2.12 末弟シャルル(2)
アンジュー公は、公妃ヨランド・ダラゴンから「男児が生まれた」と知らせを受け取ると、私とマリーの婚約旅行を中止してアンジェ城へとんぼ返りした。
「予定より早かったな」
「予定より早かったわね」
アンジュー公とヨランド夫妻は、対面するなり同じことを言った。
「あんなに婚約旅行を楽しみにしていましたのに、途中で引き返すとは思いませんでしたわ」
「つれないなぁ。一刻も早く、我が子に会いたいじゃないか」
「うふふ。さあ、抱いてあげてくださいな」
ヨランドは体を締め付けないゆったりしたドレスを身につけて、新生児を抱いていた。
マリーとルネきょうだいの末弟で、私の義弟になる。
「早く名前をつけてあげないと……」
「それが……」
ヨランドが苦笑した。
「ぼく、シャルルがいいとおもう!」
ルネが「シャルル兄さま」にあやかって、勝手にシャルルと名付けてしまったのだという。
生まれた子の父・アンジュー公が帰るまで仮の名前のつもりだったが、数日のうちにアンジェ城内でなじんでしまい、いまや誰もが「シャルルさま」と呼んでいる。
「別にいいんじゃないか。今のアンジュー家にはシャルルを名乗る者がいないのだから」
「では、シャルルにしましょう」
「わーい、シャルルー」
弟の名付け親になったルネは、有頂天で飛び跳ねた。
「いいのかしら」
マリーだけが複雑な表情を浮かべていた。
私が「何のこと?」と聞くと、気遣うように私を見た。
「だって、シャルル兄さまがいらっしゃるのに」
「アンジュー公が言うとおり、私はアンジュー家の者ではないよ」
「そうだけど、紛らわしいわ」
マリーはしばらく思案していたが、「そうだわ。この機会にシャルル兄さま呼びをあらためて、きちんと
「今までが馴れ馴れしすぎたのです。それでいいかしら、ルネ」
「うん、わかった!」
「それでよろしくて? シャルル兄さま」
「……うん、わかった」
(でも、言い出しっぺのマリーが一番危ういみたいだよ……)
結局、私たちの間では「シャルル兄さま」呼びも定着していたため、改められることはなかった。
その代わり、弟シャルル・ダンジューを「シャルロット」という愛称で呼ぶようになった。
シャルロットとは「小さなシャルル」という意味で、本来は女の子の名前だったが。
***
アンジュー家では私を家族同然に迎えてくれて、私もずいぶん甘えさせてもらったが、ふいに孤独を感じる日もあった。
何か不満があるわけでも誰が悪いわけでもなく、私の生い立ちに起因する自然な感情だろう。
どうしようもないこの孤独感を表に出せば、優しい彼らは私を気遣ってくれるに違いない。
けれど、そんなことはしたくなかった。
淋しさを埋めたいときは、兄の手紙を読むことにしている。
何度も取り出して読まれた手紙は、少し角が取れて丸くなっていた。
——親愛なる弟、ポンティユ伯シャルル
むずかしい問題も多いが、ともに
不屈の精神で乗り越えていこう
ここへ帰ってくるときは、ぜひ
うつくしい婚約者を紹介してほしい
季節が巡り、君が
大人になる日を待っている
つつがなく日々を過ごせるように祈っている
けして挫けてはいけない
路傍の百合の如く、したたかに生きよ——
兄が書いた筆跡を指でなぞると、あたたかい気持ちがこみ上げてくる。
いつのまにか、手紙を見なくても一字一句を覚えていた。
それほど何度も読み返していたのに、私はあらたなメッセージに気づいた。
「むふこう、きおつけろ……?」
アンジュー公から手紙の書き方——密書の作り方について学んだ影響かもしれない。
手紙の文章は一文字も変わっていないのに、別のメッセージが見えてしまった。
「むふこう。ムフコー。無不幸?」
何だろう? 誰だろう?
兄は、私に何を伝えようとしているのだろうか。
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