メイドと結ばれるためにショタが領主を目指す立身出世物語

みけ

第1話 プロローグ


 筆頭執事であるジルドが僕のもとへやってきて、こともなげに祖父の訃報を知らせた。


「あなたのお爺様は隣国アムールでお亡くなりになりました。ですので、こちらの屋敷の主は現在を持って、ティト・フィン・フィガロ様に受け継がれます。私たちの雇い主はあなたの祖父フィルベルテ・フィガロ様でしたので、使用人を連れてこの屋敷から立ち去らせていただききます。お元気で、坊ちゃま」

「ちょ、ちょっと待ってよ!」

 信じられないほどあっさりと別れを告げるジルドは、恩はないとしても僕との思い出まで忘れてしまったのか、薄情にも屋敷の使用人を連れて出て行こうとしている。

「お、おじいちゃんはどうして亡くなったの!? そ、それに、なんで急にどこかに行っちゃうなんて言うの!? いつも遊んでくれたし、僕と一緒にいるのは楽しいって言ってくれたじゃない!」

 背を向けていたジルドは振り返り、僕の方を見て言った。

「そういえば、言ってませんでしたね。フィルベルテ様はアムールで採れた珍しいフルーツを食べて食あたりを起こし、そのまま衰弱してお亡くなりになられたそうです」

 彼の言葉に衝撃を受け、口が戦慄く。

ーーそ、そんな! あんなに元気だったのに……っ。まさか食あたりなんかで死ぬだなんて……っ!

 祖父の死とその死に方にショックを受けている中、ジルドは気の毒そうな顔をした。

「あぁ、愚かな坊ちゃま、お可哀そうに。フィルベルテ様はあなたが住むこの水上都市ーーアルピチュアの領主様でした。領主とはこの都市で一番偉い人という意味ですよ。あぁ、それと、先ほど言い忘れましたが、私が坊ちゃまと遊んでいたのは、私が雇われの身だったからです。楽しいと言ったのも、雇い主のお孫様に対するサービスです。坊ちゃまとのお絵描きやトランプは全く、少しも面白くなかったですよ」

 十歳に対してつら過ぎる現実を叩きつけるジルド。彼は優しく、そんな人ではなかったはずなのに。いや、それも彼のサービスだったのかもしれない。

 僕は悲しくなって、目元に熱を感じていると、ジルドは僕の隣にいるメイドのフェリーチェ・ヴァレンティーナを見た。

「フェリーチェ。あなたはどうします? あなたも坊ちゃまには手を焼いていたでしょう。私について行きますか?」

「私はーー」


「だめえぇえええっっっ!!」


 フェリが何か言う前に、僕は叫んだ。

 彼女の袖を掴み、ジルドを睨みつける。フェリは少し困ったような様子を見せるが、この手は絶対に離してやるものか。

 僕がこの年になるまで、ずっと世話係として一緒にいた彼女が、どこかに行ってしまうなんて可能性だけでも考えたくない。

「坊ちゃま。大丈夫ですよ。私はジルドさんと行く気はありませんから」

 彼女の言葉を聞いて、そっと拘束を緩める。

「ほ、本当に……? フェリは僕から離れない……?」

「えぇ。だから、この手を離してくださいますか?」

 彼女の言葉に従って袖から手を離す。僕が握りしめていたせいで、そこだけ皺ができてしまった。

 ジルドは「残念だ」と言って、数人の使用人を連れて出て行く。いや、フェリ以外の全員を連れて行ってしまった。

 あんなにお絵描きしたり、隠れんぼしたり、沢山遊んで世話してくれたのに。彼からの別れの言葉は、去り際にあっさりと一言だけ。


『坊ちゃま。賢く生きて領主になるんですよ』


 フェリのスカートを掴み、彼らの後姿を見送りながら彼女に尋ねる。

「僕、領主なんてどうせできないから、フェリがやってよ……」

「ダメですよ、坊ちゃま。領主は坊ちゃまにしかできないのですよ。私も応援しますから頑張ってください」

 フェリに応援されても、大してものを知らぬ、引きこもりをしていた十歳の僕には、とても領主という役割が務まるとは思えなかった。



 彼らが出て行ってから、屋敷内は一気にがらんとして静まり返ってしまった。いなくなった使用人たちの全ての業務をこなすことになったフェリは、とても忙しそうに屋敷内を移動し、僕と話す時間もない。

