第十九話 西バルカン戦争開戦

第十九話 西バルカン戦争開戦



森林帝国ことバルカン=テトラ神聖帝国二十万と、西方諸国連合軍七十万が睨み合う国境。


辺境領ノルマンディア大要塞の楼閣から目下の前線と敵の要塞線を眺めるのは西方諸国連合軍の最高司令官に選出されたログリージュ王国護国卿ベラノート侯爵ヴァレンシュタインである。


「…。」


懐中時計の外蓋を開き、そして軽快にパチンと閉じた。


「時間だ…最後通牒を伝令に持たせて送りつけろ。受け取られずともよい、文書の受け渡しを行った事実を作れ。既成事実は重要だ。王国の体面に傷はつけられん。伝令が帰還し次第、先鋒軍三万は順次進撃開始せよ。」


「はっ!」


ヴァレンシュタインは懐中時計を仕舞うと楼閣の真下にある作戦本部へと移動しながら副官に下命した。応えた副官は意気を盛んにしながら前線陣地へと向かい、大戦の幕を開けるのに一役を負った。


「南方からは最後になんと?順調か?」


作戦本部に入り次第ヴァレンシュタインは南方担当の参謀から報告を受け取り諸確認を開始した。


「北部はやはりマルダーホルンの素通り以外は非協力的な体勢で一貫していました。」


地図上、森林帝国の北に円弧を描くマルダーホルン山脈を指し示しながら参謀は応え、ヴァレンシュタインは手を左右に振りながら地図の南に指をなぞり進める。


「なら構わん。今は南だ。」


指が止まったところには西マネルワ王国が森林帝国と国境を接する地帯。南方マケドナ公国であった。



国境線上。


最後通牒の行き来は殺される覚悟をして出向いた伝令が惚けるほどには穏やかかつ円滑に行われた。


「ほい。これでウチとソッチは戦争状態になるんだな?」


「え、えぇ。そうだが?」


「ふ〜ん。そうか。戦争、始まっちまうのか。」


右手に皇帝から下賜された印璽を握るバイバルト。彼は自分が外交文書に押した最初の判子がまさか開戦の否応になろうとは夢にも思わなかった。不謹慎だが少し好奇心と達成感、そして緊張感と武者震いが同居する心境だった。使者の人間が少し引いていた。マイペースなだけだが暢気に見えてしまう彼の肩に白魚のような手が置かれた。だが、大きさがおかしい。


「バイバルトさん。貴方はもう少し緊張感というものを持ち合わせるべきだと私は思います。」


「ひぃぃぃ!!!!!」


「わぁ!ニーライかよ!驚かせないでくれよ!」


「これは失敬。いつまでもチンタラとハンコも押さずにいるものですから。さささ、貴方も向こうに早くかえりなさいな?私たちも急ぎ配置に着きますよ?」


「わかった!わかったから!俺の立髪を引きずるんじゃねぇ!!!」


白く美しい手、しかしその大きさは明らかに獅子の獣人(ランドノーム)の中でも大きい280センチの巨躯を誇るバイバルトの分厚い手よりも二回りは大きい。見下さざるを得ない身長差でバイバルトを叱ったのはイスパナスの森林帝国軍への援軍として近衛軍二万を率いてきた近衛軍第一軍団軍団長を務める仁来来(ニーライ=ライ)である。その身長は巨人以外では右に並ぶもののいない脅威の390センチ。白熊の獣人(ランドノーム)の中でも貴種で尚且つ魔導の素養豊かな魔人(マギア)でもある。さらに言えばその恵体に不釣り合いな穏やか系イケメンの甘いマスクの持ち主である。


敵の使者を手で追い払うと、バイバルトの立髪をむんずと掴んでのしのしと城塞へと帰還したニーライライの姿からも二人の力関係が見てとれた。これでどちらが戦上手なのかという問いには迷うことなくバイバルトに軍配が上がるのだが、それはさておき。


「…勝てるか?」


立髪を離してもらい、毛が抜けてないかとチェックしながらバイバルトはふとニーライに聞いてしまった。敵は七十万。味方は二十万。国が滅びることはなくても西部は甚大な被害を受ける恐れがあった。バイバルトたちにとって敗北とは主君の財産をより多く失うことだ。それは命も土地も時間も全てである。


「勝てるか勝てないかではなく。私たちは勝つことしか知りません。」


バイバルトの不安を拳で叩き割るようにニーライは胸を張って言った。


「私たちどころかこの大陸で初めての大戦です。両軍合わせておよそ百万の兵力がぶつかり合うなど前代未聞でしょう。しかし、私が尊敬する白羈様のお言葉を借りれば我が軍には陛下のご加護があり、陛下の加護に浴する軍隊には人間の軍には無い強みがある。それは数と戦略を根本から崩しうるのです。全ては使い方。」


「使い方…か。」


西方の国境で山脈と山脈の間に空いた唯一の道に蓋をする帝国の大要塞線。森林そのものが敵の大規模侵攻を用意ならざるものとする天然の要害である。地下深くに垂直に深く、横に長大。起伏に富み、巧みな用兵さえ叶えば戦いやすい衛に向いた土地だ。


「敵には百万の兵士がいるかもしれません。しかし、彼らは所詮兵士。私たちには二十万の武人がついています。人間の国にはできないことの一つでしょう。戦うために生きるものと、それを支える者達が信頼しあった上に存在しているのです。疑心暗鬼に陥りやすい神無き人間にはなし得なかったことです。くわえて、この大要塞があります。」


「百年の重みか。」


「そうです。この要塞はひたすら、建国以来一度として敵を通すまいと増築と改修を重ねてきました。七十万の人波を打ち返してやりましょう。」


「しゃぁ!!よぉおし!!気分上がってきたゾォぉ!!!」


「そうです。それでいいのです。バイバルトはそれくらい暑苦しくてしかるべきです。」


森林を分入ること四百メートル。周囲の石垣や煉瓦で堆く構築された果ての見えない城壁。そこの中央にある三重の防御陣地に囲まれた幅十メートル高さ三十メートルの打ち下ろし式大門扉の前で分かれた二人は各々の持ち場についた。


殺る気に満ちたバイバルトは全力疾走で要塞中央大門扉前の野戦指揮所へと向かい自身の馬具を点検し始め、冷気を纏うニーライは自身麾下の近衛軍第一軍団五千が伏する野戦陣地で出撃の時を待った。


なんだかんだ言いつつ猛将気質は似ている二人は初めから要塞に篭るつもりなどさらさらなかった。


戻らない指揮官二人に前線は任せつつ、要塞の地下の中枢にある総司令部で実質的な総司令官を任されたのは竜騎大将軍ハンナ・バアル・バルカであった。


「吾輩は諸君に対して一つだけ言明したいことがある。」


総司令部がその働きを開始しようとしていた時、総司令官竜騎大将軍ハンナは幕僚に向けて燃えるような赤い眼を向けた。


「諸君の不安や憂いは無論承知の上で言おう。我々は勝利を収めると。昨年末、我が国は生まれ変わった。黒玉より受肉された陛下を奉戴して以来、我が国はな思って気勢を猛にしている。それは止まるところを知らず、これからもより素晴らしい治世となることは間違いない。しかし、我が軍がここで一度でも負ければ、それは全てを台無しにする行為に他ならない。吾輩たちがすべきこと、それは全ての敵を合理的かつ最短ルートで撃滅することだ。吾輩たちは戦略と戦術のみを知り、勝利の使い方を知らぬ愚者では無い。」


ハンナは宝剣「雷光バルカ」をスラリと抜き放つ。龍の呼気は熱くされど冴え渡る鋭さを剣に纏わせた。


「吾輩たちはこの戦争に勝利する。ただし、我々が勝鬨を上げるのは敵国、ログリージュ王国王都ベルヴィンブルクにて、である。」


ダン!!!ハンナの剣は軍議の為に用意された大机の上、広げられた大地図上に記載された敵国ログリージュの首都名を貫いた。


「二週間程前に要請した私の竜騎軍全軍二万をもってベルヴィンブルクに奇襲を仕掛ける。明日の明朝より我が軍は北のマルダーホルン山脈を五日で踏破し、ログリージュ王国へと流れ込む。南方への対処及び、ここ西方要塞線の備えには吾輩の副官マハル・バアルに吾輩が今日まで育てた「山越えクラブ会員」五千名を遊撃軍として残してゆく故好きに使うがよい。では爾後より各員奮励努力せよ!!」


おぉぉ!!!感嘆と驚愕が入り混じる声が上がった。流石は帝国一の派手派手大将軍でもあるハンナ様だと皆は口々に言い合う。


「そういうことなので総司令官マハル・バアルに任せよ。」


特大の爆弾を落としてからスタスタと居なくなった。


「「「「えええぇぇぇぇぇ!!!!」」」」


こうして森林帝国は正規の総司令官不在で開戦することに決定してしまったのだった…。




南方。マケドナ公国と西マネルワ王国の国境地帯。


「ゼルプ大佐の命令に従い。これより秘密作戦を開始する!!第一軍、第二軍、第三軍、第四軍それぞれなるべく広く布陣せよ!!進軍しながら隊列入れ替え始め!!」


「前方の国境地帯ギリギリまで進め!!防衛兵器の射程外で揺さぶるだけでいい!!旗を大きく掲げろ!!」


真っ白いゆったりとした服に身を包み、その上から黄銅色の兜と胸当てを着込むのが特徴的な南方王国軍の軍装に身を包んだ約二万の混成騎兵軍が西マネルワと東マネルワの旗を掲げて国境を侵していた。


「まだ弓矢飛んで来ません!!」


「もう少し前へ進むぞ!!旗振れ!!」


ドドドドド…何万もの馬蹄が砂埃を立てて陣形をぐにゃぐにゃと崩しては形作ってを繰り返している。漸進しては弓騎兵が横切りざまにオアシスと森林の境界線に伸びる横長の城塞に向けて矢を射掛けては離脱するを繰り返していた。


突如として現れた約二万の混成騎馬軍団。旗の紋章は赤字に東向きの三日月と青地に西向きの三日月…これは即ち東西のマネルワ軍の旗印であった。


「敵の意図がわからんな…。」


南方東西大国による共同襲撃という急報に跳ね起きて見れば敵は明らかに攻城兵器を持ち合わせていない。あれでは一年たっても堅固な帝国の国境要塞線は陥落しないだろう。


城主を務めるラクダの獣人(ランドノーム)のセルナー総督は頭を悩ませていた。下手に続けば機動力のある敵に絡め取られる恐れがあり、かと言ってここを無視して西に援軍を送ればいざ南方の二大国が本腰を入れて進行してきた時に対処でき無くなる恐れもあった。


彼は総督ではあるものの商才や内政手腕を買われての現職抜擢であったために軍人としては一歩遅れをとってしまっていることに自覚があった。


「陛下よりお預かりした戦士たちをむざむざすり減らせることまかりならず…致し方なし。中央へ魔導電報を送ってくれ。南方国境地帯に約二万の東西マネルワ軍出現。我が方の国境を侵食しつつも強撃無かりしも要警戒。我が方より援軍の増員は難しい。以上だ。」


セルナー総督は堅実派。


セルナー総督は内政の腕を買われた軍官僚。


セルナー総督は軍学校時代、野戦での部隊指揮で落第点をとったことがある。


些細な情報。しかしそこからこの作戦を導き出したゼルプは彼が望んだ通りの成果を出した。


西マネルワの商業販路を繋いで神速で集結させた二万のログリージュ王国混成騎兵軍はその騎兵の足を使って到着した順に西マネルワ商人から森林帝国産の魔導製品や物資を買い付け、これを西方諸国連合軍本軍に運搬。再び西マネルワの販路を通じて結集し、西マネルワ王国と東マネルワ王国から旧王国時代の骨董品同然の防具と旗を買い上げる。買い上げた後に現行の東西マネルワ軍の防具と軍旗に塗装を似せる。自軍が持ってきた旗にも布を貼り付けて偽装し、緩衝地帯ではなくあくまでも西マネルワ王国領内に二カ国軍が集結したかのように見せかけた。


結果はゼルプが予想した通り。諜報員時代に拾った南方の指揮官の人物評が結果的にダメ押しの策として成功したのだ。


ゼルプが撒いた種は火の粉として大陸の西半分を覆い始めた。

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