第二十九話 最前線

第二十九話 最前線



時と場所は変わり、西の最前線。


開戦初日からテトラ遭難までの三日間。最前線は異様なまでの静けさが支配していた。


開戦初日。進出したログリージュ王国の先鋒軍三万と、第一線の各防衛陣地との弓の射かけあいが最後通牒交換から一時間後に始められた。


圧倒的な物量で攻める人間側の弓だったが、いかんせん分厚い森の木々に阻まれてしまい成果はほとんど無に等しかった。


対して森の奥からは正確に矢が射掛けられ、複数の陣地からの集中攻撃はいくつかの戦線において先鋒軍の統率を乱した。


初日の先頭は双方に若干の損害を生んだにとどまり、日の入りと共に人間側は野営に、森人側は要塞各所で守備人員の交替を恙無く終えた。



二日目の早朝。この日、あっさりした初日からは想像だにしない大事件が早速起きた。


日の出前、要塞正門前野戦指揮所。


「ヴオォォォォ!!!」


「なっ!?な!?なんだ!?敵襲かッ!!??」


指揮官室でバイバルトが寝ていると、天幕の外から近所迷惑ギリギリの大歓声が響いてきた。恐る恐る幕を捲り気配を殺して伺うと、そこにはバイバルトの想像の斜め上をいく光景があった。


粗末な木箱を論台代わりにして煌びやかな鎧を身に纏ったハンナ・バアルが、見渡す限りで歓声を上げる彼女の直下兵である竜騎軍に囲まれた状態で演説をしていたのだ。時刻は午前三時前。時間など、疲労など知らぬとばかりに、兵士たちの瞳は血走りまくり危ない光で輝き、何だか赤いオーラをまで放っている気がする。歓声は汗を掻くくらい全力で上げているし、まだ初春で雪も残っているというのに上半身裸の奴もいる。混沌の闇鍋と化した出陣式からバイバルトは目を逸らすことの出来なかった。とにかく勢いが凄かったのである。


「竜騎軍の同胞達よ!!そして、誉ある山越えクラブ高級会員達よ!!!!吾輩の声を聴け!!」


バーン!と右手のひらを前に突き出してよく通る声を張ったハンナ。今日のコーディネートは上下白のチュニックの上から男物の金ピカの一体型筋肉鎧を被り、金ピカの鋲を打った革を短冊にした前垂れ、足元は編み上げ革長靴、首元には南方原産の曲がった角の生えた赤い虎「鬼虎」の毛皮をマント代わりに巻いている。茶色の丈夫な革の腰帯には宝剣「雷光バルカ」を差し、頭上には将帥が与えられる金ピカの月桂樹が輝いている。完全武装である。


「YES!!!姐御!!!」


イカれた仲間達を紹介するぜ!!の勢いで筋骨隆々、赤、青、緑、茶色と色とりどりの竜人(ドラゴニア)達が雄叫びを上げながら踊り狂っている。


「貴様らに問う!!我らの前には何がある!!!」


ハンナの一声に一瞬の静寂。そして、爆発。


「マルダーホルンです!!!」


大陸の北壁。森林帝国とロマノフスカヤ帝国を南北に隔て、森林帝国の北西方面を守る自然の要害であると同時に西方諸国への進撃を阻む絶壁でもあり、頂上は地上七千メートルは下らないとされる前人未踏の大霊峰である。


「その通り!!未だかつて何人の登頂をも阻んできたかの霊峰である!!そして、その不踏伝説はこれより我が軍の脚によって永久に過去のものとなるのだ!!!いざや進撃開始!!皆のもの、最短距離で行くぞ絶対的に直進せよ!!!」


「ウヒョォぉぉォ!!!!!」


高らかな命令が響くと間をおかずにトドメの大歓声が、耳をつん裂く絶叫となって早朝の冷たい空気に伝播していった。


ハンナの奇行に慣れたつもりのバイバルトは彼女達を見送ろうと、出陣式の終わりを見計らって天幕を出ようとして愕然とした。


誰もが長大な要塞線を北に伝って回るものだと考えていた。


だが、竜騎軍は真っ直ぐ。文字通り直進を選んだからである。

これはすなわち山登りのついでに、敵軍七十万の横陣をわざわざ突き破っていこうと言うのである。馬ではなく巨大な六本足の色とりどりのトカゲに騎乗した竜騎兵と、巨大な戦マンモスや戦ヤギに車を引かせてこれに歩兵が分乗する、帝国独特の兵科である機動歩兵。彼らが慌ただしく先頭のハンナに続いて出陣していく。


