2.10 カボシュの乱、またはカボシャン蜂起(2)

 暴徒たちは、私の兄・王太子ルイだけを狙ったのではない。

 パリに在住する貴族の馬車や城館があちこちで襲撃されて、死傷者の報告が上がって来ていた。

 朝になって人波が引いたとは言え、武装した民衆がうろつく城下から駆けつけたにしては、ブルゴーニュ公の身なりは整いすぎていた。


「我が親衛隊は精鋭ぞろい。主君の体に傷ひとつ、泥ハネひとつ付けさせやしませんよ。王太子殿下にも、私が育てた騎士を何人か差し上げたはずです。使いこなすのは難しいですかな」


 この日のブルゴーニュ公はとても饒舌だった。


「例えば、そこの従騎士エスクワイア


 王太子を囲む近衛騎士の中に、20歳ごろと思われる若い騎士がいた。


「話がしにくい。今すぐこのバリケードを片付けろ」


 そう命じると、ブルゴーニュ公は再び王太子に語り始めた。


「みずから動こうとするから傷つき、汚れ、威厳が損なわれるのです。高貴なる者はただ指図をするだけでよい。忠実に実行するように臣下をしっかり調教しておけば、万事が思い通りに……」



「私は正騎士シュバリエです」


 落ち着いた声が、ブルゴーニュ公の慇懃無礼なご高説をさえぎった。


「……何だ」

「私は従騎士ではありません。先日、王太子殿下から正騎士に叙任されました」

「だから何だ」

「私は王太子殿下に臣従しました。殿下以外の命令を聞くことはできません」

「何だと!」


 ブルゴーニュ公は驚きのあまり、細い目を見開いた。

 無怖公——怖れ知らずという二つ名で呼ばれ、宮廷でもっとも怖れられている男は、まさか新米騎士に命令を拒絶されるとは思いもしなかったのだろう。

 若い騎士は、王太子の前にひざまずいた。


「いかが致しましょう。バリケードを解きますか。暴徒が再びやって来ようと、王太子殿下に傷ひとつ、泥ハネひとつ付けさせません」


 若い騎士は、ブルゴーニュ公の恐ろしい形相を気に留める素振りさえ見せず、そんなことを言ってのけた。


「……貴公の名は」

「ブルターニュ公の弟、アルテュール・ド・リッシュモンと申します」

「覚えておこう」


 リッシュモンの言動で王太子の名誉は守られた。

 だが、牽制されたブルゴーニュ公は面白くない。なにせ、日ごろから「怖いもの無し」と宮廷で畏怖されているのだから。


「貴様、よくも……」

「取り込み中のようだが、邪魔をするぞぉ」


 ブルゴーニュ公の背後から、この場に似つかわしくない能天気な声が聞こえた。


「王太子、久しぶりだなぁ」

「父上!」


 場違いな声の主は、私の父・狂人王シャルル六世その人だった。


「なぜこちらに……」

「うん。今朝は気分がよいからノートルダム大聖堂で祈りを捧げようと思ってな。外に出たら、人がいっぱいいた!」

「ご機嫌うるわしいのは結構ですが、その……よくぞご無事で」

「大聖堂の前でほれ、お土産をもらったんだ。王太子に届けてくれとな。だからここに寄った」


 狂人王は、呆気にとられているブルゴーニュ公の横を通り過ぎると、バリケード越しに紙束を差し出した。


「みんなでおそろいの緑色の垂れ頭巾をかぶっていてな、お祭りみたいで可愛かったなぁ」

「それは……斬新なご感想ですね」


 王太子は、王から受け取った紙束をぱらぱらとめくった。


「ところで、これは名簿でしょうか」

「わるいやつの名前が書いてあるそうだよ」


 狂人王、別名・親愛王はにこにこと屈託なく笑い、王太子は紙束を握りしめながら何事かを考えていた。


 カボシュの乱、あるいはカボシャン蜂起と呼ばれる暴動は、1413年の初夏から晩夏まで続いた。

 同年、私とジャンそれぞれの引き取り先が決まったのもこの暴動と無関係ではないだろう。

 パリの外では、アンジュー公、ブルターニュ公、オルレアン公シャルル・ドルレアンたち大諸侯も事態を収めるために動いていたようだ。

 武装蜂起がパリの外まで広がる可能性も考えられたため、最悪の事態に備えて幼少の王族を保護する必要があったのだ。


 鎮圧後、王太子は王国改革委員会を開いた。

 ブルゴーニュ派委員と反ブルゴーニュ派委員、そしてブルゴーニュ公自身も参席していた。


「武装蜂起した民衆は、およそ2万5000人。バスティーユ砦の責任者デゼサールが民衆の手で斬首……」


 一通りの報告を聞くと、王太子が立ち上がった。


「ノートルダム大聖堂で、我が父・国王陛下を待ち伏せていた民衆がコレを手渡したそうだ」


 王太子は委員会メンバーに見えるように、その紙束を掲げた。

 紙束に視線を集めながら、王太子は議事録をとる書記官の様子を確認した。仕事ぶりは平常通りで何も問題ない。


