第二十四話 籍羽狄古乃 後編

第二十四話 籍羽狄古乃 後編



前列二百騎の隊列を散々に切り裂くこと数分。後衛で魔法発動を今か今かと待っていた魔法騎士百名。彼らに対して遂にテクナイの刃が向かった。待ち受けていた魔法騎士たちは自分達の出番だと意気を上げた。死ぬ恐怖から目を逸らしての蛮勇は、本質的にテクナイが誇る武威への畏敬からくるものであった。


「魔法斉射用意!!」


「放てぇぇ!!!!」


「「「清浄の炎よ行け!!」」」


「「「荒涼の風よ吹け!!」」」


百名の魔法騎士がテクナイの命を刈り取らんと虎の子の魔法を各々の得物から解き放つ。

人間が魔法に関して甚だしく帝国に遅れをとっていることは事実だ。

しかし、人間には人間ならではの魔法学なるものがある。魔法学はその誕生から最終目標の一つとして軍事力の拡大を掲げて発展してきた。

この点は森林帝国が魔導技術を文明発展のためだけに開発してきた点とは大きく異なった。


結論から言えば魔法または魔導の軍事利用に関する歴史は人間の方が長いのである。

そして、魔法騎士は第一線級の攻撃魔法を使用する専門兵である。彼らの得物というのは魔法を発動させる触媒を兼ねるものも多い。これらは十字の銀細工や銀の指輪に魔導鉄鋼を埋め込んだものである。魔導鉄鋼は帝国でしか採掘・加工ができない。帝国から輸入した魔導電気機器を分解し、微量な欠片をかき集めること数年。魔法騎士ニ千名分の魔導鉄鋼を涙ぐましい努力で集めた聖銀騎士団もとい人類の努力の結晶がここで見事火を吹いたのである。


「ッ!!!」


「よぉし!!飲み込んでやったぞ!!」


「怪物を燃やし尽くせ!!清浄の炎よ!!!」


「荒涼の風よ!!礫を飛ばせ!!」


ゴボゴボゴボゴボ!!!バワウバワウバワウ!!!


