1.6 幼なじみ主従(3)

 巡礼者が来訪すると、いつも静かな王立修道院は賑やかになる。

 教会末端の少年僧には関係ないが、王家にゆかりのある教会組織は互いに親交があり、特に王侯貴族の内情に詳しい巡礼者は「王子様」に会いたがった。


 あるとき、シャンパーニュ地方にあるランスという町から巡礼者一行がやってきて、私は「王子」として面会した。

 私は事前に教えられた通りに挨拶して、ねぎらう言葉を述べた。


「おつとめ、たいぎである!」


 巡礼者一行は、大聖堂に鐘塔を建築する寄付金を集める目的で、王国中を旅しているらしい。

 国王は王都パリにいるが、戴冠式はランスにあるノートルダム大聖堂で執り行うのが古来からの習わしになっている。

 大人たちの難しい話はよくわからなかったが、「将来、兄上が王位に就く日が来たら私もランスへ招待されるのだろうか」と考えていた。


 ごく簡単な挨拶を済ませると、あとは大人たちが話をするからと言われて私は解放された。

 礼拝堂の裏口へまわると、若い尼僧ノンヌたちが「お仕事、お疲れさまでした」と言っておやつをくれた。

 干しぶどうや木の実をハンカチに包むと、私はジャンを探した。


「ジャンー、どこにいるのー」


 礼拝堂の外へ出ると、すぐにジャンは見つかった。


「王子、ここです!」

「おしごと終わったよ。遊んで来てもいいって」


 おやつのことは言わなかった。

 剣の修行が終わるまで内緒にして、あとでジャンを驚かせようと考え、私は膨らんだハンカチをポケットにねじ込んだ。


「さあ、いつもの場所へ行きましょう!」

「ご機嫌だね。何かあったの?」

「いいえ、何にも」


 ジャンは感情がすぐに顔に出るタイプだった。




 ***




「じゃーーーーーん!!」


 ジャンはレベルアップした。二刀流になった。


「どうしたの、それ!」

「ふっふーん、もらっちゃいました!」


 剣が二振りに増えていた。


 長引く戦争の影響で、15世紀初頭のフランス王国は治安が悪かった。

 少し人里を離れると、戦場でヒトの血肉を食らった狼が出没し、傭兵崩れの夜盗がうろついている。

 旅をする商人や巡礼者たちは、身を守るために傭兵を雇うのが常だった。


 私が「王子の仕事」をしている間、ジャンは礼拝堂の前で巡礼者一行を護衛してきた傭兵と出くわしたらしい。

 正統な騎士のような華やかさはないが、傭兵ならではの使い込んだ武具がジャンの興味を引いた。


「騎士さま、少しでいいからその剣を見せてください!」


 思い切って声を掛けた。

 子供から憧れの眼差しで「騎士さま」などと呼ばれて、傭兵は気分を良くしたのだろう。

 ふたりは互いの主人を待ちながら話をした。

 旅の武勇伝を聞き、初歩的な剣の使い方を教えてもらったらしい。


「戦う状況によって剣の持ち方が違うんですよ。王子、見ててください。こうやって人差し指を長めに握ると……ほら、リーチが伸びる!」


 ジャンが知ったばかりの知識を披露し、私の前で実演して見せてくれた。


「盾がない時は、左手に短刀マンゴーシュを装備して受け流したりするんですよ。長剣だけじゃなくて短刀の扱い方も慣れた方がいいって。俺、今度から料理当番もやろうかなぁ」


 最後に、傭兵は使い古した小剣をくれたそうだ。

 ホンモノの騎士に出会い、剣までもらい、すっかりジャンはめろめろだった。

 ひとしきり剣術について語ると、ジャンは「剣が二本に増えて、騎士になる修行は新たなステージに突入しました!」と言った。

 私はてっきりジャンが二刀流でも始めるのかと思い、にこにこと見守っていたが、ジャンは私の手を取ると小剣を握らせた。


「うわあ、王子の手は柔らかいですね」


 そう言われて、私はしげしげと自分の手を見つめた。

 今は小さい剣を握っている。


「ひとりの剣術修行では限度があります」

「うん?」

「俺には対戦相手が必要です。王子、お手合わせを!」

「えーーーーー!!」


 ビックリしすぎて、思わず剣を落とした。


「わわ、危ないからちゃんと持ってください! 鞘に入っていても足にでも当たったら痛いですよ」

「ジャンの修行を見てるのは好きだけど私はやりたくないよ。それに痛いのはやだ!」

「大丈夫、俺の方から王子に剣を向けたりしませんから。『剣を受ける』修行をしたいんです。だから打ち込んで来てください」


 私は半ば無理やり小剣を握らされ、ジャンは手に馴染んだ練習用の剣を構えた。


「さあ、遠慮なく!」

「え〜〜〜〜〜」

「あっそうだ、名乗り上げからやりましょう! 我が名はぁ——」


 麦畑は豊作だった。間もなく刈り取りが始まるだろう。

 私たちが自由に遊ぶ時間もあとわずか。


「あのう、王子……まだですか」

「何が?」

「早く打ち込んでください。日が暮れてしまいます」

「だって、私は騎士になんかなりたくないし。痛いのは嫌だし」


 ジャンはどうしても剣の対戦練習をしたかったらしい。

 私を懐柔しようとした。


「騎士にならなくても剣術ができて損はないですよ。それに、俺は受けるだけで王子に剣を向けないと誓いました。騎士の誓いは絶対です」

「ジャンはまだ騎士じゃないよ」

「心は騎士です!」

「騎士じゃないもん、私もジャンもまだ子供だもん」

「王子は俺に喧嘩を売ってるんですか! 口じゃなくて剣で向かって来てくださいよ!」


 私たちは緩やかな主従関係だったが、たまに子供らしい喧嘩もした。


「だって、私が怪我をしなくても、ジャンに怪我させてしまうかもしれないし」

「王子の腕力で俺に怪我をさせると本気で思ってるんですか。駆けっこだって一度も俺に勝ったことないのに」

「うっ……」

「1回だけ、1回でいいですから! ね、かかって来てくださいよぉー」


 ジャンの熱意に負けて、私が折れた。

 私は剣術のいろはも知らなかったが、ジャンの素振り修行を真似るつもりで小剣を大きく振りかぶってジャンに向かっていき、そして——


 突如、私の手から剣がすっぽ抜けた。

 小剣はジャンの頭上すれすれをすり抜けて飛んでいき、麦畑へ落下した。


 がしゃん。


 金属の音。そして、誰かの悲鳴が聞こえた。

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