幸せになる薬は賢者の石より難しい
由岐
薬師、田舎へ行く
01. ド田舎村にやってきた少年
フリードは困っていた。
手持ちの食料も底を尽き、飲用水もごく僅か。飲み食いせずとも人間は3日程なら生きられるとは言うものの、それにしたって遅かれ早かれ飢えがやってくるのが目に見えている。
救いはこの場所が森の奥であり、自然由来の食料が手に入りそうなこと。それは裏を返せば人気のない場所であり、自力以外での助命が困難である、ともいえる。
「はは、これは失敗したかなあ」
王都を出てからおおよそ7日程。たったこれだけの日数でこれほどまでに困窮するとは、誰が予想しただろう。ほど良い土地を探して、地図もなく旅を始めたのはやはり無謀だったのだと反省をするが、今さらの話だ。
このまま野垂れ死に、それもいいかもしれない。
つい一月ほど前まで一緒にいた師匠を思い出して、はあっと息を吐く。まだその喪失感は薄れない。同時に自分の罪も思い出し、自罰的な感情に支配されそうになる。
罪悪感と疲労に重くなる足を引きずり、比較的大きな木の根元でとうとうフリードは座り込んだ。空は憎らしいほどに青く澄み渡っていた。
大量の汚れた食器に囲まれ、少年はふう、と満足げにため息を吐いた。
「いやほんと、助かりましたよキーカさん」
どちらかというと細身のこの身体のどこにこれほどの食料が入ったのだろう、と考えているのがよくわかる。キーカと呼ばれた少女は目を丸くしてその少年を見つめていた。
「あ、いいえお粗末さ、ま」
ごちそうさまでした、と両手を合わせる少年にキーカは頭を下げる。
「いい食いっぷりだねぇお客さん。こんな辺鄙なところに、どうしたんだい」
恰幅の良い男性が木造りのカウンターからやってきた。キーカと並ぶとその大きさがよくわかる。
「辺鄙なところなんて、そんな。ご飯もおいしかったですし、自然豊かでいい所じゃないですか」
「ま、物は言い様だな。自然しかない、宿屋だって食堂だってうち一軒しかない。しかもその宿だって一部屋だって埋まっちゃいない。こんなド田舎に、身なりの良い余所者なんか来やしないからな」
暗に、少年が目立つのだと。そう言っていた。店主は表情にこそ出さないが、その声音には警戒を抱いていることが少年にはよくわかる。
「んー、でもほどほどに王都から離れていて、田舎だからこそ土地も安くて、だから王都で修行してこっちで店を持ちたい。そんな小さな夢を持つ若者だっているかもしれませんよ?」
少年はにっこり笑う。店主と少年のやり取りに、少年を連れてきたはずのキーカはただ二人の顔を首振り人形のように交互に見ることしかできない。
「それに、僕はあのままキーカさんが見つけてくれなければきっとあそこで野垂れ死にしてましたから。別に目的地がこの村って訳じゃないんですよね」
まあ僕としては都合がいい場所ではありますけど、と続ける少年に、店主は豪快に笑う。
「悪い悪い。余所者なんか行商人の他に来ると言ったら訳アリぐらいだろうと思ってよ。爺さんの悪い癖が移ったかな」
「村の人から見たら十分怪しい人だって自覚はありますから、大丈夫ですよ。あー、でも、このまま定住もいいなあ」
余所者だと難しいかなぁ、とぼやく少年に、店主がにやりと笑いながら答えた。
「それなら、一度村長のとこでも行ってみりゃあいい。爺さん連中は頭が固いが、あの村長なら話も少しは通じるはずだ」
おいキーカ、案内してやれと言われて、キーカは目を丸くする。まさか自分に話題が回ってくるとは思わなかったようだ。
「え、でも父さん、まだ仕事が残って」
「せっかく同年代なんだし、少しは外の話でも聞いてこい」
店主である父親にそういわれては断ることはできないのだろう。キーカは仕方がないなあ、と呟きと共にため息をついた。
「じゃあ、フリードさん。ついていてください」
「うん、よろしく、キーカさん」
村の中は長閑といえば聞こえが良い。刺激的なことなど何もない、ただの田舎だとキーカは言う。その言葉は、この珍しい余所者がどんな反応をするのか、わずかな興味を抱いているようだ。キーカの目はよく語ると思う。