橙色の炎が同じ光を纏う剣から放たれ、緑色の淡い光を纏った銀の首飾りや銀札を嵌め込んだ経典を持つ魔法騎士を中心に激しい風が吹き荒ぶ。

炎は可燃物がないにも関わらず剣を伝ってドウドウと注がれるようにテクナイ目掛けて飛び込んで行くように見えた。

炎が飛翔したのは魔法で起こされた風が文字通り炎に勢いをつけたのみならず運搬の役を担ったためである。

風というより物理的干渉とも言える力に煽られて一層赤く、熱く、高く立ち上る炎がテクナイを愛馬の兎騅ごと飲み込んだ。

追い打ちをかけるように魔法で風が起こされる。

攻め立てるように地面に転がる小石飛礫を吹き上げてはテクナイの行動を狭めることに余念がない。


「………」


「……やったか?」


数分もの激しい魔法斉射攻撃により土が焼け焦げた匂いと砂埃が辺りを霧のように包んでいた。

熱気が立ち込めては魔法騎士たちの顔に塩辛い汗を垂らした。

彼らは荒い息を吐き出しながらも恐怖から解放されたもの特有のあどけない安堵の表情で目の前の惨状を見つめていた。


誰かが言った一言は何事もなく空に消えるはずであった。


「ハッ!!!!」


「なっ!?横跳び!?き、切り抜けただと!!!!」


「そんなバカな!?」


「覚悟はよいなッ!!!」


「うわぁぁぁ!!!せ、斉射!続けて斉射!!!」


百名による圧倒的火力での徹底殲滅攻撃。

何人の生存も許さない苛烈さをもってしてもしかし、テクナイは、彼女は現れた。

人間世界の最高の軍事魔法専門兵士の集団は狼狽を隠すこともなく無理を押して二度目の斉射準備に取り掛かる他無かった。

テクナイの鮮烈な赤い瞳が風よりも早く迫ってくる。

彼女からの死刑宣告に火炎粉が舞った。例え幻覚であれ幻聴であれ同じこと。

彼女の言葉を脳が理解する前に体が反応した。

死からの逃走のために逃げ腰で魔法を放とうと騎士たちは得物を向けるがそれも疎であった。


「うわぁぁぁ!!!ま、間に合わなぃギッ!?」


「ててて!撤退!!!ーーギャァァァア!!」


「オォォ!!!!」


「ヒィ…」


軍事利用の歴史は人間の方が長い。


しかし、そもそもの経験値は圧倒的に森人(フォームレスト)の方に利があって然るべきである。

攻撃魔法の開発こそ進められていなかったが、こと防御魔法や対魔法防御に関しての研究は盛んに行われてきた。

常に受け身にならざるを得ない地政学的要因が森林帝国にはあり、攻められることを前提とした頑強な国家体制の基礎には即応能力と防衛力が不可欠であった。


そして、それは言わずもがな魔法にも適応されていた。

超火力を前にテクナイは冷静に対応した。

炎が迫りくる中で彼女はまず兎騅の進路をすぐさま逆方向へと転ずると互いの姿が派手な火炎と土煙で見えないことを利用して炎から距離を取った。

逃走中に襲い掛かる炎を突入したものと勘違いしている間に迂回し、その間に敵の火焔が収まるのを待った。

魔法による風と炎が潰えた頃に自然の風に煽られて動き出した土煙に連動して再突入を敢行した。

自然の風に従って徐々に開ける視界と共に当初の突入地点から大きく外れた、魔法騎士たちから見れば突然横へ移動したような、箇所からテクナイは飛び出してきた。


その後は言うまでもない。彼女は自らの両碗に同じ双剣で冷酷なまでに魔法騎士たちの命を確実に刈り取っていった。


散発的に繰り出された魔法をものともせずに無傷で切り抜けた先、瞬く間に最前列の魔法騎士たちとの距離を詰めたテクナイは無慈悲な双鉄を叩き込んだ。蹂躙が開始された。


グシャッ!!!ゴジャッ!!!


「ごァッ…」


「ゲぶぅ!?」


「ぎゃあぁぁ!!」


フルプレートの鉄甲を薄木板のように叩き割る音が軽快に響く。下着の鎖帷子はちぎれ飛んだ。五分とかからずに魔法騎士隊は崩壊した。


血潮と土埃の奥から飛び出してきたテクナイは依然健在である。褐色の肌に瞳と同じ赤に染まった返り血滴る銀髪をたなびかせた鬼神は悲鳴を喉に詰まらせた二列目の騎兵を殺し尽くすとさらに前進した。


鉄の全身鎧が無力にも割られる音。


鋭い切れ味の白刃で切り裂いたのではない。

重量物を勢いよく、無駄なく全力で叩きつけた結果である。

分厚く長い、見る人が見れば斬馬刀に思えるそれは双剣である。

テクナイは自らの手足の如くこれを操る。

刃渡り一メートルに届くこの宝剣の前では人間のフルプレートアーマーなど薄ペラなブリキ板に過ぎない。

容易くその衛を破り、その下に隠された柔らかな肉に勢いと切れ味を発揮するのだ。

強靭な鈍器になりうるそれはしかし剣である。

一度肉を前にすれば剃刀のような鋭い切れ味で食らいつく凶暴さはテクナイにしか扱いこなせない猛犬の如きである。


「ヒィぃぃ!!鬼神だ!鬼神がくるぞおぉ!!!」


誰が叫んだか。腹に溜めに溜めた恐怖は爆発した。


「我こそ籍狄古乃也!!!天に仇名す者どもよ!!死にたい奴から前に出ろ!!!」


敵の恐慌を見落とすテクナイではない。蓋峻と燕覇から血を払うと大音声を戦場に響かせた。畳み掛ける時は今である。兵法の妙技は今こそ発揮されるべしだ。


「逃げろ!にげろぉ!!」


「陣地にもどれ!!大佐の元へ!!」


「嫌だァァァァ!!死にたくない!死にたくない!!」


兵士たちは泣きながら、失禁しながらと色々の醜態を晒しながら狂ったように馬に鞭を入れ始めた。聖銀騎士団の誇りはどこへやら、彼らはすっかりテクナイの暴威を前に臆してしまった。


