第二十三話 籍羽狄古乃 前編

第二十三話 籍羽狄古乃 前編



「…」


テクナイはぐっと両手に力を入れて愛刀の握り具合を確かめた。


右手に「燕覇」左手に「蓋峻」。どちらも刃渡り一メートルに届くかという両刃の長剣だ。片方だけで約三十キログラム。丸ごと螺旋鉄鋼の塊から削り出した逸品だ。螺旋鉄鋼とは墾窟族(ドワーフ)の学者達が長年の研究の結果鋳造に成功した強靭な金属である。別名ダマスクス鋼。最高級の素材から生まれた極厚の双剣がテクナイが最も使い慣れた得物だ。


騎馬戦決闘の申し込みはテクナイからすれば渡に船であった。補給線の分断により前線が窮地に陥る可能性をわざわざ排除してくれるのだから 帝国にとって利点は多い。一方で帝国の芯たるものを何かよく理解してもいると思っていた。


現状、いや過去にも未来にも森林帝国を国家たらしめているのは皇帝の存在一つである。ユリアナやテクナイは確かに傑出したカリスマを持っているやもしれないが、それは所詮多寡で量れるものに過ぎない。テトラが持つそれは一種の正統であり、寄る方のなかった森人(フォームレスト)達からすれば故郷と言っても過言ではない。


相手がテトラを弑することを優先するのも宜なるかな。この場で敢えて相手の失策を笑わないのは向こうの思惑がどうであれ、一時的にもテトラの安全を確保し、同時に時間を稼ぐ余裕が生まれるからだ。


テクナイは雄叫び上げながらこちらへと突撃を開始した勇者の部隊二千卒を冷徹な目で見ていた。事前に通告された兵数に違いなし。意外と律儀なようだ。頃合いであるか。テクナイは自らが率いる百騎へと背中越しに語りかけた。


「諸君の中にはなぜ自分が選ばれたのか理解できていない者も多いことだろう。何故ならば諸君らは殆どが呂文桓殿指揮下の兵員の中でも落ちこぼれに属する、謂わば素行不良の輩であるからだ。」


テクナイの言に対する反応は百名でさまざまであった。鋭い言葉に身を固めた者、疑問の答えを期待して耳を傾けた者、ただ俯く者、勝ち気に見つめ返す者、或いは耐え難く得物を強く握りしめる者。様々であった。彼らの反応から分かる通り。たしかに彼女が選んだ百名は協調性を欠くなどの理由により落ちこぼれと見做されていたもの達だ。しかし、同時にそれぞれが己のみが信じる道を誰になんと言われようと進む頑固さを持つ者達だ。単なる落ちこぼれではなかったわけだ。


「諸君らを私自らが選出した理由。それは諸君らには優等生にはない、一種の信念があること。私は歪まない芯のあるものを欲していたこと。そして這い上がるためには一度死んでもらう必要があるからだ。」


「「「「!!!!!?????」」」」


テクナイの言葉に今度は全員が同じ反応をした。飛び跳ねるように頭をあげて、怒りや呆れを飛び抜かして口をポカンと開けて目を丸くしている。単純な驚愕であった。


「…勘違いをするな。何も肉体的にも死ねと言うわけではない。ただ、ここで一度これまでの己とは訣別せよと言う意味だ。」


一同安堵。ホット胸を撫で下ろしたのか、さっきまで体を固くしていたものまで肩から力が抜けている。テクナイは剣の鋒を、見方によれば先刻の勇者ユウヤに倣うように天へと突きつけた。


「貴様らは今日まで落ちこぼれであった。しかし、それは今日という晴れ舞台において大いに跳躍せしめ、これまでお前達を見下してきた同僚や、お前達を軽んじてきた人間共に落差をつけて見せつけてやるためだ。天が貴様らをここに招いたと言っても良いだろう。」


不敵なテクナイの美しい微笑に百人の兵士たちは見入っていた。


「…そして同時に、貴様らには勇者とやらが真に天に滅ぼされるべき小物であることを証明するための嚆矢となってもらう。我が主君を愚弄し、刃まで向けたのであるから奴らには報いを受けてもらう。」


一転。テクナイの顔には陰が差し、轟々と渦巻く憤怒を纏う。


「我々はまことの天命の下にこの一戦を交える。もしも、今この時に私を滅ぼすのであればそれは我が兵法の瑕疵には非ず。私の不忠故に天が下された滅びの罰である。汝らは鬼神となりて只管に我に続け。」


いざ。


その言葉を最後に馬の腹を蹴ったテクナイは天に突きつけていた剣をそのまま勇者へと向けて突撃を開始した。


「〜ッ将軍に続け!!遅れをとるな!!」


「俺たちが栄光を掴む時は今だ!!テクナイ様から離れるな!!!」


覚悟を決めた百騎がテクナイの後に続く。テクナイを先頭に槍先のように鋭い推型となり加速し始めた一団。彼らを目に認めた勇者の隊もまた衝突を目前として徐々に騎兵同士の感覚を狭めてきていた。


接近。接近。接近。


土埃が互いの姿を大きく見せるがそれに臆するものはいない。全身を重厚な白銀の鎧で固めた重装騎兵中心の聖銀騎士団に対して、テクナイに率いられているのは胸甲と頭をスッポリと覆う金属兜を除けば布や革で急所を補強した程度の軽装騎兵。兵士の顔ぶれも人間側は体格も良く精悍な顔つきの者達で固められているのに対して、森人(フォームレスト)側は小人族(ホビット)や森族(エルフ)、獣人族(ランドノーム)など多種多様な種族で背丈も横幅も凸凹と不恰好に見えてしまう。


ドドル!ドドル!


「!!!!!!!!」


両者が互いの表情まで確認できるほどに接近してから数瞬間。先頭の勇者ユウヤとテクナイの間合いが遂に交差した。赤い煌めきが中空を疾り抜ける。


「貰った!!!清浄の炎よ出よ!!」


ゴボボボッッ!!!


大ぶりに両手で振り抜いた勇者の聖剣バベルから赤い炎がわく。灼熱を発する赤炎が正面から突撃してきたテクナイ目掛けて物凄い速度で直進した。仄かに燐光を放つ聖剣バベルを握る勇者ユウヤの頬には一粒の汗が浮かんでいる。魔法の行使により体内の魔力が一時的に目減したため代謝が促進されたのだ。体からは湯気が上がっていたが騎乗の人である彼は風に冷やされて、あるいは夢にまで見た魔法の全力での発動による興奮物質に酔いしれてか苦などなかった。


「……ッ!右に抜けろ!!!」


帝国における魔導…人間達は魔法と呼ぶそれがテクナイの目の前で炸裂した。人間が使わない訳ではないが、そもそも魔法を行使できる人間などそうそういない。実戦投入は今回が初となる上ではテクナイの驚きも当然であろう。しかし、それも須臾のことであったのは魔導の普及により大発展を遂げた帝国で生まれ育った武の達人テクナイの胆力と経験が成せる反射的妙技に他ならなかった。人間の騎兵の多くはテクナイから見て右側、左の腕に小型の馬上盾を持っている。自身はまだしも背後の騎兵に被害を出さないためにとテクナイが発した号令に、腹を括った百騎は瞬時に従った。案の定、右に流れた騎兵へと槍を突き出す敵兵もいたものの、ほとんどは届くことなく騎馬を取り逃していた。テクナイは一人前進して燕覇を一振りして炎を巻き付けるようにして躱すと姿勢を低くした。


「まだまだ!!!清浄の炎よ暴れろ!!」


地を這うよう鞭のように炎をしならせる勇者、しかし彼など眼中にないとテクナイは低い姿勢のままに手綱を左右に導いては愛馬「兎騅」の横跳びを二度三度披露してから軽やかに勇者ユウヤを通り越した。


