第4話 反骨精神に殉ず
カナタを知る人物は、彼を「スケベ」で「短慮」で「拙速」と言う。
しかし、カナタを
気になることがあると、まずカナタは深く考察する。いろんな角度から知り得る限りの要素を絡め、それはもう徹底的に考える。余人からは計り知れない心の内で、気の済むまで考える。
そして一頻り結論が出たら、すっぱりと切り替えてスケベなことを言い出すのだ。
もう一度言う。スケベなことを言い出すのだ。
早々にストレスを発散している側面もある。確かに、その切り替えの早さは称賛に値するが、如何せんその前にあったはずの深い思考は余人には見えず、ともすれば現実逃避に見えてしまうことも多い。
人生最大の危地においても、それは変わらなかった。
「あの姉ちゃんオッパイでか」
這う這うの体でヤクザから逃げ切り、現状を考察し、状況の悪さを噛みしめ、己の浅はかさを嘆いたはずのカナタは、現状に結論をつけると早々に思考を切り替えた。
さっきまで頭を抱えていたマンションの屋上。その
セリフと客観的な状況と胸にプリントされたSEXの文字を組み合わせると、もはや性犯罪者以外の何物でもなかった。
「お水かなぁ?あ、くっそ。このアングルだと脚が見えん。いっそ寝そべれよ」
再び口を突いて出る欲望丸出しのセリフ。第三者が傍にいれば通報待ったなしだ。だが生憎と、ここは本来立ち入る手段のないマンションの屋上で、客観的にそれを指摘されることはない。
しかし、例え誰かが横に居たとしても、今のカナタにそんな突っ込みを入れるかどうかは甚だ疑問だった。口から駄々洩れの欲望に、その目があまりにもそぐわなかったからだ。
鋭く地上をにらみつけ、忙しなく視線を動かしながら、必死に何かを探している。時折通る女性の肢体に目を向けはするものの、一瞥するだけですぐに別を見ていた。
誰も巻き込んではならない。
その一念で、カナタは今後の方針を定めた。しかし、どう動くべきか未だ判断がつかない。
ネックは二つ。警察側の関与の規模と、カナタの顔のバレ具合だ。
故に、カナタはまず相手の情報を探ることにした。
そのためには、奴らの拠点を暴かねばならない。ではどうやって暴くのか。一通り検討したが、カナタの頭では「後をつける」以外の方策が思いつかなかった。
幸い、ここは奴らがカナタを見失ったポイントで、3人の追手が分かれた場所でもある。合流するならここである可能性が高い。そう思って、しばらく道行く人を観察し続けたのだ。
「―――来た」
30分ほど粘っただろうか。別の場所で合流した可能性を考え次の手を検討しかけたところに、奴らの一人が現れた。厳つい顔立ちに派手な柄のスーツ。直接銃を受け取っていた奴ほどではないが、それなりに筋骨隆々とした体格。間違いない。カナタの後を追っていた3人の内の一人だ。息を切らせながら、急ぎ足で他の仲間と別れたT字路へ向かっていた。
そこへ、他の2人も別々の道から合流してきた。
「いたか!?」
「いや、どこにもいない!」
「こっちもだ!クソッタレが!」
そんな悪態を
「…臆すなよ、俺の体」
立ち上がったカナタは、覚悟を決めて頬を張り、進行方向に連なる建物を睨みつけた。
屋上を伝って行けば、奴らの進行方向を上から広く確認できる。余地なく敷地ギリギリに立つビルが幸いし、道路幅さえ飛び越えられれば、しばらく屋上だけで行けると判断した。
「さぁ、パルクールだ」
そう言って、先ほどは忘れていたマスクをつけ、フードを被る。
あの
手足の震えを無理矢理抑え、カナタは屋上を駆けだしたのだった。
◆
「逃がしただぁ!?」
「すいません…っ。徐々に引き離されて見失いました…!」
「馬鹿野郎が!!」
くすんだリノリウムの床にコンクリート打ちっぱなしの壁。天井の蛍光灯を淡く反射してはいるものの、部屋はやや
取引をしていたビルとはまた別の雑居ビル。先ほどとは違い、寂れてはいても未だいくつかフロアが埋まっている建物だ。
その6階の一室、ヤクザたちが拠点の一つとして使っている事務所で、執務机に腰かけた男が、身を乗り出して報告を上げた部下に怒声を上げていた。
黒いカッターシャツを纏った、取引時に直接銃を受け取っていたラガーマン。モリタと呼ばれていた大男だ。報告する側も大概ガタイがいいが、この男の迫力は比較にならない。
机を挟んだ反対側で後ろ腰に手を組んでいる3人は、最後まで黒づくめを追いかけていた
「相当な手練れの上に、この界隈に非常に詳しいようです。迷いがなく、障害物の位置まで正確に把握していました」