あっという間の出来事で、先ほどまで人で埋め尽くされていたと言うのに、すっかり空になった野戦陣地の空き地に誰かがハンナを制止する声が虚しく響いた。



竜騎大将軍に率いられた二万の禁衛軍竜騎軍は騎兵七千と機動歩兵一万三千の編成であった。

彼らは自軍陣地をさっさと抜けると、敵の侵食を妨げる森の隠れ蓑からも完全に抜けて、迷うことなく森の正面に陣取るログリージュ王国先鋒軍三万の陣地に突っ走った。


「てっ、敵襲ーー!!!!!!」


早朝に響く鐘のけたたましい音。守る側の敵による正面突撃。全くの奇襲に人間側の陣地内は大わらわであった。


「何事だ!!」


「急げ!持ち場につけ!!柵から離れるなよ!!」


「ひぃ!化け物が攻めてくるぞ!!」


馬では駆けつけた指揮官の叱咤にも応える余裕なく、兵士たちは肌着に剣や槍の姿で陣地を囲う柵にへばりついた。


「これは何事だと聞いとるだろうが!!」


「敵襲です!!足音が聞こえたんでさぁ!!ぼぉぉぉ!っておっかねぇフイゴのバケモンみてぇな鳴き声も上げてましたでオラは急いで鐘ば鳴らしたんでさ!!」


二度目は詰問となった。急ぎ状況の把握と上層部への報告を済まさなければならない大佐の剣幕に田舎から徴兵されてきた若い兵士が答えた。

地方訛りの彼は己の耳を指差しながら大佐に必死に話しているが、大佐の顔は怒りで赤くなった。


「バカモーン!!こんな朝っぱらから敵が来るものか!!よりにもよって化け物だ?相手は魔物と聞いてはいるが、ゼルプの奴の冗談に決まっておる!相手は単なる未開の蛮族だぞ!!」


怒る大佐はカチリと軍の制服を着こなしている。いかにもインテリな弦巻の丸眼鏡をかけた大佐は外見通りのエリート街道を進むこと暫し、軍の勘定係として大層優秀ではあるのだが現場上がりのゼルプとの溝が浅からぬ男だった。