 先程まではジルド達が出て行ってしまったということを悲しんでいたが、一人ぼっちで自分の部屋にいると、祖父が亡くなってしまったという事実を思い出す。悲しみが重なり、大きな悲痛の波が打ち寄せ始めた。知らぬうちに涙がポロポロと溢れてくる。


ーーおじいちゃんが死んでしまった……。


 齢五十五にもかかわらず、祖父は僕を肩車したり、お菓子をくれたり、お土産を買ってきてくれて、甘やかされた記憶しかない。そんな祖父が急にいなくなるなんて、とてもじゃないが受け止めきれない。あまり屋敷にはいなかったが、それでも祖父のことが好きだった。祖父との楽しかった日々を思い出しながら、あの頃に戻りたいと嘆く。


 僕が人の死に触れたのはこれで二度目になる。一度目は母が亡くなった時。と言っても、その時、僕は一歳にも満たなかったため、当時の記憶は一切ない。その際、悲しみに明け暮れた父は僕を置いてどこか遠くへ行ったらしい。

 母が亡くなり、父が僕を置いて出て行ったと聞かされても、両親と過ごした記憶は全くないし、いつも側にフェリや祖父、ジルドがいたから決して寂しくはなかった。

ーーだけど……。

 その祖父は亡くなり、ジルド達は屋敷を去った。僕のもとに残ってくれたのはフェリだけ。そんな彼女も今、僕に構う余裕はない。

 ここ最近フェリを見ていると胸が痛くなったり、そわそわしてなんだか落ち着かないことが多くあった。そんな彼女を邪険にし、ジルドに「僕のお世話係になって!」と言った時、彼女はとても悲しそうな顔をしていた。それでも彼女は僕のために残ってくれると言った。彼女の優しさを知って、また涙が溢れてくる。涙を拭って誓いを立てる。


『フェリーチェは一生大事にしよう』


 いつも僕の部屋にいたフェリがこの部屋にやってくるのは、食事を持ってきてくれる時だけ。しかし、彼女が用意してくれたその食事も朝昼は手を付けられなかった。お腹が空かないのだ。そして、夕食さえも。

「坊ちゃま。用意した食事を一度も召し上がっていただけてませんね。フィルベルテ様がお亡くなりになり、悲しいのはわかります。ですが、しっかり栄養を摂らないと倒れてしまいますよ」

「食欲ない……」

 領主もやりたくない、何もしたくないのだと、愚痴をこぼす。

「……さぁ、口を開けてくださいませ」

 フェリはこの忙しい中、僕のために時間を作って、その手で僕に食べさせてくれようとしている。それは六歳までに卒業したのに。

 口を噤んでいると、スプーンを皿の上に戻した彼女はため息をついた。

「坊ちゃま。フェリは心配でございます。私一人でなんとかこの屋敷を管理してみせますが、今まで同様に坊ちゃまのお世話をすることはできません。私の料理が美味しくないのは申し訳ないのですが、今はこれが精一杯なのです……」

 ここには自分たち二人だけしかいないのだと言う。彼女は頭を左右に振りながら続ける。

「それに、ここはアルピチュアの領主が住む屋敷です。坊ちゃまが領主としての役目を果たせなければ、フィルベルテ様が愛したアルピチュアも衰退してしまい、いずれ私たちはここから追い出されることでしょう。ほとんど家から出たことがない坊ちゃまにとって外の世界は怖いでしょう? こうやって食事を取らず、領主になりたくないとごねてしまっては、私たちは生きていけません。適応するしかないんです」

