第3話 トリム・テ・タータ

 機関室を後にしたカーマインは、船員室をひとつひとつ見て回った。本来は乗員用のその部屋を、今は乗客たちが利用している。中にはベッドと文机があるだけで、三人も入れば窮屈になってしまう。寝るためだけの部屋なのだ。

 地球までは合計で十五時間ほどかかる。これはヘリオト星の半日に相当する。ヘリオト星を発ったのは早朝なので、ほとんどの乗客にとってベッドは不要だった。

 案の定、船室は半分ほどが空だった。カーマインは彼らの様子を確認すると、食堂へ向かった。

 食堂も広くはない。ただの休憩スペースであり、定員は十人ほどだ。飾り気のないテーブルと椅子が並べられ、備え付けの棚には宇宙食が適量入っている。普段は隅にガラクタが積まれることもある部屋だが、今日は客を乗せるため綺麗にしてあった。

 三人家族のニニィ一家が遅い昼食をとっていた。ヘリオト人には日に三食食べる慣習がある。今朝は早朝からこの船に乗り、船内で朝食を食べる者がほとんどだった。

「宇宙食なんて珍しいものですから、朝からつい食べ過ぎてしまいまして」と夫のカカ・ニニィは言った。「それで子供が今までお腹が空いていなかったので、食べなかったんです」

 その子供はもう食事を終えたのか、小さい窓から外を眺めて興奮していた。

「あの子は宇宙旅行が初めてなんです」と妻のポポ・ニニィ。「すみません、騒がしくて」

「いえ。我々の船を楽しんで頂けて光栄です」

 子供は星ではなく、たまに窓の外を通るロボットに興奮しているようだった。

「お母さん! また通った! 今度は四本足のやつ!」

 振り返った子供は、初めてカーマインが近くにいたことに気がついた。カーマインは笑顔を作る。

「四本足のやつは、計測用のロボットだね。この船の形を調べているんだ。他にはどんなのが見えた?」

「タイヤがいっぱいのやつ」

「お、それは数が少ないんだ。船の重さを測っているんだよ」

「そうなの? さっき一回だけ見れた!」

 測定は同時には行われない。寸法測定用ロボットが動いているなら、計量は既に済んでいる。管制室からGOサインが出るまで、あと少しだろう。

 食堂にはもう一人、乗客がいた。若い学生風で、名前はネイタイと言った。

「お騒がせします」

 カーマインは会釈した。

「いえ、子供なら仕方ないです」

 そう言いつつも、ネイタイは不機嫌そうだった。

「あの、失礼ながら、お部屋にも窓はあるかと思いますが……」

「そうなんですけど、こっちからの方が眺めが良かったので」

 ネイタイに釣られて、カーマインも窓の外を見た。

 たしかに、ここからの眺めはよかった。ニニィの子供と話しているときは気づかなかったが、今の時間はちょうど、ワームホール港のすぐ近くに双子衛星が小さく見えていた。

 双子衛星の、ミナシバとミナルサ。より若いのがミナシバで、老いたのがミナルサ。数万歳は離れた二つの星だが、大きさはほぼ同じだ。太陽ハヴァは両者を一方向から照らしている。そのためミナシバは半月チカとなり、ミナルサは左右の明るさが異なる準半月イチカとなっていた。ミナシバの反射した光が、ミナルサを太陽とは反対から照らすためだ。

 ここから見る双子衛星は、ヘリオト星から見るときよりも遥かに小さかった。そして、ヘリオト星からは見えない背面を見せていた。日常では見慣れない光景だが、ここからの映像を見たことのないヘリオト星人はいない。そう言い切れるほど有名で、綺麗な景色だった。

「ワームホールに入るときの景色が好きなんです」

 ネイタイは窓外を見つめながら言った。

「二つの星が混ざっていく様子が、すごく」

「ミナルサとミナシバ?」

「ええ、はい」

「よく旅行されるんですか?」

「……いえ、実際に見るのは初めてなんです。だから、すごく楽しみにしていて」

 それで、多少不機嫌になりながらもここに陣取っているのだ。ネイタイの船室は反対側にあり、この景色を眺めることができなかった。

 カーマインは食堂を出た。船首の操縦室へ向かう廊下で、携帯している通信機が鳴った。管制室からの連絡である。測定終了、異常なし。出帆の順番を待たれよ。

 ちょうど通信を終えたとき、操縦室に着いた。

「通信、聞きました」操縦席に座るシジナが振り返った。「僕らの前に待ってる船は一隻だけですから、たぶんすぐですよ」

「了解」

 操縦室を取り巻く仮想窓ホロ・モニタを見渡した。船の前後上下左右すべてをほぼ死角なく見ることができる。背後の双子衛星も、前方のワームホールの入り口も。

 先発の船がホールに入り、姿を消した。シジナは管制室の指示に従って、入り口にヒュイスタム号を近づけた。

 巨大な人工の環の向こうには、一見すると何もない。しかしよく見ると、環の先の星々が輪を描いているのがわかる。その中心にワームホールがあるのだ。

 管制室からGOサインが出た。カーマインはヨグに連絡を入れた。

「機関室、準備はどうだ」

「GOだ」

「操縦室」

「GOです」

 カーマインは通信を放送に切り替える。

「皆様、お待たせ致しました。当船はまもなく再出発し、ワームホールへ進入いたします。進入の際、若干の揺れが発生する可能性があります。安全のため、ご着席した状態でお待ちください」

 放送を切ると、カーマインは計器を指差し、出発前の最終確認を行った。それが済むと、カーマインは船乗りの慣習である古い言葉で号令をかけた。

「よし、出発だ。よい旅をトリム・テ・タータ

 船が動き出した。白い環の中を、古びたヒュイスタム号が進んでいく。

 カーマインは後方の仮想窓ホロ・モニタを見た。そこには、日常では決して見られない光景が広がっていた。

 順番待ちの船や港が、一瞬のうちに、白い靄に変化した。そしてその向こうにある双子衛星は、肉眼でわかる速度で動いた。これは未来の様子だ。だがそれもほんの一瞬の出来事で、双子衛星もヘリオト星も、すぐにただの白い靄と化した。遠くの太陽ハヴァも数秒で靄になり、数々の銀河たちも乱れ動いたのちに見えなくなった。

 これはカメラの不具合でも、目の錯覚でもない。物理学の理論に従った自然現象である。

 ワームホールの内と外では、時間の進み方が異なる。一言で言えば、外から見ると、ワームホール内では時間が停止しているのだ。逆に言うと、ワームホール内から見れば、外部では無限大の速度で時間が流れていくのである。

 直感的には、それは無限大の未来が見える、ということを意味する。しかし、実際にはそうはならない。相対論的効果により、単位光年先の空間から単位年先の未来の情報は受け取れず、ワームホールの深度に反比例して情報は届かなくなる。いま窓に映る白い光は、理論上完全なホワイトノイズだ。

「船体、完全にワームホールに入りました」

 計器を見ていたシジナが、無感情な声で告げた。ここはもはや通常の空間ではない。いかなる手段を用いても、外部との連絡は理論上不可能だ。

「外に出るのは、船内時間で三時間後ですね」

 とシジナが確認した。もちろん、外部では一切の時間が経過していない。言ってみれば、自分達は一瞬で三時間分、歳を取るのだ。

「それじゃあ俺はまた、船内を見回ってくるよ」

「いってらっしゃい」

 シジナはチラリとカーマインを振り返って言った。

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