「チッ!反応早すぎだろ!!反転!!?背を討てぇッおぉ!?!?」


勇者ユウヤは間抜けな声を出して後続の騎士団へと目を向けた。


「グギャ!?」


「ぐぁ!!」


「左右に別れろ!?周りこめぇっ!ッガ!?」


左手に抜け去る騎兵に被害がないのを横目に見つつ、勇者ユウヤは残念がったが一人遅れたテクナイへと剣を叩きこもうとすべく聖剣を振りかぶりやめた。鐘を打ちつけたような重く響く音が勇者ユウヤの鼓膜を叩いた。


テクナイは右にも左右にも抜けることなく、ただ直進していたのだ。


「一人で突っ込んで来たぞ!!盾を構えろ!!」


「槍先を揃えろ!!串刺しだッ!!」


二千騎に突貫するのはテクナイのみ。大陸一の名馬と名高い碧血馬の兎騅は流星の如くグングンと加速しながらテクナイの手綱捌きに忠実に従い、徐々に右へ右へと進路を切る。


一度燕覇を鞘に戻したテクナイは固く手綱を握り馬術の絶技で二千騎の戦意を一身に受けていた。頭を低くした彼女は左手に持つ蓋峻を引き摺るように後ろへ流した。そして接敵の瞬間に全身をもって彼女は怒りを解き放った。


…………ギャオォォン!!!


無音。一拍遅れて銅鑼を縦に割ったような狂音が二千騎の鼓膜を打ち叩いた。


「ぐぶゥゥ!?」


「ガっ!?バッぁぁ!?」


先頭を預かる騎士二人の胴体には野蛮な爪痕が一閃。両者共に血を噴き出して落馬した。白銀のフルプレートアーマーは無惨にも捩じ切られていた。テクナイは既に兎騅を駆って先頭の一団をすり抜けていた。すれ違いざまにその豪刀で思う存分に暴虐を撒き散らして。


先陣を切った不運な者たち。先陣組に続く騎兵達が目にしたのは悪夢に違いなかった。


「な、なんだありゃぁ!!」


勇者が魔法を発動したことを確認した彼らは魔法を使う魔法騎士と、彼らを守護する守護騎士に分かれている。勇者直下の彼らは希少な魔法騎士を擁する後衛であり、勇者が先行したのを追ってきた者達だった。


「馬がまっすぐ走らねぇぞ!?」


「ううわぁ!?」


「どう!どうどう!!振り落とされる恥を晒すな!」


「馬を落ち着かせろ!!」


人間の中でも心身共に優秀な者だけが選ばれる聖銀騎士団の生え抜きから見てもそれは異常であった。遠目にでもわかるほどに兵法の、いや戦人の極みがそこにはあった。二千の騎兵の波をその暴力を持って掻き分けて進むテクナイは正に鬼神の形相であった。誇り高き人間の戦士達は遠心力が最大限に付与された重厚な鉄塊に跳ね飛ばされて宙を舞った。五十キログラムのフルプレートアーマーを身につけているとは思えない軽やかさで血を噴き上げながら。笑ってしまうほどに戦士には不似合いである。そんな滑稽な結末が無情にも量産されていた。


「ひ、人が吹っ飛んだ…。」


「天よ…。なぜこの世にあのような怪物を産み落としたもうたのか…。」


「…ゴクリ…しかし、我々は聖銀騎士団。推して参るほかあるまい。」


「う、うむ。」


聖銀騎士団は精鋭ではあったが化け物との戦闘は初めてであった。彼らが跨る馬は人間国家の間においては一財産とも言える名馬に間違いない。だがしかし、やんぬるかな、テクナイが跨る兎騅は巨獣犇く灼熱の南部で生まれた。肝っ玉の坐り具合と肉体的頑強さは碧血馬の中でも上位に位置するほどだ。魔境も魔境の極寒の北部へと、わざわざ牧場から遁走して見せたその胆力は賞賛ものである。テクナイが先陣を切る時、それは本能的な恐怖を与える暴力の嵐をこの世に呼び込むことに等しい。今鬼神の彼女の覇気に当てられて平然としていられる馬など帝国随一の名馬と名高い紺碧八脚の一角たる兎騅の他にはあるまい。