「身長は160センチそこそこですが、運動能力が化け物っす。街中で逃げに
「
そこまで聞いて、モリタは机に拳を叩きつけた。“口を閉じろと”いう合図だ。突然響いた爆音に、報告していた3人が身を竦める。
ただ、男は怒りを露わにしつつも、さもありなんと内心納得してしまっていた。頭の中で、先刻目の当たりにした奇っ怪にも程がある機動力を思い浮かべる。
「誰か顔は見たか!?」
「いえ。ゴーグルとフードで、風貌は全く…」
「…失態だ…っ!」
しかし、現状はそうも言っていられない。何せ、奴の額にはカメラがついていた。取引現場は、証拠として映像に収められたと、そう考えるべきだ。だからこそ、今日この場で捕まえてしまいたかった。
事務所に集った屈強なヤクザたちは計11人。取引に従事していたのはこれで全員だ。執務机の周辺に集り、モリタの指示を待つ。それを見やり、ひとしきり後悔を終えたモリタは、ある程度の方針を定めると再び怒声を上げた。
「”枝“を使って構わねぇ!草の根分けてでも探し出せ!何としてでも俺の前に連れてこい!!」
「「「へい!」」」
威勢のいい号令を上げつつも、モリタは内心頭を抱えたい思いだった。指示に従い部屋を出ていく部下達を見やり、一人になった彼は再び思考にふける。
動画を即時公開されてしまえば、自分たちは問答無用で豚箱行きだ。現場で押さえられなかったのは痛かった。奴を取り逃してしまった今、最早いつ公開されてもおかしくない。
刑事の方はどうか。銃を売っていた証拠を押さえられて困るのは、ヤクザよりむしろ彼らだ。向こうも必死になって探すだろう。
ただし、その手腕には期待できない。如何せん、関わっているのは警察全体ではなく、極々一部だ。警察のシステムやネットワーク、権限など、使えるものは多いだろうが、充てられる人員は少ないし、利用にあたって表向き正当な理由作りも必要だ。時間をかければ可能だろうが、動きは非常に遅いと判断せざるを得ない。
結論として、奴を探す前に証拠の
「若頭に報告すべきか…」
そう呟いて窓に寄りモリタは煙草に火をつけた。窓を開け、煙を吐き出し。
それを見て、怒髪天を突いた。
「…なめてんのか…っ!てめぇぇえええええ!!」
堪らず怒声を上げる。それもそのはず。
道路を挟んだ向かいのビル。その屋上に、今の今まで考えていた黒づくめが悠然と佇んでいたからだ。
フードに隠された顔の中で
どうみても馬鹿にしている。
「モリタさん!何が…」
突然響いた怒声に、組員が全員戻ってきた。窓際まで駆け寄り、モリタの視線を追って彼らも気づく。
「あの野郎!!」
「なんでここに…!?」
「まさか付けられてたのか!?」
黒尽くめは、罵声の連鎖に動じることなく2フロア分ほど下にいる面々を見下ろし、その顔を順に眺めた。窓は2つ。その狭い枠に、11の顔がのぞく。全員をゆっくりと見回し、他に人がいないことを確認すると、黒づくめは彼らを
“来いよ。遊ぼうぜ”
ヤクザは、そう解釈した。
「殺せぇええええ!!!」
青筋を浮かべたモリタが盛大に唾を飛ばし、1人が上へ、9人が下へ向かって動き出す。
上に上がった1人は監視役だ。屋上に出て黒づくめの動向を無線で報告する。下へ向かった9人は追跡役。うち6人は、黒づくめがいる向かいのビルに向かっていった。残りの3人は不測の事態に備えて下で待機している。
その間、モリタは黒づくめを
この世界に身を浸していれば、手練れの情報はそれなりに流れてくる。特にモリタは組でも古参の部類だ。この界隈で活動し、その能力が本物であるならば、こんな風体の刺客が耳に入っていないはずがない。
――不気味。
面と向かい合ってなお、その印象が欠片も拭えなかった。
にらみ合いを続けている間、自分の居るビルに部下が入っていくのを見下ろした黒づくめは、踵を返す。それを見たモリタは、焦りを隠せなかった。
「待てごらぁ!!!」
待てと言ったところで待つわけがない。分かっていながらも、モリタはそう恫喝した。
歩みを止めて顔だけ振り返り、横目でその顔を見た黒づくめ。虹色のスモークグラスで顔が見えないため、横を向いているようにも見える。だがモリタは、その視線が自分に向いていることを感じていた。
フードから覗くゴーグルが、モリタの凶悪な相貌としばし交錯する。
数瞬その状態を続けた黒づくめは、興味を無くしたように顔を背ける。
そのまま、何事もなかったように屋上を駆けだした。
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