第1話 日常

「ま〜ゆ〜っ!!」


 濡羽色の髪の少女に飛びつく栗色の髪の少女。まゆと呼ばれた濡羽色の髪の少女は、鉄仮面をつけたかのように表情の変動がありません。


「なに?」


 声を低めて突き放すような口調でした。手持ちの本から視線が移ることはなく、淡々としています。

 彼女の名前は河合まゆり、校内の嫌われ者です。容姿を一言で言うのならば、おさげの眼鏡っ娘系女子。スーパーロングの髪を肩に掛かるくらいまで緩めの三つ編みを施し、前髪は少し長めの姫カット、メガネは伊達です。片方の三つ編みだけ黒いリボン紐で留めてあります。不健康そうな真っ白い肌が特徴です。


「まゆが最近冷たいよ〜」


 対する彼女は井ノ瀬ひな。校内で天使と評されている人気者です。肩にかからないくらいしかない栗色の髪を内巻きにし、黒いリボン紐をカチューシャのように結んでいます。健康的に焼けた肌と天真爛漫そうな風貌が特徴です。


「気のせい。ただの勘違い」

「そうそれはまるで、ひなとまゆが初めて会った時のような……」

「なら通常運転」


 一人で小芝居をやり出したひなを殆ど無視するような形でまゆりは話を終わらせます。そんな彼女の態度にひなはむすっと頬を膨らませて、わかりやすく不満げな事を伝えていました。


「ち〜が〜う〜。あの頃よりも仲良いもん!……いいよね?」


 まゆりは本のページを一枚捲るだけで、ひなの問いには答えません。ひなは諦めたのか大きなため息を吐き、しばらく黙り込みます。

 そんな二人を見て周りの人たちは憎々しくまゆりのことを睨みつけ陰口を叩いていました。そして再び、まゆりの預かり知らぬ所で嫌味ったらしい噂がたてられています。

 逆にひなは友達と話しているだけで、優しい子と見なされていました。そしてこちらも本人の預かり知らぬ所で好感度が爆上がりしています。

 なぜ、友達同士である二人がクラスメイト達にほとんど対比の扱いを受けているのか。それは、入学したばかりの頃にやってきた不審者達を撃退したのがまゆりで不審者達により怪我した人を治したのがひなだからです。この学校に通う全ての人達にとって、まゆりは人殺しという印象が植えつけられ、逆にひなは恩人だと思われています。

 ひなはその事柄に当然激怒したのですが、当のまゆりが知らん顔をしていたので、それ以上何も言えませんでした。そして、そんな周囲の人たちを雑音だと無視することにしたのです。


「何読んでるの〜?」


 後ろから覗き込むように、ちゃっかりまゆりに抱きつきながら、ひなは本に視線を移しました。そして、「んえっ?」と間抜けな声を出し、頭の上には疑問符を並べながら本の中身を凝視していました。


「ホントに何読んでるの?」

「家にあった本」


 答えるのを面倒くさがったまゆりは雑に答えます。ですが、隣で穴が開くほど、じーーっと見つめられて居心地が悪くなったまゆりは、潔く答えることにしました。


「某組合の機密情報が隠された暗号文の書物」


 さらっととても重大な事を零すと、ひなは口をあんぐりと開けて呆然としていました。

 まゆりの言う某組合とは、世界魔法統括組合のことを指しています。

 世界魔法統括組合、通称WMU日本では魔組合と呼ばれ(以下魔組合)、太平洋に新たに作り出された島を主な拠点として活動している魔法、魔術関連を牛耳る組織です。どんなに小さい国でも魔法師が一人でもいる限り、魔法統括組合の定めた規則が適用されます。つまりは魔法師にのみ存在する法律や憲法のようなものを定め、魔法師がどこにどれくらいいるのかを管理している組織。