「本当に、空気が綺麗だよね。それに、人も多すぎなくて良い。動物もたくさんいて、本当にのんびり過ごせそうな良い所」
にっこりと笑って同意を求めてみれば、キーカは曖昧に笑ってそっか、と答える。半歩先を歩くキーカの背中を見ながら、フリードはふむ、と思案した。
別に自分は見た目が悪いわけではない。都会からやってきた、ということを差し引いてみても、十人の内九人は不細工でない、と言ってくれると思っている。その容姿はきっと、この農村からしたら小奇麗すぎて目立つのだろう、とも自覚している。服装だって、いくら森の中で遭難しかけたとは言えども、都会で仕立てた服だ。この田舎では、どんなにお金を積んでも手に入れることはできない。行商人が持ってくる訳がないし、何より着る機会など皆無だろう。
そんな自分と一緒に歩くキーカは、きっと村でも可愛い部類に入るのだろう。もしかしたら自分と一緒に目立っているのかもしれないが、村人から向けられる視線の多くは敵対的で、男の視線が多い。おおかた、貴族か商人の男がキーカを見初めたのだと勘違いをしているのだろう。
考え事をしながら歩くと歩みが遅くなる。けれども、キーカはフリードのその歩幅にあわせて歩いてくれているようで、遅れることなくついていくことができた。
「そういえばキーカさん」
「何ですか、お客さん」
「この村って、薬師や医者ってどうしているの」
ここまでに見かけなかったよね、と問いかけるフリードには、思惑がある。ここなら、自分の職業なら厭われることはないのではないかと。
「医者も薬師も、こんな田舎にいるわけないわ」
そういった、いわゆる『稼げる』職は、わざわざ田舎にはやってこない。馬を走らせれば一日とかからずに薬師のいる町へ着くのだから。
キーカのその言葉に、フリードは口元がにやつくのを抑えた。
「この村では半自給自足。店だって、この広場にある三軒とうちしかないわ」
どうだ、こんな田舎に定住なんかできないだろうと自嘲めいた笑みを浮かべるキーカに、フリードは好都合だ、とこっそり呟いた。
「そりゃあ益々都合がいい。移住も本格的に考えてもいいのかな」
村長の家は、この田舎の村にしては立派だ。なんせ隙間風が吹かないし、石造りだ。建築の詳しいことはわからないけれども、木造りの家よりも丈夫だろうし、何より村長という役職なりの威厳という物が必要なのだろう。素朴ながら、しっかりとした作りの家だった。
「やあキーカ。今日はどうした?」
「村長、客人です」
大柄な体格の村長に、フリードはキーカの話を思い出す。
キーカが生まれるよりもずっと前には、村長は王都で冒険者をしていたらしい。なるほど、確かにその体躯は冒険者らしく筋肉がすごい。
村長の奥さんと一人息子は王都で知り合って、なぜか一家で村に戻ってきたそうだ。理由までは知らないけれど、それを機に前村長から村長の座を譲られた、というのはほんの少し前の話だそうで。
村長だけは生まれ育った村ということで馴染んでいるようにも見えるけど、都会育ちの奥さんとその一人息子は、キーカもまだほとんど会話したことがないという。
「客人? こんな村に?」
首を傾げる村長に、フリードはキーカの後ろから一歩前へ進み出た。
「あなたが村長ですね。随分お若い方だ」
こういった辺境の村で、若い村長は珍しい。年配の村人に舐められることも多いし、若者はどんどん都会へ出て行ってしまうから成り手も少ない。けれど、この村長なら少なくとも舐められることはないだろう、とも思う。
フリードの声に、村長は視線を向けてそれから家へと声をかけていた。
「おい、茶でも出してくれ。キーカと客人だ」
キーカも一緒に家に上がるようだ。僅かに嫌そうな顔をしたキーカに、フリードはこっそり笑みをかみ殺した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます