蠱毒姫番外編〜新年祝賀の宴@魔界〜

有馬 礼

前編

 生国では夜会など、全く別世界の話題だった。成人してから出席したのは、魔界に嫁ぐ前の新年祝賀の宴と春の女王の宴の二度だけだ。それも王族席からフロアを見ていただけだったしすぐ退席してしまったので、出席はしたが参加したかと言われると答えに窮する有様である。

 しかしある意味では、そういった社交の場に出ずに済んでいたことは気楽だったのだな、とアウゲは思う。


「ではアウゲ姫、わたくしとヴォルフ様で手本をお見せいたしますので」


 魔界で迎える初の新年祝賀の宴はアウゲとヴォルフの婚姻の披露目も兼ねており、宴の参加者の前でダンスを披露するのが慣例であるとのことだった。もちろんアウゲはダンスの心得はない。ダンスを習い始める年頃には既に、自らの発する毒素のせいで他人と触れ合える状況ではなかった。幼い頃に貴族たちが踊っているのは見たことがあるが、実際どのように踊っているかと言われれば皆目検討がつかない。


「なんで」


 ダンスの練習をすると聞いて素晴らしい速さで執務を片付けたヴォルフは、不満をあらわに蜥蜴型魔族の執事頭、メーアメーアを見る。


「なんでとは? わたくしはダンス教師も兼ねておりますので女性のパートも踊れますし、何よりアウゲ姫とはほぼ背格好が同じでございますので、ヴォルフ様も感覚を掴みやすいのでは?」


 メーアメーアはそう言ってぺろりと眼球を舐めた。


「なんで。ていうか、姫さまと背格好が同じとか言うな。気持ち悪い」


「事実を申し上げたのみですが?」


「姫さまとダンスの練習できると思ってたのに……」


 アウゲといちゃつきながらダンスの練習ができると思っていたヴォルフは、アテが外れてブツブツ文句を言った。


「もちろん、それは後々、足の血豆が潰れるまでしていただきます」


「は!? 姫さまの足に血豆!? しかも潰れ……!?」


「お声が大きゅうございますよ、ヴォルフ様。はしたない。それに、そんな鬼の形相でわたくしを睨まれても困ります」


「ダンスは中止しよう」


「正気ですか」


 メーアメーアがぺろりと反対側の眼球を舐める。


「そもそもおれは、姫さまをみんなにじろじろ見られるのは気が進まない」


「……そんなキリッとした顔でカッコつけて言うことですか情けない。もうちょっと大人におなりくださいヴォルフ様。魔王陛下もそうですが、ちょっと溺愛が過ぎるのではございませんか? ええ、ええ、存じております。魔王の伴侶は分ちえぬ魂の片割れでございましたね。控えめに申しまして1万回は聞きました。大切に思う気持ちは大変結構でございますが、そもそも」


「あ、あの……!」


 放っておくと永遠に言い争いを続けそうな2人の間にアウゲはやっとの思いで割って入る。


「私のことなら大丈夫よ。血豆がなによ。戦う前から負けてたまるものですか」


「たたかう……???」


「姫、別に命の獲りあいをせよというわけではなく、単に普通にダンスをしていただければそれでよろしいのですが……」


「とにかく、やるわよ。万一負けるとしても、それは全力を尽くした後のことよ」


 そう言って拳を握りしめるアウゲにヴォルフとメーアメーアが何かを言うことなどできようはずもなく、三者それぞれの方向性に若干の不安を残しつつもようやくダンスの練習が始まった。


「これがだいたいの完成形ということでご覧ください」


 メーアメーアはアウゲに背を向ける位置で、ヴォルフと身体を半分ずつずらした位置で向かい合い、肘を水平に保って手を組む。


「うわ、なんかぴたってしてくる。それに妙に冷たい」


 ヴォルフが眉根を寄せる。


「真面目におやりくださいヴォルフ様。そしてなんなのですかその顔は」


「だって」


「あまりふざけていらっしゃると、本番もわたくしと踊っていただきますよ」


「すみません真面目にやります」


 ヴォルフは怖気を震いながら右手をメーアメーアの肩甲骨のあたりに置く。


「では、参りましょう」


 メーアメーアはヴォルフにダンスの流れと思われる何ごとかを早口に言って、ヴォルフは嫌そうな表情そのままに頷く。何のことを言っているのか、アウゲにはさっぱりわからない。