 大まかに言えばこんな感じです。

 魔法師の子供にアンケートを取れば一位は世界魔法統括組合と書かれるほど憧れの的でもあります。

 そんな組織の機密情報を記された書物。本来ならば某組合にて厳重に保管されてねばおかしい代物です。


「…………はぁっ!?よ、よよよよよめっ……」


 なのでこの反応は当然と言えます。

 ひなは目を丸くさせながら後ろに一歩だけ後退りました。見るからに狼狽しています。


「………?」


 ひなの声に耳を傾けていたまゆりは、その狼狽のせいで何が言いたいのかが全くわからなくなったひなの物言いに首を傾げます。

 ひなは幾度か深呼吸をすると、再び口を開けました。


「ま、まゆはそれ……読めるの?」


 何でもない事のようにまゆりは首を縦に振り肯定します。そして、「半分くらい?」と付け加えました。


「は、半分も……っ!」

「半分しか」


 感激しているひなと比べ、まゆりは平然としていました。なんら特別なことではないと、まゆりは思っているのでしょう。


「それでもすごいよ!!……もしかして、独学?」

「他になくない?」

「……なん、で?」


 まゆりは怪訝そうに首を傾げます。


「ちがっ、えぇっと……。どう、やって?」

「頑張って?」

「はぁー、知ってた。知ってたよ?まゆが抽象的にしか答えてくれないのはさぁー。」


 ひなはわざとらしくため息を吐いて、わざとらしく項垂れます。がっかりした。と言う言葉を体現しています。これがいつものひなです。

 でもまゆりは見逃しませんでした。先ほどひなの目が大きく揺らぎ動揺していたことを、何かを隠していることを。


「あっ!じゃあさっ、もしかしてまゆは……ま、ゆは……。」


 突然口を閉ざしたひなを心配したまゆりは、本を閉じ机の上に置きました。右後方に立ち尽くすひなの顔を覗き込みながら声をかけます。


「ひな?……大丈夫?」

「……そ、その本の方がひなよりも、す、すすっ……好ぎになっぢゃっだの?」

「自分で言っといて、泣く?」


 ひなは目元に涙を溜めて、鼻を啜っていました。片腕で目を覆い、涙を拭い始めます。

 まゆりは短いため息を吐くと、涙や鼻水がつくのを全く気にするそぶりを見せずにひなの腕を引っ張り、自身の胸の前で優しく抱きしめました。


「ひなだけは嫌いにならないよ?絶対に」


 頭を撫でて、耳元で囁くように声をかけます。


「ふぇっ!………うがっ!」

「……っつ!!」


 ひなは頬を染めながら顔を上にあげると、そのまま額がまゆりの顎に直撃しました。ガッ!ととても痛そうな音を立て、二人でぶつけた部位を押さえます。


「鬼メンタルの癖に、たまに情緒がわからない」


 痛みに悶えながらまゆりは苦言を溢しました。


「だって、まゆに嫌われるの想像しただけで涙が止まらなくなったんだもん……」

「いじろうとして、自分でダメージ食らってどうする」

「だって、まゆが構ってくれないから!!」

「理由が幼稚。でも、まあ……やっぱりいい」

「ムーー!まゆが中々言葉にしないからひなも不安になるの!さ・み・し・い・の!!」

「……す、好いてくれてありがと。あ、あと!……え、えっと……。何があっても私、ひなのことが大好きで、ずっと離れない!!……から、ね?」

「……ふぇっ!」

「ひなが私を拒絶しようとも、執着するから!絶対!」


 途中からはもう、やけくそ気味に言葉を吐いていました。

 普段鉄仮面を付けているはずのまゆりの顔は珍しく緩み、耳も若干赤く染まっています。


「ふぇ———」


 そんなまゆりにつられるかのようにして、ひなも頬を赤く染め上げます。


「ふええええええええええええええええええぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇーーーーーーーーーーーーーっ!!」


 ひなの歓喜の悲鳴は、チャイム音によって掻き消されました。

 気まずくゆりゆりしい空気を発していた少女達は、お互いに顔を赤らめながら自席に座します。まゆりはすぐに鉄仮面を付け直したので事なきを得ました。ですがひなはいつまで経っても顔に溜まった熱が引かず、体調がすぐれないと判断され、保健室まで連れて行かれていました。



「井ノ瀬さん。今日はどんな殺し文句を言われたの?」


 保健室に入ろうとドアノブに手をかけた瞬間聞こえた言葉にまゆりは驚きを隠せませんでした。


 ——こ、殺し、文句?!ひな、誰かに口説かれでもしたの?