「お、落ち着け!また大丈夫だ!お前ら!まだ勝てるぞ!こっちの方が数は多い!!敵は一人だ!!」


逃げ腰の味方の元へとやっとの思いで辿り着いた勇者ユウヤ。

彼を待っていたのは完全に士気を折られた第三中隊の遁走劇である。

彼の声がけに少しの落ち着きを取り戻したものの、依然としてテクナイへの畏怖は沸々と起こっていた。


「あっ。」


呆然としていた勇者ユウヤは意図せずテクナイと目があった。勇者ユウヤを認めた彼女はすぐさま勇者目掛けて馬を駆けさせた。足元の転がる泥人形のような白銀の残骸。

第三中隊の援軍にと向かってきた第四中隊の蹂躙を淡々とこなした彼女が感情をあらわにした。憤怒である。瞳は煌々と怒りを赫く吹き散らしながら飛び込んできた。


「勇者ッ!!小賢しい豎子がッ!!策が相成った今。貴様を殺すことに躊躇があろうか!!」


侮蔑と怒りを増した声はそれまでの彼女からは感じられなかった明確な感情を放つ。

テトラを前にしての彼女も無論のこと彼女である。

しかし、武将としての彼女が敬愛する主君の前に曝け出されることを彼女自身が許容できないでいたのだ。

生来では傲慢不遜で気の短い彼女の弱点とも言える本性が垣間みえている。

戦場に吹き荒れる血の嵐は彼女が被っていた清楚の仮面を引き剥がしてしまったといえる。


「て、テクナイぃぃぃ!!!てめぇの相手はオレだぁぁ!!」


「軽い!!」


それまでの理不尽と思い通りにいかないクソゲーの展開に腹を立てた勇者ユウヤはこめかみをひくつかせながら聖剣を振るう。

しかしそれを難なく受け止めたテクナイは言葉少なに燕覇をふるって勇者の体を揺さぶった。


「クソが!!オラ!!」


下段から大ぶりに切り上げる勇者ユウヤ。

剣は赤熱して彼に力を与える。彼自身のチートに加えて更に常人を遥かに超える膂力を与える。力技で相手の出方を探る一手である。


「ふん!!」


下から蛇の如く這いずる剣筋を見切ったテクナイは危なげのない動作で真上から剣の腹を叩き落とした。魔法剣士として剣術の才に比類なき勇者ユウヤは寸前で剣を引き戻す。


「〜〜ぐあぁぁぁ!!!」


体を筋力任せに捻りあげて中断で突きを繰り出す。

鋭い突きは右の剣を上段から振り落としたばかりのテクナイの喉を狙ってのものである。

稲妻の突きはしかしテクナイが引き戻した燕覇の腹で受け止められ、すぐさま喉元への軌道外へと受け流される。

体を強引に引き戻した勇者。またしても人間離れした肉体を酷使してテクナイの斬撃をすんでで受け止める。


「軽い…私から行くぞ!!」


「うぉぉお!?くっ!?ッ清浄の炎よ!!」


ゴボボ!!!