 メーアメーアがぱちりと指を弾くと、ゆったりとした三拍子の音楽が流れはじめる。

 すい、と2人の身体が、水鳥が水面を滑るように音楽に乗って動き出す。身体を密着させているにもかかわらず、お互いの足を踏んでしまったり、身体が離れたりすることなく、リズムに乗って進み、あるいは後退し、そして回転する。

 予定の流れを踊り終えたらしい2人の身体が同時に止まる。メーアメーアが再度指をぱちりと弾いて音楽を止めた。


「以上でございます。ヴォルフ様がところどころ間違えましたが、概ねこのような感じだと思っていただければ」


 アウゲは胸の前でぱちぱちと手を叩く。どこが間違えた箇所だったのか、素人のアウゲには全くわからなかった。


「素敵ね。もう一度見たいわ」


「えっ」


「承知いたしました」


 その後、アウゲのリクエストで3度メーアメーアと踊らされたヴォルフは、最後の方は憔悴しつつも魂を遥か遠くへ飛ばすことで何とか乗り切った。


「近くで見ると本当に素敵だわ。でも、私にできるかしら」


「そのための練習でございますよ、姫。ではまず、基本動作の練習から始めましょう。あ、ヴォルフ様はもう結構でございます。執務にお戻りください」


「えっ、おれ、姫さまとダンスの練習できると思ったからあんなに頑張って……」


「ありがとうヴォルフ。ここからの練習はメーアメーアに見てもらうから大丈夫よ」


 アウゲは優美に毅然とヴォルフを追い返しにかかる。


「そんな、姫さまぁ……」


 ヴォルフはアウゲを腕の中に閉じこめて、髪に顔をうずめてイヤイヤと首を振る。アウゲはしょんぼりしているヴォルフの背中を撫でた。


「ね、あなたにもあなたのするべきことがあるでしょう? それに、私が基本動作を早く習得すれば、次の段階はあなたと踊る練習になるんでしょう? 早くそうなるよう頑張るわ。だから、ね?」


「うう、はい、姫さま……」


 ダンスの練習室に鋭いノックが響く。


「失礼致します」やってきたのは金色の長い髪を背中で緩く束ねた女性の近衛騎士だった。「ヴォルフ殿下、陛下がお呼びです」


「ほら、行かなくちゃ。あなたはあなたの役目を果たして」


 ヴォルフはそっと頬に触れたアウゲの手を取って、その甲にくちづけた。


「わかりました」


「いってらっしゃい」


 素直に部屋を出ていこうとしたヴォルフは、ドアの前でくるりと踵を返すと大股に戻ってきて、アウゲの唇に触れるだけのキスをした。


「血豆は作らないでくださいね」


「わかっているわよ」


 人目を憚らないヴォルフの愛情表現はいつまで経っても慣れない。アウゲは耳の端まで熱くなるのを感じる。


「もう行って。陛下がお待ちよ」


「わかってます」


 ヴォルフは微笑んでアウゲの髪を一房掬ってくちづけると、今度こそ部屋を出ていった。


「では、改めて練習を始めましょう」


 メーアメーアがそれまでのやり取りなど何もなかったかのように言う。蜥蜴型魔族にはあのようなやり取りは全く興味が湧かないのか、単に見て見ぬ振りをしてくれているのか、呆れかえって言葉もないのか、アウゲにはよくわからなかった。しかしその点を深く掘り下げる勇気はまだない。

 メーアメーアはそんなアウゲの内心に構うことなく、動きをつけて解説する。


「まずは基本的な足の運び方です。1、2、3、1、2、3のリズムに乗って、このように移動します。足の運び、と便宜的に申し上げておりますが、それ以上に大切なのは体重の移動です」


 アウゲは気を取り直して、メーアメーアの説明を背筋を伸ばして聞いた。


 ヴォルフがようやく執務から解放されて王宮の居室に戻るとアウゲはまだ起きていた。

 居室には昼間の音楽が流れていて、アウゲはソファに背筋を伸ばして座り、目を閉じてその音楽を聴いていた。もしかすると、1人でダンスの練習をしていたのかもしれない。


「疲れましたか?」


 ヴォルフが声をかけると、音楽に集中していたアウゲは驚いたように目を開けた。


「いいえ。……でも、少しだけ」


「血豆作ってませんよね?」


「ええ、大丈夫よ」


「……ほんとかな」


 ヴォルフはにやりと笑うと、アウゲの前に片膝をついた。そうしてアウゲの左足を持ち上げると室内履きを脱がせて自分の膝の上に乗せる。


「何してるの?」


「検査です」


 そう言ってヴォルフは膝の上に乗せたアウゲの足を持ち上げたり撫でたりして確認している。


「姫さまのかわいらしい足に豆なんかできたら、耐えられない」


「足の豆くらい誰にでもあるでしょう」


「姫さまの足にはないし、これからも作らせません」


 ヴォルフは次にアウゲの右足を膝に乗せると、また仔細に点検した。

 

「……っ」


 ヴォルフの温かな手のひらで足の甲をするりと撫でられて、思わずアウゲは鋭く息を吐いて吸う。ヴォルフはアウゲを見上げていたずらっぽく微笑むと、手のひらをアウゲのふくらはぎに滑らせた。柔らかな白い夜着の裾がめくれあがって、目の前にアウゲの白い膝頭が露わになる。ヴォルフはそこにくちづけた。さらにその先に進んで来ようとする不埒な手をアウゲは思わず押さえる。


