6.6 イブ未明、宰相も眠れない

 臨時宮廷が終わったのは未明。

 すでに日付けが変わり、クリスマスイブ当日になっていた。


「さあ、もう対立政府のことは忘れて聖誕祭を祝いましょう」


 休暇をつぶしてかけつけた重臣たちをねぎらうため、夜明けまで休む部屋を用意した。

 多忙なのは重臣たちだけではない。

 宮廷の末端にいる侍従、侍女、小姓、役人、下働きにいたるまで、ともに眠れない一夜を過ごした。

 日が昇ったら、近くに住む者は自宅へ戻り、遠方に帰るはずだった者は城下にある屋敷へ戻ることになった。

 臨時宮廷を開催していた大広間には、また私とアルマニャック伯の二人が居残っていた。


「王太子殿下もお疲れでしょう。もう休まれた方がよろしいかと」

「目が冴えてしまって、しばらく眠れそうにない」


 きっと私は人より神経質なのだろう。

 かたわらで、ジャンがこくりこくりと居眠りしている。

 自分の部屋に戻っていいと言ったのに、ずっと付き添ってくれていた。


「あっ、よだれが……」


 つつ……と垂れて服に染みを作った。

 起こして「休むように」と促しても、ジャンの性格上、頑として戻らないだろう。

 ならば、このまま静かに寝かせてあげたい。

 私とアルマニャック伯は、ジャンを起こさないように小声で話していた。


「私はもう年寄りなのでね。本当は早く休みたいのですが」

「あぁ、そうか。気づかなくてごめん」

「いいえ、謝る必要はありません。老身は休みたいと悲鳴を上げていますが、騎士の精神が燃えたぎっているのか眠れそうにありません」


 アルマニャック伯は琥珀色の飲み物を取り寄せて、ちびちびと飲んでいた。


「それは何?」

「わが故郷、アルマニャック秘伝の気付け薬でございます」


 アルマニャック伯は、フランス南西部ガスコーニュ地方の中心地アルマニャックを治める貴族だ。

 14世紀に地元の修道士が、白ブドウを蒸留して新しい酒を発明したのだという。

 この物語を読んでいる読者諸氏は、ブランデーと言った方が分かりやすいだろうか。


「ここぞという時に、勇気を奮い起こすためにコレを飲みます」

「美味しいの?」

「殿下の口に合うかわかりませんが、試しに飲んでみますか?」


 少し味見をさせてもらった。

 芳醇な香りと強いアルコールに胸焼けして、むせてしまった。


「げほげほ。うぅ、ジャンを起こしちゃう……」

「はっはっは。殿下には少し刺激が強すぎましたな!」

「でも、いい香りがする」

「今度、果汁を注ぎ足した柔らかい酒を献上いたしましょう」

「うん、楽しみにしてる」


 ようやく落ち着いて、私たちは少し話し込んだ。


「勇気を奮い起こすため、とは?」

「私の本性は臆病者の凡人です。騎士だったころも戦場が恐ろしくてたまらなかった。それで、故郷の酒の力に頼りました」


 まさかと思った。


「謙遜のつもり? アルマニャック伯ほどの人が凡人のはずがない」

「いいえ、事実ですよ。賢明王やゲクラン閣下のように、私には二つ名がつけられませんでした。それこそが凡人の証しです」

「でも、ゲクランの二つ名は確か……」


 賢明王シャルル五世に仕えた名将ベルトラン・デュ・ゲクラン。

 彼の二つ名は、鎧を着た豚、ブロセリアンドの黒いブルドッグ、ゲクランの醜さは「レンヌからディナンまでで一番醜い」などなど、二つ名というよりほぼ悪口である。

 アルマニャック伯は昔の上官を思い出したのか、くすくすと笑っている。


「まぁ、当たらずとも遠からず。ゲクラン閣下に聞かれたら叱られそうですがね」

「私もいつか変な二つ名をつけられるのだろうか」


 こういう二つ名をつけるのは詩人たちだ。

 彼らは王が相手でも容赦がない。

 私の父は狂人王で、母は淫乱王妃。それ以前には肥満王や禿頭王がいる。

 見た目以外になかったのかと問いつめたい気分だ。


「どうせなら、かっこいい二つ名がいいな」

「ふふ、立派な王におなりなさい」


 後年、私につけられた二つ名はいくつかある。

 その名が私にふさわしいか否かは、読者諸氏の判断にゆだねよう。


「いつの日か、王位についた殿下の晴れ姿を見届ける日が来るのでしょうか。たとえこの身が最後までたなくても、それでも私は……」

「アルマニャック伯?」

「少し、酔いが回ってきたようです」


 このとき、私は14歳で、アルマニャック伯は57歳だ。

 10代で子を授かる者も多いから祖父と孫ほどの年齢差になる。

 父・狂人王シャルル六世は私のことを息子と認識していなかったから、代わりに父親の役目をやってくれていたのかもしれない。

 厳しくも穏やかで、知恵のある祖父のような人だった。


 アルマニャック伯とは短い付き合いだったが、私の中に鮮烈な印象を残した。

 あの夜に交わした他愛ない雑談がいっそ懐かしい。

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