生まれた日、お別れする日、特別な日。
貴志
第1話:プロローグ
「あれ?」
家に入ってすぐに、何だか違和感。いつものお迎えが無いことに私は気付いた。
「先輩、幸一郎君は学童とかですか?」
「いや、もういるけど」
いつも通りの淡白な受け答えに、首をかしげながら玄関を上がる。私より頭一つ分は背の高い背中を追いかけながらリビングに入ると、眼下に広がっていた光景に私は言葉を失った。
フローリングむき出しの床に、パジャマのままの幸一郎君がうつぶせで寝そべっていた。いつも快活でいて礼儀正しいあいさつで、バイト先全員の癒しになっている弟君の、斬新すぎる家でのその出で立ちに驚きを禁じ得ない。
「料理準備するから、適当に座って待ってて」
「いやいやいや先輩、普通に話進めないでください」
外から戻って来た恰好のままエプロンを装備し、先輩はキッチンに立った。高身長かつスラっとしたその体躯が、キチっと結ばれたエプロンのひもによって強調されている。こちらを向く目じりは少し緊張しているように細められていてそれがまたクール……じゃなくて!
実の弟があんまりな姿をさらしているというのに、まるでそれが見えていないかのような先輩の様子には疑問しか湧いてこない。
「あの、今日って幸一郎君の誕生日パーティをするんですよね」
「そうだけど」
「じゃあ、これはどういうことなんですか」
「手は尽くした、けれどダメだった」
今度は三角巾を頭に装着し、キュッと頭の後ろで強く縛る。エプロンもそうだが、イチゴの水玉模様が先輩自身の雰囲気とのギャップもありなんともかわいらしい。
最後にこちらを真っすぐに見て、決め台詞のように言った。
「ただそれだけのことだ」
それきりキッチンの方を向いて、黙々と作業を始めてしまう。
……ダメだこの先輩。全く話が伝わってこねえ。
私は先輩から事情を聞き出すことを諦め、足元へと目を向けた。先ほどから変わらず顔を見せないまま臥せっているパジャマ姿が、ピクリと動きを見せたような気がした。
「幸一郎くーん……?」
「んぅーっ」
はっきりと身じろぎした幸一郎君の体から低いうなり声が響いた。手足の先を強く握り縮めながら左右に腰を揺らす姿は、まるで何かを拒絶しているかのようだ。
「今日はお誕生会だよー、どうしたのー?」
「……しんだ」
「へ?」
ちらりと一瞬だけ目元を覗かせた幸一郎君が、ポツリと一言呟く。私が返事に窮していると、またプイっと地面に顔をへばりつかせてしまった。
ふと視線をその頭の先へと向ける。そこに青色の蓋のついたプラスチックケースが置いてあって、私はようやく彼の言ったことへの合点がいった。
「あぁ、店長が持ってきたカブトムシ……」
お湯を沸かすコンロの音に、先輩が食材を切る包丁の音が混じりリビングに響く。開け放しにされているドアと網戸の間を、ぬるい風が流れていく。
夏休みも終わりに近づいた8月下旬。へばりつくような残暑に汗を垂らしながら、私は、店長が困り顔を浮かべていた春休みの一場面を思い出していた。
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