「いくら熊谷先生とはいえど、教えないよー」

「気になるじゃない。井ノ瀬さんここに来てからずっとニヤついてるんだもの」

「えぇー、そんなニヤけてないもーん」


 まゆりはドアノブから手を離し、その場に座り込みました。どこか寂しさを帯びた瞳で黒いリボン紐を弄っています。

 『待つ』という大義名分の元、まゆりは盗み聞きに徹するために気配をできる限り消しました。


「でも、先生がそんなに気になるなら〜」

「結局言いたいんでしょ?勿体ぶらずに早く教えてよぉ」


 おおよそ、生徒と先生が話している会話のノリとは思えません。まるで仲の良い友達同士のようなやりとりです。


「じ・つ・は・ねぇ。———————って言ってくれたのー。きゃーーー!!」


 ひなは両手で顔を隠しながら、熊谷先生に嬉々として教えていました。そして、伝えられた熊谷先生も「あら〜〜!」と口元に手を当てながら黄色い歓声をあげています。それから数十分間、楽しそうな声が保健室から絶えず聞こえてきました。

 所謂、女子会の始まりです。

 そんな中、まゆりは知りたかった部分が小声で話された為一切聞こえず、独り不満げにしています。髪を解き、メガネを取ると膝におでこを押し付けながら嫉妬心を募らせていました。


 ——いっそ、この学校にいる全ての男を殺せば……


 なんて、本気で考え出す始末です。

 今更ながら付け加えると、まゆりとひなの関係性は親友同士の筈です。お互いに愛が重すぎるってだけの・・・・・・



「じゃあ先生、ひなは帰ります!また来るねぇー」

「ええ、待ってるわね」


 小一時間という長い間、ひなと熊谷先生の女子会は続きました。清々しさを帯びた顔は心なしかツヤツヤしているようにも見えます。

 ひなとは対照的にまゆりはどんよりとした空気を纏いながら座り込んでいました。その姿は宛ら、幽鬼の具体的には怨霊のようです。


「あっ、まゆ!!またせ、て………」


 そんなまゆりを目にした途端、ひなは言葉を呑み込みました。

 まゆりは声が聞こえるやグルンと首が曲げそうなくらいの勢いをつけてひなを見やります。顔を隠している長い黒髪から覗く真っ黒な瞳がひなの白緑色アイスグリーンの瞳を凝視していました。

 ひなは胸元で片手を強く握り、目を逸らします。一歩二歩と後退り、周りをキョロキョロと見渡して誰もいないことを確認すると、まゆりの目をしっかり見ながら口元をニヤニヤと綻ばせませた。どうやら琴線に触れたようで、(ひながいなくて寂しかったの?)とでも言いたげな表情をしています。

 どことなく目の中にハートマークが見えるのは気のせいだと思いたいです。

 ひながときめきながらまゆりに魅入っている間に、まゆりはいつものまゆりに戻っていました。髪を緩い三つ編みで肩まで結い、伊達眼鏡を掛けた野暮ったい印象の姿です。長めの前髪が余計にその印象を色濃くしています。

 まゆりは不機嫌そうに大きなため息を吐きました。


「ひなが遅いから、先に帰ろうかと思った」


 まるで先ほどの時間がなかったかのような態度で自身のスクバを持ち上げると、スタスタと早足で下駄箱へと向かいます。


「待って〜」


 浮かれきった声を出しながらまゆりの背を追うひな。途轍もなく幸せそうな表情をしていました。

 そんなひなとは裏腹にまゆりは目の奥を濁らせ、スクバの持ち手が悲鳴をあげるくらい強く強く握りしめていました。

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