テクナイは兎騅を駆って勇者へ肉薄した。

瞬時の出来事にほぼ反射で動いた勇者ユウヤは鼻先三寸に鉄の壁が迫る恐怖に慄きつつ聖剣バベルから炎を吹き上げる。

双剣の軌道をチートにより見切った彼はギリギリで首刈りの双撃を回避する。

体から魔力が抜けて彼の体から湯気が上がり汗が散る。

継続しての魔法の使用は肉体的な負担が大きい。

常人であれば失神間違いなしの高火力を継続して発動させる彼はやはり勇者であった。

彼は炎を滾らせた聖剣バベルを上段に全力で振り下ろした。

熱気巻き上がり馬上から遠い地面の雑草が焦げて土の青臭い香を紛らわす。


「清浄の炎よ!!!」


火勢はいよいよ猛りテクナイへと雪辱を晴らさんと迫る。


「猪口才!」


「ぅあッ!?」


が、彼女は冷や汗一粒かくことなく剣で炎波をいなすと鋭利な剣先で勇者ユウヤの頬を撫ぜ切った。黒髪と血が舞う。


「勇者よ!!幕だ!!!」


「ぐぶぅ!?がぁぁぁ!!!!」


魔法剣士という固有の転生特典(チート)を与えられている勇者ユウヤには天才的な剣術の才能と超人的な動体視力がある。

そのスペックは確かにテクナイの剣筋を捉えていた。

捉えていたが、しかし彼は彼女の剣を受け止めるたびに弾き飛ばされた。

その剛力は正に山を相手にするが如くであった。

この世界に来て初めて感じた肉体的な痛みによろけたユウヤにテクナイは容赦のない一刀を与えた。


都合十合に満たない一騎討ちはあっさりと勇者ユウヤの敗北で終わった。


「がッ?!がふッ!?ヒュー…ヒュー…!!!」


肩口から深く裂かれた勇者は口と傷口から血を噴き出した。

致命傷であった。血痰を吐き出し顔は苦痛に歪む。

白を基調とした鎧と衣裳は瞬く間に赤く染まった。

顔中を血と涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしたその姿は勇者とは言えまい。


「……締めだ。」


刀を勇者の肉から引き抜いたテクナイは目の前の垂死の輩に引導を渡してやろうと片割れの蓋峻を傾けた。


「ッや"だ!!や"ッ、ぃ"や"だッ!!!」


傷口を手で押さえて泣き喚くユウヤは虚な瞳でテクナイから距離を取ろうともがいた。

顔を彼方此方へ振り乱し、足元に聖剣を見つけると煤けた白馬から転げ落ちるように着地して最早握る力無き両腕でそれにしがみついた。

ユウヤの様子は滑稽だが、当人たちからすれば哀れに過ぎた。


しかし戦場の掟としてテクナイが彼を救う道理はなかった。


「や"ら!やだ!たずげ、だすげで!!いだい!いだいよ!!いやだ!ごめんなざい!ごめん!ごめんなざィ!!!ゆるじで!ゆるじっぃ…………」


テクナイはユウヤの黒髪を毟るように掴んだ。

頭を抑えられた彼は壮絶な顔になる。

ちらりと見た首元には分厚い蓋峻が血の香りを吐いている。

白刃が後ろへ周り、項の骨につたわる金属の冷謐に身震いを覚える。

泥に爪を立てて離れまいとする勇者はテクナイの前に無力だ。


ずう…と刃が食い込み、そして…


「ぁ…………」


……………。



テクナイ一騎を残して分離した百騎はそのまま偽造離脱を図った。

テクナイの強烈な暴打を受けて混乱する二千騎から守護騎士二百名が突撃を敢行していた頃、完全に離脱したかに思われた百騎は敵軍の後尾へ突入した。

前方のテクナイの苛烈な攻撃を受けて幸運にも生き残った負傷兵たちが安堵していたのも束の間。

テクナイへの密度を高めるために速度を緩めていた後方一千騎は無防備な背を打たれた。


さらに不運なことには守護騎士二百卒を轢殺して勢いを増すテクナイが殺戮と混沌を巻き起こしていた。

魔法騎士による砂煙は後方からの視界をも遮り、煙が晴れると共に火牛の如く血飛沫を立てながらテクナイに切迫された彼らは大いに統率を乱した。


背を打たれた後方部隊は前へ逃げようと馬を走らせ、前方からテクナイに粉砕された部隊は後方へと逃れんとした。

騎馬と騎馬はすれ違えば運の良い方で、混乱の中に互いに衝突して愛馬の下敷きになる者、友軍の騎馬に踏み殺されるものなど混乱の中に起きた事故で死んだ者が百を超えた。


混沌に支配され人馬が秩序なく流れ狂う激流を逆走すること暫し、何とかテクナイへと追いついた勇者の登場は唯一の希望となり得た。

しかし、帰還により一時は統率と士気を立て直せた後続部隊も背面よりの奇襲に成功して士気を爆発させた新生百騎に打ち破られ、人間側の一騎当千の丈夫である勇者は味方を率いる余裕もなくテクナイとの一騎打ちに手間取られていた。




振り返ることもなく我軍の陣地へと逃げ帰る聖銀騎士団とは対照的な者たちが血と泥の香りが強く充満する戦場にて勝鬨を叫んでいた。死に物狂いで奇襲を成功してみせた百騎は見事に天の微笑みを得たものと見える。


「貴様はもう十分に罪を償った。自らの命で罪を濯ぐのだから何人もこれを犯すことは無い。安心して逝くといい。」


百騎の中心で燕覇を高く掲げてみせるテクナイは幾分か優しい声をかけてから旗布に包んだ勇者ユウヤの首級を部下へと預けた。


「テクナイ将軍万歳!!!」


「テクナイ様に栄光あれ!!我らの勝利だ!!!」


「勝利をテトラ陛下へ!!そして祖国へ!!!」


「陛下へ!!そして祖国へ!!」


ウオオオォォォ!!!!!


