2.3 王家からの使者(3)
私はヨランドに手を引かれ、城内の離れにあるという礼拝堂へ向かった。
ふと後ろを振り返ってぎょっとした。
何人もの侍女たちがぞろぞろとついてくる。
(すごい……!)
修道院にいたときは従兄のジャンがいつもそばにいた。
私は王子の身分だが、従者はジャンひとりだけだった。
ヨランドにはついてくるお供が何人もいた。ヨランドの故郷アラゴン王国からついてきた者、夫のアンジュー公がつけた者、ヨランドが気に入って側仕えに採用した者、色々だ。この中にボーボー夫人がいるのかいないのか、まったく分からない。
圧巻の光景だったが、ヨランドは気に留めていなかった。
「寒いかしら。手が冷たいわ」
「大丈夫です」
「緊張しているせいかしら。それとも何か気になることでも?」
「あの、王城からのお客様って……」
私はドキドキしながらたずねた。もしかして——
「王太子殿下の使者が、婚約祝いの贈り物を届けに来ました」
「兄上の使者?」
「すばらしい毛織物やなめし革をいただきました。さっそく職人を呼びましたから、季節に合わせたお召し物をたくさん作りましょうね」
ヨランドはとても楽しそうだった。
王太子、すなわち兄の使者が贈り物を届けに来た。
(兄上ご本人じゃないのか……)
贈り物だけでも喜ぶべきなのだろうが、私は落胆していた。
修道院を発つときに旅装一式を仕立ててもらい、お仕着せの
ヨランドの言うとおり、季節に合わせた新しい服は必要だが、私はそれほど欲しいわけでもなかった。
王城からのお客様と聞いて、私はてっきり父上か母上が駆けつけてくださったのかと思ったのだ。もちろん兄上と姉上でも嬉しい。
ヨランドとともに城の外へ出た。
中世時代の城は、生活の場であると同時に戦いに備えた要塞の仕組みが備わっている。
防衛強化のため、建物に窓はあまりない。外の光はまばゆく、空は果てしなく広かった。
***
ヨランドご自慢の礼拝堂は、可愛らしい建物だった。
「真冬でも子供たちが凍えないでお祈りに専念できるように煖炉をつけた」と自負していたとおり、プライベートな空間なのだろう。
中へ入ると、若い青年がひとりいた。こちらに気づくときびきびした動作で礼をした。
「アンジュー公妃におかれましては、ご機嫌うるわしゅう」
「待たせましたね」
ヨランドは使者の青年に答えると、私を振り返って紹介してくれた。
「こちらは、シャルル王子の兄君……王太子殿下が遣わした使者です。遠征の途中で、わざわざアンジェ城へ立ち寄ってくださったのよ」
使者は顔を上げると、ヨランドに連れて来られた私を見た。
はじめ、礼拝堂に入って来たのはヨランドだけだと思ったのだろう。一瞬、怪訝な表情を浮かべ、何かに気づいたかのようにひざまずいた。
「公妃もお人が悪い」
「あら、何のことかしら」
「王子がすでにご滞在されているとは聞いてませんでした」
「うそは申してませんわよ。今しがた、ご到着されたばかりですもの」
ヨランドはいたずらっ子のようにくすくす笑った。
到着したばかりに違いないが、予定を知らせる「先触れ」があったはずだ。ヨランドは今日到着することを知っていた。
「申し遅れました。私はブルターニュ公の弟、アルテュール・ド・リッシュモン伯と申します」
使者は、頭を垂れたまま名乗った。
「いまは王子の兄君、
「兄上の……」
「はい。先日、王太子殿下じきじきに
リッシュモンはひざまずいたまま、一通の書簡を差し出した。
「王太子殿下から王子へ手紙を預かってまいりました」
「兄上から?!」
「はい、どうぞお受け取りください」
ヨランドを見上げると、促すように頷いた。
差し出された手紙を受け取るときに指先が触れた。リッシュモンの手は、いかにも騎士らしく無骨だった。
(兄上が私に手紙をくれた!)
すぐにでも開封したかったが我慢した。王子らしく何か言わなければ。
「王都からはるばるありがとうございます。贈り物もありがとう」
「王太子殿下にお伝えします」
定型文通りの返事が返って来た。
「読みたいでしょう?」
ヨランドがささやいた。私がこくんと頷くと、この礼拝堂はプライベートな場所だから遠慮しなくていいと言われた。
礼拝堂の長椅子にクッションが敷かれると、私はちょこんと腰掛けてさっそく封を開けた。
(私宛ての手紙! 初めてもらった! しかも兄上から!!)
熱心に手紙を読んでいる間、ヨランドとリッシュモンは話をしていた。
私は手紙に集中していたため詳細は分からない。王都の情勢についてかなり深刻な話をしていたようだ。
国王に統治能力がないため、最近は王太子が国王代理として宮廷政治の中心になっている。
王城の奥深く、宮廷で何が起きているのか、外部の人間にはなかなか分からない。
リッシュモンは正騎士になる前——騎士としては見習いに当たる
まだ20歳の青年だが、宮廷の内部事情をよく知る人物だった。
狂人王シャルル六世は統治能力に欠けている。
王妃イザボーは、愛人を取っ替え引っ替えしては宮廷を混乱させている。
王妃お気に入りの愛人でフランス最大の貴族ブルゴーニュ公は6年前に王弟を殺害し、処罰さえ受けずに宮廷の実権を握っている。
王家を差し置いてブルゴーニュ公に従う者は、いつしか「ブルゴーニュ派」と呼ばれるようになり、一大勢力と化していた。
しかし、近年は王太子ルイが成長し、反ブルゴーニュ派の貴族とともに宮廷で巻き返しを図っている。
だが、私はまだそのような情勢を知らない。
兄の手紙にもそのようなことは一言も書かれていなかった。
婚約を祝福するメッセージと、物心がつく前に修道院へ預けられた末弟を省みなかったことへの謝罪、父王が病気で兄が代理として働いていること、宮廷が落ち着いたら兄弟を呼び寄せたいと考えていること、それまで元気で過ごして欲しいと祈っていること。
かつて私は「両親も兄も姉もいるのに誰も会いに来てくれない。手紙ひとつ来ない」と言って、ジャンの前でわぁわぁと泣いた。
そして今また——
「王子、どうされましたか」
リッシュモンに声を掛けられて、私は自分が泣いていることに気づいた。
ふたりは話を中断して、私に寄り添ってくれた。
「リッシュモン伯、王太子殿下の書簡には何が書かれていたのですか」
「内容は把握してません。プライベートな話でしょうから立ち入ったことまでは……」
私は鼻をすすりながら、ふるふると首を横に振った。
「何でもない。兄上からの手紙が嬉しかっただけ、です」
嬉しいときも涙が出ることを、私は初めて知った。
「ずっとずっと待ち望んでいたから……」
私は安心してもらおうと思って、手紙をひろげてふたりに見せようとした。
すると、ヨランドもリッシュモンもぎょっとして読もうとはしなかった。
それならばと、私が手紙を声に出して読み聞かせようとしたら引き止められた。
「その書簡は、王子宛ての手紙です。部外者に伝える必要はありません」
ヨランドとリッシュモンは手紙を見ようとはせず、手紙を差し出した私の手を押しとどめた。
「兄上は優しい方だとわかりました」
「存じております」
若い騎士リッシュモンは、私の涙目をまっすぐに見据えてそう答えた。
(※)ブルゴーニュとブルターニュ。どちらも重要なのですが、語感的に分かりづらいのでどこかで説明したいですね。
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