「……だめ?」


 そう言って上目遣いに微笑みかけられると、もうアウゲには抗う術がない。


「だめじゃ、ないわ……でも、ここではいや」


 ヴォルフは膝に乗せていたアウゲの足を下ろすと隣に腰掛けた。ほっそりした腰に腕を回して抱き寄せる。


「姫さまは恥ずかしがり屋さんですからね。知ってます」


「そういうんじゃないわ。ただ……」


 ヴォルフはアウゲのこめかみにくちづける。


「じゃ、たまには場所変えてもいい?」


 耳元で甘く低く囁かれて、身体がわななく。


「だめ」


 アウゲはもう、掠れた囁き声でそう反論するのが精一杯だ。


「どうして?」


 ヴォルフが首を傾げるようにして覗きこんでくる。アウゲは目をそらした。


「どうしてもよ」


「ふふ、わかりました。もう、かわいいなあ、おれの姫さまは」


 ヴォルフは音を立ててアウゲの頬にキスすると、膝の裏に腕をいれた。アウゲもヴォルフの首に腕を回して身体を預ける。


「今日はどんな練習したんですか?」


 ヴォルフは軽々とアウゲを抱きあげる。


「基本動作の反復練習よ。でもダメね。まだお互いの肘を持っているだけなのに、もううまく動けないの。明日も猛特訓よ」


「えっ、お互いの肘……? メーアメーアと?」


 ヴォルフが寝室に向かいかけていた足をぴたりと止める。


「他に誰がいるのよ」


「おれがいるでしょ。そういう練習はおれとすればいいじゃないですか」


「でも、あなたは執務があるでしょう? まだ基礎を練習しているだけなのに、時間を無駄にさせるわけにはいかないわ」


「でもおれは姫さまと練習したい」


 ヴォルフは腕の中のアウゲの唇に、唇を触れさせる。


「執務はどうするの?」


「そんなもの。母上にやらせますよ。魔王なんだから」


「とんでもないこと言わないで。私が叱られるわ」


「大丈夫、所詮母上もおれの同類です」


「お願いだから私のためにやめて」


 ヴォルフはベッドにそっとアウゲを下ろす。


「じゃあおれはどうすれば?」


 そのままアウゲの胸元に顔をうずめてくる。


「昼間猛特訓した成果を夜にあなたに見せる、というのは?」


 アウゲはヴォルフの柔らかな髪を指で梳いた。


「仕方ないですね。それで妥協しましょう」


 ヴォルフはアウゲの胸から顔を上げて唇を重ねた。指を絡めて手を繋ぐ。

 触れあわせ、啄んで離し、そしてまた深くくちづける。


***


 流石に連日ダンスの猛特訓をしているとくたびれる。王宮の居室にしつらえられた浴室で、アウゲは温かな湯の中で身体を伸ばした。疲労が湯に溶けていく。普段とは違う身体の使い方をするせいであちこちが痛むし、酷使した脚も張っている気がする。普段から体力づくりをすることの大切さを痛感する。メーアメーアに頼んで、新年祝賀の宴が終わってもダンスは続けよう、と考えながら浴槽の縁に頭をもたせかけ目を閉じて身体の力を抜く。ヴォルフは最近忙しいようだ。執務を抜けてアウゲの様子を見に来る余裕もないらしい。夜もアウゲが眠った後に戻ってきて、早朝、朝の挨拶をするとすぐに行ってしまう。もっと魔界のことを学んで、早く手助けができるようになりたい。微々たるものだったとしても、力になりたかった。

 ふう、と息をついて足を水面に持ち上げ、足首を曲げて伸ばす。それからくるりと身体を反転させ、浴槽の縁に腕を置いてそれを枕にして頭を乗せる。銀の髪が浴槽に広がり、揺れる。

 アウゲは指先でリズムをとりながらダンスの曲を鼻歌で歌った。頭の中でステップをおさらいする。アウゲの拙いテクニックではまだ密着して踊ることはできなかったが、両手を繋いだ形ならば通して踊ることができるようになった。あとはどれだけ数をこなすかだ。求められるレベルのダンスをきちんと披露して、ヴォルフの顔に泥を塗るようなことがないようにしたい。


(私はきっとできる。やり遂げる。……よし)


 これまでそうしてきたように自分で自分を励まし、アウゲは目を開いた。


 ふんわりした夜着と室内履きに着替えて居室に戻ると、ヴォルフがソファにゆったりと脚を組んで座っていた。


「ゆっくりできましたか?」


「ええ。戻っていたのね。今夜も遅くなるのかと思っていたわ。忙しい様子だったから」


 アウゲはヴォルフの隣に掛ける。


「起きてる姫さまに会いたかったから、真面目に頑張りました」


 褒めてください、と彼はおどけて言う。


「偉いわ」


 アウゲは子どもにするようにヴォルフの頭を撫でる。ヴォルフはアウゲを腕の中に閉じこめて頬ずりした。


「そうだ。今日の練習成果、見せてくださいよ」


「望むところよ」


 アウゲはヴォルフの腕の中から立ち上がった。


「姫さまそんな、決闘みたいに受けて立たないで……」


「まだ、あなた達が見せてくれたように組んでは踊れないのだけれど、でも、手を繋いでなら曲を通して踊れるようになったのよ」


 アウゲが蓄音機のゼンマイを巻きながら嬉しそうに言う。魔力を持たないアウゲのために、異界通のメーアメーアが手配してくれたものだった。これは魔力を必要とせず、物理的な力で動かすことができる。溝の彫られた黒い円盤に針を落とすと、小さな泡が弾けるような音がして前奏が流れ始めた。こちらに向かって軽く腕を広げているヴォルフのところに駆け戻る。

 ヴォルフはその姿を見て思わず、ダンスなんかどうでもいいからそのまま胸に飛び込んできてくれないかな、などと妄想するが、もちろんそんなことは起こらなかった。アウゲはヴォルフと半身をずらして向かい合い、肘のあたりにそっと手を置く。音楽に乗って滑り出す。技巧的なステップは取りいれずあくまで基本的なものだけではあるが、アウゲはちゃんとヴォルフのリードについてきた。しかしまだ踊ることに必死で余裕のないアウゲの表情を見おろして、ヴォルフは微笑む。アウゲはそんなヴォルフの甘い眼差しにも気づいていない。離宮の居室よりは広いが練習室よりは狭く、ソファやテーブルが置かれた王宮の居室で、何にもぶつからずに踊る。それはヴォルフのリードのなせる技なのだが、それがわかるほどアウゲはまだダンスに通じてはいなかった。