「だども…ほ、本当におっがねぇ声が聞こえたんでさ!!耳ば澄ませてくだせぇよ!!」


しかし、一喝されても頑なに槍を両手で縋るように持つ兵士の顔は青いまま。逆に大佐の顔は赤いままである。


「まだ言うか!!この騒動の始末はつけてもらうからな!他の隊の士気に影響したらどうするつもりだ!!今日から本格的な削りが始まるんだぞ!!…?め、めまいがするぞ?」


怒れる大佐が手に持っていた馬用の鞭を振りかぶったところで、彼はめまいを起こしたことに気がついた。


「あ、あ、あ…う、うあぁぁぁ!!!」


「お、おい待て!!どこへ行く!」


正面で先ほどまで槍に縋りついてなんとかそれでも逃げずにいた兵士が、目眩がしたと思えば途端に槍を捨てて逃げていくではないか。


「臆病者め!!貴様は軍法会議へあげてくれ、れ…れ…うわーーー!!!」


神経質な顔に陰険な笑みを浮かべた大佐は鞭をしまって、逃げる兵士に聞こえるように叫ぼうとして、やめた。かわりに子供じみた叫び声をあげて腰を抜かしてしまった。


「はははは!!!すすめ!すすめぇぇい!!アフリカヌスよ!!その調子で柵を吹き飛ばしてやれい!!」


「ギャァァァア!?」


プチッと潰された地上の大佐が最後に見たのは毛深く分厚いアフリカヌスの足の裏、そして最後に聞いたのはこの上なく楽しそうなハンナ・バアル・バルカの叫びであった。


「ウホォぉぉぉ!!!姐御に続けぇ!!!」


「ひ、退けー!!!もうだめだァァァア!!」


抵抗虚しく頼みの柵をアフリカヌスに破られた陣地の中は狂乱の極みに達していた。アフリカヌスの頭上十五メートルに拵えられた特等席からハンナの檄が飛びまくり、それに応えるように雄叫びを上げて砂蜥蜴に森蜥蜴や森山羊に鞭を入れる勇士達こと山越えクラブ高級会員一同の目は血走り、口の端からは涎が垂れている。明らかに危ないものをキメている彼らはしかし正常かつ健康である。あくまでハンナの登山ジャンキーに毒された悲しき被害者達であるが、その話はまた別の機会に。


かくして二万の竜騎軍は第一陣を突破。二日目に森林内部へと直接軍を進める役を担っていた先鋒軍三万は瓦解した挙句、ちゃっかり指揮官の大佐を物理的に潰されるという致命傷を負うこととなった。


だが、残念ながら人間達の恐怖はまだ終わらなかった。


「さぁ!まだまだ、こんなものは山に例えれば三合目にも到達していないぞ!!死にたくなければ吾輩の背を追え!!山に登りたいものも吾輩の背中を追え!!!」


「ヴオォォォォ!!!あねごぉぉぉ!!!!」


ハンナの檄がまた飛んだ。彼女は宝剣バルカを眩い紅に輝かせてカリスマの声を届ける。兵士たちはなお一層喉を酷使してハンナの名を呼ぶ。彼女が用いるのは勇者の魔法とは別物の魔導である。魔導を使うことができる者は森人(フォームレスト)の中でも魔人(マギア)と呼ばれ、その多くが貴種として一目置かれる存在である。その中にあって、彼女は竜人(ドラゴニア)の貴種たる龍人(ノブレンシア)、その中のさらに頂点とされる火の龍人である。希少な攻撃魔導の使い手である以上に、彼女は物理魔導と呼ばれる万能型の使い手として天賦の才能を誇っている。


その最たる例こそ、今まさに彼女が実演してみせた音響の拡張である。名将は得手して兵士の士気を上げるのが巧みである。

大きな声を、言葉の意味を、一兵卒の心に至るまで徹底的に届ける能力はもとより有能な彼女の軍才に、圧倒的なカリスマの応援を与えた。


「さぁ!もうひと暴れと行こう!!目指すは敵軍横陣の完全分断!!!只管に前へ進め!!!」


ハンナ達はアフリカヌスの巨体を先頭に、砂埃を吹き散らしながら第二線へと躊躇なく衝突した。


「姐御に続けぇぇ!!」


花も蹴散らす乙女マンモスであるアフリカヌス。彼女の進撃は何人にも止められない。いや、そもそもアフリカヌスほどの巨獣と出会ったことなどない人間の兵士達は、敵前逃亡で死ぬかもしれない恐怖よりも、あの巨脚に踏み潰されれば必ず待ち受けている絶対の死への恐怖に耐えられなかった。槍を放り捨てて我先にと逃げ出す兵士たち。すっからかんの防御柵を十も踏み破った所で、久しく感じなかった抵抗らしい抵抗が始まった。


「弓兵用意!!迎えうて!!!」


「弩隊!近づきすぎるな!柵の寸前まで引きつけてから放て!!」


それまでの木を削っただけの端材を麻紐で繋いだ程度のものから、幾分か太く革紐で繋がれたものに柵も変化し、柵の奥から竜騎軍に弓を構える兵士たちの装備も全身鎧に盾を構えた重歩兵や固定式の大盾に隠れつつ長い鉄火筒を構える銃歩兵の姿も見える。弓兵の密度もそれまでの比ではなく、練度の高い精兵が揃っている。