「守護騎士を前にして魔法騎士に魔法を打たせろ!!遠距離で仕留めるぞ!!」


「おぉ!!」「わかった!!」


「こっちは二千!我が中隊だけでも三百名の騎士がいる!!臆することはない!!確実に仕留めるぞ!」


「オォ!!」「穂先を揃えろ!あの怪物に付け入る隙を与えるな!!」


守護騎士と魔法騎士の一団を纏める中隊長の命令で再起動を果たした聖銀騎士団。彼らは恐怖を正義感で塗りつぶして迎撃体制を取ろうと騎馬を走らせつつ器用に五重の横陣を展開した。前衛に長槍を構えた守護騎士の騎兵二百騎、背後に魔法騎士の騎馬が百騎。


「数の有利を活かせ!!囲むように展開せよ!!」


「両翼開け!!閉じ込めろ!!」


「敵も不死身ではない!!恐るな!!」


中隊長の勇敢な声を耳に盾と長槍を構えて隊列の密度を高める守護騎士達。例え自らが討たれても隣の戦友の槍が届けば良い。聖銀騎士団第三中隊は決死の覚悟で一塊となった。彼らの覚悟が凝縮された騎馬突撃陣形は寸分狂わずテクナイへと突き進んだ。


「あ、あぁ!!き、きたぞぉぉ!!」


後方から聞こえたのは悲鳴。後ろで何が?三百名決死の騎兵突撃でテクナイただ一人を葬らんとする勇猛な中隊長は戦闘意欲漲る脳の片隅で疑問を得た。が、敵は目前。彼は振り返らず進む。先頭に立ち剣を抜き構えた。げに恐ろしき敵将を討てるのならばと部下の命を捧げようとしているのだ。自分が真っ先に死なねばなるまい。彼の覚悟は、彼にとっての幸運であった。


「行くぞぉぉぉぉ!!!敵将とったりぃぃぃ!!ぅうぅぉぉぉ!!!」


雄叫びを上げた中隊長は斜め右上から迫る豪速の白刃を見た。ゆっくりと迫るそれは回避できない必死の一撃だ。中隊長は自分の首が空高く飛ぶのを幻視したが、死の際に立ってなお気迫を保ち声を上げた。


「はぁ!!!!」


ばきゃ!ガゴッ!!ずず…ざじゅ!


一閃。テクナイの野獣の如く引き締まった褐色の左腕に操られた名刀蓋峻は差し出された中隊長の剣を一打で砕いた。そしてその勢いのままに中隊長の胴を横凪にした。脇腹の上部から鎧ごと割り裂かれた中隊長は血を撒き散らして絶命。落馬して物言わぬ鉄人形と化した彼に一瞥もすることなくテクナイの暴威は再加速した。向かうは前列の守護騎士二百名である。


「うわぁぁぁ!!」「隊列を崩すな!!」「くるぞくるぞくるゾォォォ!!!」


中隊長がすれ違い様に斬り飛ばされた衝撃。そこから前列の騎兵たちが回復する暇を与えるまでもなくテクナイと兎騅は切迫する。血に染まったその威容をこれでもかと見せつけ、堅固なはずの覚悟を揺るがせる。本能的な恐怖に足が動かないことは彼らの名誉を守ったのかもしれない。不運なことに、果たしてそれは生命の喪失を意味したが…。


「牙雄ッ!!!」


グガシャ!!


「ヒィィ!!?」「グぁ!?」「ごふぅ!?」「くびゃァ!!」


蛮勇に満ちた雄叫び。殺意の波動がビリビリと相対した戦士たちの心身を打擲する。体が動かぬ一瞬の間が生まれる。全ては決した。先頭の数騎は力任せに跳ね除けられた。続く数十騎をすれ違い様にズパンズパンと切り飛ばし、張り倒す。意識が戻った時、茫然我失の騎士たちは自らが血の沼に沈んでいることを初めて知る。


またしても彼女は一対多の圧倒的戦力差を覆してみせた。勇者を置き去りに二千騎に突貫した唯一騎テクナイの面目躍如である。ブリキ同士を打ちつけたキリキリ音が後続の騎士らの背筋に冷たい汗を垂らした。

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