しくない。

 けれど、私は逸る心を抑えきれなくて、布張りで塞いだ車窓を少し開けた。

 城へ続く道々に、私たちを先導するかのように煌々と明かりが灯されていた。


(やっぱり、お優しい人たちだ)


 パリを発ってから心が折れてしまいそうな出来事ばかりで、かなりすり減っていたから、アンジュー家の心遣いは胸に染みた。

 私にとって、アンジュー公夫妻は義理の父母——ただの婚約者の両親ではなく、愛情深い養父母でもあるのだ。

 特にヨランドは、王太子になった私の行く末を案じていた。


 再会したら聞きたいことや話したいことがたくさんある。

 いや、よもやま話よりも今後の相談をしなければ。

 アンジュー公も公妃も聡明な方たちだから、きっと良き助言をしてくれるに違いない。


(話をする前に、ほっとして泣いてしまうかもしれないけど)


 馬車の下から伝わってくる振動が変わり、私ははっととした。

 舗装されていない土の地面の感触から板張り特有のがたつく振動へ、そこを通過すると硬質な石畳を走る感触を覚えた。


(アンジェ城だ!)


 車窓からの視界は狭くてよく見えないが、おそらく城内と外郭を繋いでいる跳ね橋を渡ったのだろう。

 城塞都市は、領主が住む城を中心に城下町が築かれ、城壁と堀に囲まれている。

 アンジュー公の居城・アンジェ城はロワール川と支流メーヌ川の合流地点に築かれている。


(アンジュー公、公妃、マリー、ルネ、シャルロット……!)


 一年半ぶりに帰ってきた。

 私は童心に帰ったような気分で小さな車窓に張り付いた。

 子供たちは寝ていると思うが、すぐ近くにいる。朝になったらびっくりするだろう。

 婚約者のマリーと弟たちの顔が浮かんできて、喜びと同時にちくりと心が痛んだ。

 一年前、アンジューを発つときに約束をしていた。


「ねえマリー。しばらく大変だと思うけど、向こうの生活が落ち着いたら必ず迎えにくるから。そうしたら、君は晴れて王太子妃殿下だ」


 勇気を出して精いっぱい格好つけたのに。

 妃として迎えに来るどころか、私は王都パリから逃げ出してきたのだ。

 再会は嬉しい反面、王太子として、そしてマリーの婚約者として合わせる顔がない。


(どんな顔をして会えばいいんだろう)


 ふと視界に入ったアンジュー家の旗が、見慣れた位置よりも低い気がした。

 だが、その時は深く考えなかった。




 ***




 アンジュー公妃ヨランド・ダラゴンは質素な黒衣をまとい、以前よりもさらに凛とした佇まいで待っていた。


「ああ、公妃!」


 私は感極まって、動揺を隠しきれずに駆け寄ろうとしたが、ヨランドは視線で私を制した。

 黒衣の裾を持ち上げ、いつものように麗しい礼をした。


「王太子殿下、よくぞご無事で」

「公妃、公妃……!」


 顔を上げたヨランドの目元は潤んでいた。

 私もまたこらえきれずに泣き出してしまった。


「ごめんさい、ここに来るべきではなかった!」


 アンジェ城に迎え入れられてすぐ、私は来たことを後悔した。

 前年、マリーの父・アンジュー公ルイが亡くなっていたことを私は初めて知った。

 数ヶ月前、詩人アラン・シャルティエの勧めでラブレターのような手紙を送ったが、返事が来なかった理由がやっとわかった。そのような状況下で出せるわけがない!