ハンナの背に全身重武装の竜騎兵部隊が追いつくのと同時に、一斉に弩の滑車が作動し矢を放つ。弩だけでなく、数千からなる矢の大群が竜騎軍に雨霰と降じた。数限りない矢が竜騎兵達はもちろん、竜人兵を乗せた六本足の森蜥蜴達にも突き刺さっている。竜人蜥蜴共に尻尾まで重厚な艶消しの重鉄鋼を打ち合わせた鎧に身を覆った彼らは今や針鼠のような姿となっている。弓矢の斉射で弦が緩む反動で打つような音を奏でる。火薬を焼く香りも漂い、鉄の球が火薬の力を借りて尋常ならざる速度で打ち出される。物理的衝撃力や殺傷力は矢や弩の比ではない。森林の民が経験したことのあるどの戦場にもなかった、鉄と鉄を打ち付ける重々しい仰音が響いた。アフリカヌスはその可愛らしい濁声をぶおぶおと鳴らし、砂蜥蜴や森蜥蜴達もぎょるぎょると切なげに喉を鳴らしている。断末魔に構うことなく、全力での集中砲火が続くこと五分。


「撃ち方やめ!!撃ち方やめ!!」


指揮官の声が響き、束の間の静寂が訪れた。辺りは火炎の


「ハァ…ハァ…ハァ…これだけ撃ち込めば全滅は免れまい…」


汗だくの弓兵隊長が指を痙攣させながら言った。


「や、やったか?」


指揮官の懇願するような声。徐々に煙がれていき、奥から現れたのは怒りに燃えるハンナ・バアルその人の健在な姿であった。


「効かぬわ!!!貴様ら!!なんなのだ!?この腑抜けた矢は!!!吾輩ら山越えクラブのことを舐めておるのか!!おい!お前たち!!!この平地人達に山登りの極意を教えてやれ!!ゆくぞ!登山のお約束その壱!!!!」


身体中に浴びた矢を身震い一つで払い落とした無傷の竜騎兵達は各々の得物を掲げてハンナの問いに応えた。


「登山家たる者!!突然の天候変化にも臨機応変に対応できるように心がけましょう!!!」


「さらに!!!」


「山の天気は不安定!!雨が降るとも雪が降るとも槍が降るともわかりません!!!雨具と防具は必須です!!!」


「よく言った!!!では諸君に問う!!吹雪に対処する方法を実演せよ!!!」


ハンナから問いかけられた人間の兵士たちは困惑顔。


「じ、じっと蹲って去るのを待つ!!」


勇者が一人いたようで、ハンナに解答した。判定はいかに!?


「残念!!!ハズレだ!!!ハッ!?貴様さては長靴半島の回し者だな!?裏切り者には死あるのみ!!」


「死あるのみ!!!」


突如豹変するハンナと彼女の部下達。


「「「えぇ!欠片も知らない!!」」」


困惑が極まる人間達。圧倒的な勢いに任せた進撃が再び始まろうとしていた。今度は何と明確な冤罪を発端として…。


「やれ。アフリカヌス!!」


ハンナの冷徹な一声でアフリカヌスは長い牙と分厚い筋肉の塊の鼻を鞭のようにしならせると一思いに振り回した。


あっと言う間も無く、絶対的な質量に噴き上げられたものは頼もしかった筈の木柵だけではない。人も盾も全て吹き上げられてしまったのだ。勢いよく宙を舞う、運に見放された兵士達。アフリカヌスの正面の柵にぴたりと配置されていた兵士たちはあらかた掃かれ、真正面が突然の空白地帯になった指揮官は唖然と巨神を見上げるしかなかった。


「さぁ!直進撃を再開する!!!山越えクラブ代表メンバーの意地をその目に焼き付けよ!!!」


「ウギャァぁぁぁ!!!!!?????」


二日目の午前六時過ぎにハンナ・バアル・バルカ竜騎大将軍率いる禁衛府竜騎軍約二万は直進撃を完了させ、休むことなく全速力でのマルダーホルン登頂を開始した。


山越えクラブ高級会員二万が踏み荒らした後には、運悪くその正面に陣取っていたログリージュ王国先鋒軍三万、各国主力軍西端諸部隊の横陣が真っ二つに裂かれた残骸のみが死屍累々と続いているのだった。




西バルカン戦争二日目早朝の被害総計、森林帝国側重軽傷約三十名、西方諸国連合軍戦死約三千五百余名、重軽傷者約一万八千余名也。

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有翼のリヴァイアサン ヤン・デ・レェ @mizuhoshi24916

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