「そ、外……!? や、やだっ! こわい!」

 フェリが言った『外』という言葉に過剰反応する。怯えて頭を抱えだす僕に、フェリは今までに見たことのないような、厳しい顔をした。

「坊ちゃま。フィルベルテ様がお亡くなりになられた今、このアルピチュアの領主になれるのは、坊ちゃましかいないのですよ!」

「そ、そんな!? ぜ、絶対無理だよ!! 領主なんてよく分からないもの……。そんな、一人で……っ」

 さっきとは打って変わって、女神のような顔をしたフェリが、項垂れる僕の手にそっと触れる。

「すぐ傍にフェリがおります。坊ちゃまは決してお一人ではございません」

「で、でも……っ! ただでさえフェリは家のことでいっぱいいっぱいなんでしょ!? そんなの……っ!」

「大丈夫です。今日は初日なので手をこまねいていますが、時期に慣れて坊ちゃまと一緒に過ごす時間も取れます」

 そんなの無理に決まっているという思いと、フェリと一緒にいたいという気持ちが絡まって、言葉に詰まる。口元がプルプル震える。

「坊ちゃま。私の料理はお口に合わないかもしれませんが、倒れてしまっては大変です。どうか、お口を開けてくださいませ」

 今度はフェリに従い、口を開いた。彼女はいつものように笑って、少し顔が赤くなった僕の口元へ手料理を運んでいく。

 口に合わないなんてとんでもない。彼女の料理はとても美味しかった。食べさせて貰うのは恥ずかしかったが、「今くらい甘やかさせてください」と言われ、渋々その行為を甘んじて受け入れた。

 夕食を食べ終わってしまい、もうフェリが部屋から出て行ってしまう時、僕は彼女の服を掴んだ。

「次はいつ来るの……?」

 今日一日の生活を振り返って、彼女が僕のもとへ訪れてくれるのはおそらく食事の時だけ。分かっていながらも、そうであって欲しくないと願い、彼女を見つめる。視界がウルウル揺れていて、彼女の表情はよく見えない。それでも、見つめ続けていると、頭を撫でられた。

「今日は久しぶりに一緒に寝ましょうか。少し遅くなってしまうかもしれませんが、こんなおつらい時期に坊ちゃまを一人にさせておけません」

 彼女の返事を聞いてパァッと気分が晴れていく。彼女はいつも僕の欲しい言葉をくれるのだ。

「う、うんっっ! フェリが来るまで寝ないで待ってる!」

 僕はギュッと掴んでいたスカートから手を離し、フェリは微笑んだ。



ーーずいぶん遅くなってしまいました……。


 雑用をこなしただけで、もう午後十時を過ぎてしまっている。ジルドが残してくれていた手引の三分の二しかこなせていない。

 これからは全ての家事を引き受けるとともに、坊ちゃまが領主として、立派に実務をこなせるように手助けする秘書の役目が加わる。初日といえども、途方もない仕事量に少しばかり頭を抱えてしまっていた。

 今からお風呂に入って坊ちゃまの部屋に行くとなると、十一時をまわってしまうだろう。いつも九時に就寝なさっている坊ちゃまは、もうお休みになられているはず。

 一度部屋を覗いてみようと、坊ちゃまの部屋に向かった。寝相の悪い坊ちゃまに布団をかけてあげなければと思いながらドアを開けると、坊ちゃまはベッドの上に座ったまま、うつらうつらと船を漕いでいた。ドアが開く音を聞いて、彼はこちらに顔を向けた。

「あ、フェリ……。待ってたよぅ……。早く、一緒に寝よう……?」

 坊ちゃまは目元を擦りながら、布団の中へゴソゴソと入っていき、動かない私を見つめている。

 坊ちゃまが私に向かって、ベッドをポンポンと叩いて誘う姿を見たのはいつぶりだろう。彼に誘われるままベッドに腰を下ろし、仰向けになっている坊ちゃまに布団をかける。

「フェリ……?」

「坊ちゃま。私、まだお風呂に入っておりませんので、先にお休みになってください」

「そんなのいいよ……。一日くらいお風呂入らなくても」

「いいえ。今日は沢山動いて汗をかいたので、それはできません。坊ちゃまがお休みになられるまでここにおりますから」

 坊ちゃまはとても眠たそうに目を開け閉めして、お風呂が終わったらここに戻ってくるのか尋ねてくる。

「えぇ。全て終えましたらこちらに戻りますから……。心配なさらずお休みください」

 坊ちゃまの頭を撫でていると、彼はいつの間にかスヤスヤと規則正しい呼吸を始めた。

 その寝顔は大変可愛らしく、領主として扱われるには幼すぎる姿。それでも、私たちは彼の祖父フィルベルテ様が亡くなった事実を受け入れなくてはならない。

 彼が起きないように小さな声で囁く。

「ティト様ほどアルピチュアの領主に相応しい方はおりません。これから、沢山大変なことがありましょうが、フェリは坊ちゃまと共にいますからね……」

 そう呟いた時、坊ちゃまが頷いたような気がした。


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