「私が馬鹿だった!」


 アンジュー家の子供たちはまだ幼く、未亡人となったヨランドが亡き夫に代わってアンジュー領のすべてを取り仕切っていた。

 しかも、イングランド王ヘンリー五世はフランス王位だけでなくアンジューの割譲を要求しているのだ。

 アンジュー家は大変な苦境に立たされていた。

 その上、私がアンジューを頼れば王家の宮廷闘争に巻き込むことになる。


「なぜ亡くなったことを教えてくれなかったのですか。私にとってアンジュー公は父同然の恩人なのにどうして!」

「亡き夫の遺志です」

「アンジュー公が……、私に伝えるなとおっしゃったのですか」

「王太子殿下はいま大変なときだから、アンジューのことで煩わせてはいけないと」

「そんな……、父だと、家族だと思っていたのに」


 本当は自分に対して腹を立てているのに、私はヨランドに理不尽な怒りをぶつけた。


「ひどい……」

「殿下……」

「また私だけが仲間外れだ。なぜです、私があなたたちの本当の子供じゃないからですか。私はもうアンジューとは無関係の部外者だとでも?」


 我ながら、ひどいことを言っていると思った。

 アンジュー公も公妃もそんな人ではないと知っているのに。


「あなたたちがそう思っているとしても私は違う。アンジュー公にはお世話になったし、たくさんのことを学びました。葬儀に立ち会えなくても、せめて弔意を示したかった。遠く離れていても、冥福を祈って追悼ミサくらい……私ひとりでも……」


 言葉は途切れ、嗚咽でかき消された。

 兄たちの訃報も悲しかったが、私にとって兄は見知らぬ遠い人だった。

 会いたいと焦がれて、会えないまま逝ってしまった。


 アンジュー公は違う。

 実父と実母とまともに交流がないために、私は実父よりもアンジュー公に思慕を感じていたのだと、今さら思い知った。


(尊敬している、大好きな父上……)


 その彼が、知らぬ間に他界し、訃報を知らされなかったことに大きなショックを受けた。

 アンジューにたどり着き、長旅の疲れと緊張が解けて安堵していたことも、心痛に拍車をかける一因となった。

 いや、王太子となり宮廷入りしてから気が休まる日は一度もなかったのだと思う。


 私を認知しない父、得体の知れない母、国王代理という重責、アルマニャック伯をはじめとした重臣たちの訃報、消息不明のデュノワ伯ジャン、数えきれない犠牲者たち——


 アンジュー公の訃報を聞き、私の中で何かがぶつりと切れた。


「今すぐここを発ちます。これ以上、アンジューの負担になりたくない」

「殿下、どうか落ち着いて。お心を鎮めて」

「落ち着いてなんかいられない! もういやだ、何もかもが! どうしてみんな死んでしまうんだ!」


 怒って、泣いて、取り乱し、八つ当たりをした。

 今にもくずおれそうな私を、ヨランドは支え、必死になだめた。


「誰ぞ、気付け薬をここへ」

「そんなものは必要ない。気付け薬ならアルマニャック伯にもらったあれが……形見が……」


 応接室の外がざわついた。


「通してちょうだい。シャルル兄様がご帰還あそばされたと聞いて……」

「お嬢様、お待ちください!」

「放して! 兄様はご無事なの?!」


 懐かしい声に、私はぎくりと我に返った。

 思わず振り向くと、侍女の制止を振り切ってマリー・ダンジューが入ってきたところだった。

 王太子一行が到着した騒ぎを聞きつけ、ガウンを羽織っただけの寝起き姿で駆けつけたようだ。


「あ……」


 あふれる涙のせいで視界が揺れた。だが、目が合ってしまった。

 マリーが凍りついたように立ち尽くした。

 私は長旅でずいぶんとみすぼらしい姿になっていて、その上、今しがたヨランドにすがりついて泣きじゃくり、顔は涙と鼻水にまみれていた。


「なぜ……」


 冷静に言葉を交わす余裕はなく、私は言いかけた言葉を飲み込むとうつむいた。

 ぽたぽたと雫が落ちて床にしみを作った。


(なぜ起きてきたんだ……こんな姿を見られたくなかったのに)


 行き場のない感情に翻弄され、私は心の中でマリーを責めた。

 せめて嗚咽を聞かれないようにと唇をきつく噛み締めたが、涙をこらえると鼻水が垂れてきて、ますますみっともない。

 怒りと悲しみと後悔と、そして何より自分自身の振る舞いが情けなくて、さらに泣けてきた。悪循環だ。

 ヨランドは私にハンカチを差し出しながら、「マリー、そのような格好で婚約者に会いに来るのは無作法ですよ」と諭すようにたしなめた。


「申し訳ございません。出直してきます」


 マリーはガウンの裾を取って礼をすると、足早に応接室を後にした。

 ヨランドも、マリーも、私も、だれもがいたたまれない一夜だった。

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