1.8 幼なじみ主従(5)
少女は「ばっかじゃないの? 何が騎士だ、何が王子だ!」と吐き捨てると、持っていた小剣を地面に投げつけた。
「教会で世話になってるような子が王子様なわけない。騎士になれるはずがない。私生児か
投げた剣は私たちに当たらなかったが、少女の舌鋒は剣で斬りつけるように鋭かった。
「何も知らないくせに!」
ジャンが歯ぎしりした。
「あんたたちだってあたしの何を知ってるのよ。通りすがりにイキナリ剣を投げつけられたり、不審者あつかいして剣を向けたり」
少女は一度言葉を切ると、いじわるそうな笑みを浮かべた。
「騎士道に反していると思わない?」
何も言えなかった。ジャンも無言だった。
私にはジャンの背中しか見えなかったが、今まで見たことがないくらい怒っているように感じた。あるいは、泣いているようにも見えた。
「あの傭兵はね、ここに来る途中で何人も殺してたよ。あんたが『もらった』っていってる
それだけ言うと、少女は麦畑の中に飛び込んだ。そのまま走ってどこかへ消えた。
***
いつものように麦畑の中に剣を隠して、私たちは帰ることにした。
麦畑の中ではなく、脇にある農道をとぼとぼ歩いた。
いつも以上にぼーっとしていたのだろう。
私は
「痛た……」
上手く地面に手をつけなくて、鼻の先っぽを擦りむいた。
なんだか無性に痛くて、涙が出てきた。
私を先導するように先を歩いていたジャンが戻って来た。
「王子、大丈夫ですか」
泣き顔を見られる前に涙を拭こうと、急いでポケットからハンカチを引っ張り出したら、ばらばらと何かがこぼれ落ちた。
剣の修行が終わったらジャンと食べようと思っていた干しぶどうや木の実のことをすっかり忘れていた。
慌てて拾い上げたが、土まみれになってしまった。
「今日は色々あって疲れたかもしれないけど、ちゃんと歩いてくださ……」
ジャンはしゃがみ込んで、私の顔を覗き込んだ。
「泣いているのですか?」
土まみれの干しぶどうと木の実をまたハンカチに包んだせいで、ハンカチまで汚れてしまった。
膨らんだハンカチを握りしめたまま、私はこくんとうなずいた。
「そんなに痛かった?」
擦りむいた傷のことを言っているのだろう。
私は無言のまま「うん」とうなずき、少し考えてから「ううん」と首を横に振った。
「どうしたんですか?」
べそべそと泣きながら考えた。
私はどうしたのだろう。なぜ泣いているのだろうかと。
「こわかった」
そう言うと、ジャンの眉が吊り上がった。
「あの女、やっぱり逃がすべきじゃなかった! 言われっ放しじゃなくて謝らせればよかった。麦畑に隠れて覗き見していたのは本当のことなんだから」
「違う、そうじゃない!」
私にしてはめずらしく大きな声が出た。
怒ってないのにまるで怒っているみたいだと思った。
「王子?」
「さっきの女の子と、ジャンを……」
声を出したら、喉の奥に押し込めていた嗚咽と感情がみるみる溢れ出てきた。
「ジャンを殺してしまうところだった!!」
しゃくり上げはすぐに号泣へ変わり、私はわぁわぁと泣きじゃくった。
泣きながら、日ごろのさまざまな思いを吐き出した。
ろれつが回らなかったから、ちゃんと言葉になっていなかったかもしれない。
私は孤児ではない。
父と母は生きている。
兄と姉がたくさんいる。
だけど、一度も誰も会いに来てくれない。
手紙一通さえ届かない。
みんなは私のことを忘れたのだろうか。
それとも、私は捨てられたのだろうか。
だけど、ジャンがいるから淋しくない。
だけど、ジャンの夢は騎士になることだ。
だから、いつか修道院を出て行くのだろう。
淋しいけど、笑顔で送り出そうと思っていること。
お供ではなく、だいじな友達だと思っていること。
修道院の静かな生活は、私の内気な性分に合っていた。
それでも、日課の祈祷をするときにささやかな願いごとを思い浮かべる日もあった。
心の奥で秘かに思っていただけだ。それなのに。
「教会で世話になってる子が、王子様なわけない。騎士になれるはずがない。私生児か
きっぱりと現実を突きつけられて、私はやはり傷ついていたのだろう。
王子として巡礼者一行と謁見したり、剣を持たされて「かかってこい」と言われたり、知らない少女と話して、傷つくようなことを言われて——短時間にいろいろなことが重なり、幼い心はついに破裂してしまった。
「王子はまだいいですよ。父君も母君も生きているじゃないですか。俺はもう……」
そう言ってうつむいた。
いつも明るいジャンの中に、はじめて憂いを感じた。
(そういえば、ジャンはなぜここにいるのだろう)
物心がついた頃にはそばにいた。
だから、私はジャンの生い立ちを知らなかった。
ジャンの本当の家族はどこへ行ってしまったのだろう。
私は、さっき聞いたばかりの名乗りを思い出した。
我が名はジャン・ダンギャン。
オルレアン公の息子である。
父と神に誓って恥ずべきことは何もしていない——
はっとして顔を上げると、ジャンと目が合った。
「俺たちは友達じゃないですよ」
ジャンの言葉は、冷たい刃のように私の心に突き刺さった。
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