神聖御宇暦二年の初春。籍羽狄古乃と彼女が率いる百騎は勇者率いる聖銀騎士団二千名に勝利した。これは人間に対して森林帝国が初めて手に入れた戦争状態下における正式な勝利となった。


テクナイの勝利はのちに大錦の伝説的な歴史家である司馬仙によりこう記録されることとなる。


ーーーーー



碩武十年 狼珠国勇者裕也攻森威


(碩武帝十年=神聖御宇暦二年にログリージュ王国の勇者ユウヤが森林帝国を攻めた。)


勇者奇兵将弑天帝


(勇者は奇襲して皇帝を殺そうとした。)


勇者率一万五千


(率いること一万五千騎。)


奇兵害臣下 天帝乱心


(奇兵により(テトラの)家臣は傷つき天帝(=テトラ)の心を乱した)


狄古乃謀 裕也応之


(テクナイは一計を謀りユウヤはこれを受けた。)


森威狄古乃爲将相戦


(森林帝国のテクナイは将となり勇者と戦った。)


狄古乃率百騎 大勝之


(テクナイは百人の兵士を率いてこれに大勝した。)


斬首五百 裕也誅用短兵


(首を斬ること五百人。ユウヤは剣で誅殺された。)



ーーーーー



生来、彼女が目指したのは一対万の兵法の極みを体現することであった。禁衛軍の筆頭を張る彼女はかの軍団にあって唯一の建国後の生まれである。建国まもない頃の治安維持任務などで功績を上げた程度の彼女が皇帝の最も近くに侍るまでになったのは何故か。その物語は彼女の類い稀な軍才を抜きには語れない。出来て間もなかった帝国の軍学校を主席で卒業した彼女は前代未聞の大記録を打ち立て続けた。


そしてある日、彼女は未だ黒石であった頃のテトラの御前で模擬戦闘を演じる機会を掴んだ。


相手は上大将軍白羈。


時の禁衛軍において大いに隆盛であった彼との互いに一万の兵を用いての模擬戦闘は熾烈を極めた。

大練兵は平野一帯で三日三晩かけて繰り広げられた。

無駄や局所的勝利を悉く切り捨て戦略的勝利を予定調和的に獲得したハクキに人々は絶句した。

彼への畏敬とは対照的に、自ら兵を率いては幾度となく接戦を演じ、局地戦において一度の敗北も許さなかったテクナイは万人の人口に膾炙されることとなった。

模擬戦後、彼女は千金を与えられた。

この際、ハクキはテトラの黒石が淡く輝いたことを天意であると称えた。ハクキは自財の中から二振の名剣をテクナイに下賜した。


高い評価を得たテクナイはハクキ直筆の推薦状を以って宮廷府へと進んだ。

故郷のシンイ公国の国防軍方面軍をよく統御した。

軍からの支持を受けて禁衛軍へと転属して間も無く、ハクキの自獄に際してテクナイはユリアナから皇帝に近侍に抜擢され、軍学校での業績や軍内部で発揮した統率力などを鑑みて特令官家を一代で開いたのである。


不世出の無双丈夫は今日、この時を以って世界へと産声を上げた。









「ウォォォォ………」





「何の声だ?」


勝鬨を浴びたテクナイは耳を澄ませた。百騎が上げる雄叫びとは違う声が聞こえた。遠くにこだまする歓声は勇ましさと慶びに満ちている。しかし、耳にしたことのない胸騒ぎをテクナイに与えた。


「…何の声だ!なぜ!なぜ陣地の方から歓声が上がるのだ!!」


テクナイは目を吊り上げて叫んだ。


「我らの勝利に味方も喜んでいるのでは?」


「そんな訳があるか!!どうして味方の陣地から勇者への賛美が聞こえるのだッ!!!」


「ヒィ!?」


部下からの返答を撥ね付けるテクナイの顔は焦りで青筋が浮かんでいる。瞳は紅く狂気を滲ませる。


「何が起きたのだ!何が!!」


「あぁ!!閣下、アレを!!!」


「!?」


「旗が!!!」


突如陣地がある場所から旗が生えた。純白天鵞絨の旗。旗先から垂らされた紫金の飾り毛が風に流れている。光を反射する絢爛は遠目にもその存在感を鮮明に主張している。テクナイの記憶にピリリと電が走った。


「行くぞッ!!!!!!」


「ハハっ!!」


「続け!!」「オオォォ!!!」


テクナイは前傾姿勢で兎騅を駆った。今日一番の力強さで愛馬の腹を蹴った。後に続く百騎をグングンと突き放して彼女は馬を走らせた。


歓声が悲鳴へと変わるのを耳に認めつつ、テクナイはただ愛しい主の元へと急いだ。


「テトラ様ッ!!どうか御無事で!!」



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