「パリ市民が選んだ『粛正すべき反逆者』の名簿だそうだ」

「ほぅ、それは興味深い」


 王太子はブルゴーニュ公を一瞥すると、名簿を読み上げた。

 反ブルゴーニュ派と目されている貴族の名が連なり、最後は、王弟の子シャルル・ドルレアンの名で締めくくられていた。


「やれやれ。王弟殿下の一族は、死してなお災いをもたらしてばかり」

「私のいとこが災いをもたらしていると?」


 ブルゴーニュ公は、「王国改革のためには、王族といえど粛正を考えるべきかと」と進言した。


「王族を粛正するとなると、充分に調査しなければならない」

「御意。私がやりましょう」

「結構だ。すでに調査は済んでいる」


 王太子は紙束に視線を落とした。


「この名簿の作成者は、食肉解体ギルドの代表を務めるカボシュという男だ。カボシュとその仲間たちはカボシャンと呼ばれている。このギルドは、今年のはじめに仕事道具を大量発注しているのだが、家畜を解体する刃物ではなく、なぜか武器が大量に納入されている」


 ブルゴーニュ公は感嘆のため息を漏らした。


「素晴らしい。よくそこまで調べましたな」

「私の手柄ではない。最近入れ替えた側近は仕事が早くて助かる」


 嫌味を言われて、ブルゴーニュ公は不機嫌そうに目を細めた。

 ブルゴーニュ公が王太子のもとへ送り込んだ側近は、王太子の動向を逐一ブルゴーニュ公に報告する。新しい側近はそうではないという意味だ。


「カボシャンが大量の武器を集めたのは、暴動が起きる数ヶ月前だ」


 王太子は一旦言葉を切ると、この場に集まっている委員会メンバーを見渡し、こう続けた。


「つまり暴動のきっかけは最近のパン高騰が理由ではない。誰かが計画的に暴動を引き起こしたと考えざるを得ない」


 委員会のメンバーは静まり返った。王太子は淡々と説明を続けた。


「カボシャンに資金を援助し、武器を供与した者の名は、ジャック・ヴイル、シャルル・ド・ランス、ロベール・ド・マイイ……。みなも聞いたことがある名だろう。ブルゴーニュ公の側近ばかりだ」


 王太子は醒めた目を、義父ブルゴーニュ公とその取り巻きたちに向けた。


「ブルゴーニュ公の側近が暴動の中心人物だったことは明らかだ」

「何を……!」


 名指しされたブルゴーニュ公は声を上げたが、王太子は構わずに自論を畳み掛けた。


「先だっての暴動は貴公が計画的に起こしたのだろう。法で裁けない政敵を、民衆を煽って、暴動に乗じて、暴徒の手で殺そうとした」

「はっ、何をおっしゃっているのやら理解できませんな!」

「義父殿、貴公は混乱を引き起こした責任から逃れられない。私が逃がしはしない。貴公が思い描くように、何もかも思い通りにできると考えるのは間違いだ。そのことを覚えておくように」

「王太子殿下と言えど侮辱が過ぎますぞ。私を誰だと思っている……」


 ブルゴーニュ公は声を荒げて恫喝したが、王太子は怯まなかった。


「私はもう10歳の子供ではない」


 このときの王太子ルイ・ド・ギュイエンヌ公は16歳。

 義父のブルゴーニュ公は42歳。

 しばらく睨み合いが続いたが、先に沈黙を破ったのはブルゴーニュ公だった。


「やれやれ、王太子殿下は妄想癖がおありのようだ」


 くつくつと嗤いながら、慇懃無礼な皮肉を言った。


「まったく王太子殿下らしくもない。父君のように気が触れたのかと思いましたぞ」

「無礼なことを……!」

「少し落ち着かれるとよろしい。怒りを鎮めて、冷静によく考えて、ご自身の手で好きなだけ調べるとよろしい」


 ブルゴーニュ公はそう言い残して宮廷から出て行ったが、城下にある自前の屋敷には帰らず、わずかな側近を連れて自領ブルゴーニュへ逃亡した。

 王太子はブルゴーニュ公の宮廷追放を宣言すると、暴動を煽動した罪人を何人か処刑した。


 こうしてカボシュの乱またはカボシャン蜂起と呼ばれるパリ暴動は終息。

 王太子主導で、フランス王国は落ち着きを取り戻すかに見えた。




***




 ほぼ同時期、フランス王国の西岸ノルマンディーから急使が駆けつけた。


「港湾都市アルフルールにイングランド王が軍勢を率いて上陸。現在、市内各所で交戦中。略奪行為が横行して混乱に陥っています!」


 フランス王国の内乱に乗じて、イングランド国王ヘンリー五世の軍勢がノルマンディーの港湾都市アルフルールに上陸し、間もなく占領された。

 ヘンリーはノルマンディーとアンジューの割譲、さらにフランス王位を要求。フランス王国に対して宣戦を布告した。


 休戦協定から19年を経て、再び百年戦争の火ぶたが切られた。

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