「ね? 通して踊れるようになったでしょう?」


 アウゲがヴォルフを見上げて言う。その表情が本当に嬉しそうな笑顔で、ヴォルフも思わず笑う。


「ええ。じゃあ次は」ヴォルフは右手をアウゲの背に回して抱き寄せ、左手を指を絡めて繋ぐ。「こうやって」


 曲はまだ続いてる。冒頭のステップを小さく踏み出す。


「えっ、あっ」


 アウゲは動揺して思わずヴォルフの足を踏んでしまう。そのことにさらに動揺して足が混乱する。まだ自力で間違いから復帰することができないが、ヴォルフにリードされてなんとなくミスがなかったことになってしまった。やっと自分が今どの部分を踊っているのかわかって、落ち着きとペースを取り戻す。


「そう、上手です」


 ヴォルフもそのことがわかっていて、耳元で囁く。


「……」


 返事をする余裕がなくて、アウゲはただ頷いた。


「メーアメーアも言ってましたよ。姫さまは頭が良くて努力家だから、なんでもすぐに覚えて自分のものにしてしまうって」


「別に。普通よ」


 アウゲは照れ隠しにむくれた顔をする。その拍子にまた間違えてヴォルフの足を踏む。


「あ、ごめんなさい、さっきから私」


「いいんですよ。あ、何なら、踊ってる振りしてずっとおれの足に乗っかってればいいんじゃないですか? 小さい女の子が父親と踊るみたいに」


「もう、ふざけないで」


「ええ? 真面目に提案してるんだけどな」


 2人は笑い合う。アウゲの身体から緊張が取れて、柔らかくヴォルフに寄り添う。


「そういえば、ドレス新調するんですよね。何色にしたんですか? 一緒にデザイン考えたから当日の楽しみにしてるようにって言いながら、母上、そこだけ教えてくれなくて」


「青よ」


 アウゲはあっさり答える。


「あ、わかった、ロッタの色ですね。かわいい、絶対似合う」


「いいえ」


「?」


 ヴォルフは踊りながら少し身体を離して、アウゲの顔を見る。ごく薄いアウゲの水色の目が彼を真っ直ぐに見ていた。


「あなたの目の色よ。大好きなの」


「……」


 ヴォルフは驚いた顔で目を見開いて、ダンスを止めてしまった。


「どうしたの? 私何か変なこと言っ……」


 言い終わらないうちにヴォルフに抱きすくめられる。しばらくそのまま、音楽だけが流れ続けた。


「姫さまって、そうやって不意におれのこと喜ばせますよね。そういうところありますよね」


 なんだかよくわからないが、驚き呆れているということではないらしい、ということがわかってアウゲはほっとする。


「ああ、絶対かわいい。想像しただけでかわいい。見るの楽しみです。それを支えに明日から頑張れそうです」


 ヴォルフはアウゲの首筋に顔をうずめる。ヴォルフの唇が首筋をかすめて、吐息がかかる。アウゲは首をすくめて短くため息をついた。髪がかき分けられ、今度ははっきりと唇が首筋に押しつけられる。


「ん……痕はだめ……」


「見えないところならいい……?」


「だめ……、明日、仮縫いなの……」


「じゃあ、こっちにします」


 唇同士が柔らかく重なる。引き上げるように抱き寄せられるとアウゲは爪先立ちになってしまう。倒れそうになって思わずヴォルフの首に腕を回す。そのまま抱き上げられて爪先が床から離れた。


「ね、もう下ろして」


「やだ。おれをこんなに喜ばせてどうしようって言うんですか、本当に姫さまは」


「……あなた時々、よくわからないこと言うわよね」


「おれはいつも一つのことしか言ってませんよ」


 同じ高さの目線で見つめあう。


「一つのことって?」


「好きです、アウゲ」


 ヴォルフに甘く微笑みかけられて、アウゲは耳の端どころが胸元まで真っ赤になった。


「下ろして、本当に」


「仕方ないですね、もう」


 ヴォルフはようやくアウゲを下ろしてくれた。


「きゃ!?」


 と思いきや、足が床に着いた瞬間横抱きに抱きあげられる。


「下ろしてって……!」


「約束は守ったでしょ?」


 ヴォルフはいたずらっぽく笑いながらアウゲの額にくちづけてくる。


「もう……!」


 アウゲはヴォルフの顔を見られなくて、彼の首に腕を回して肩に顔を押しつけた。

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