第47話 教室

 皆さんの小学校の教室の床は木でしたか? それともピータイルでしょうか? 私の学校はクラスの教室は木で、理科室や音楽室はピータイルでした。5年生の時の担任の先生が、雑巾をしっかり絞って床を拭くやり方を徹底されたので、教室の木の床はピカピカ光っていたんです。それが、私の掃除に対する気持ちの原点になりました。


 教室には何が置いてあったでしょうか? 黒い表紙の黒い紐でくくった出席簿、日直が書く日誌。藁半紙でガリ版刷りのプリントは、先生しか使えないピンク系のペンで丸がしてありました。大きな三角定規、分度器。私はコンパスも好きですが、特に巨大なそろばんが大好きでした。先生が黒板のところで使う、大きなそろばん! 珠を上げたらそのまま落ちてこないし、形も見事にそろばんそのもの。よくできていますよね。そろばんの授業がある時だけ、教室に現れました。教室前方右側には足踏みオルガンがあって、休憩時間にはピアノを習っている子が交代で弾いて遊んでいました。右上には白黒テレビ。家はカラーなのに学校はしばらく白黒でした。見る時は窓の白い(汚れて黄ばんでいたりする)カーテンを引いて反射しないようにして見たものです。


 理科室には怖いものがありました。近寄りたくなかったのは人体模型で、私の学校では木製の収納ケースの中にあったので、普段はお顔は見えませんでしたが、扉を開けると内臓丸出しの身体があらわになり、血走った目と目が合っちゃう。男子は「オッス君」と名付けていました。扉を開けて「オッス」と挨拶をして閉めるという、微妙な肝試し的なことをしていたように思います。娘たちの学校では人体模型に「ガイコツ先生」と名付けていたので、皆さんの学校でも名前があったのではないでしょうか?


 理科準備室にはカエルの解剖のアルコール漬けもあったような? (中学校だったかしら? 理科の教科書には、カエルやフナの解剖の写真がありましたよね?)とにかく理科室は怖いところで独特のにおいがするところでした。


 音楽室には有名な作曲家の絵が飾られていましたが、「チコちゃんに叱られる」によると、それは楽器を買ってもらうオマケにつけた作曲家の肖像画のカレンダーが始まりだったそうです。最初はベートーベン、翌年はバッハ、その翌年はヘンデルで、先生方がカレンダー部分を切り取って飾っていたのがはじまりで、昭和42年に中学校音楽教材基準となって、全国に広まったようです。おかげさまで作曲家の顔がすぐに思い浮かびますね。


 学校にあった気になる歴史上の人物の顔、といえば、私は教室の黒板の上に貼ってあった年表のベリーの顔がとても印象的でした。徳川家康とか豊臣秀吉とか、有名な武士の顔が並ぶ中で、いきなり黒い服を着た外国人、ベリーの顔がバーンと大きく描かれていたので印象的でした。


 教室の後ろには、学級文庫があり、そこには必ず伝記がありました。なぜかベーブルースが印象に残っています。ナイチンゲールやキュリー夫人は聞いたことがあるけど、この人誰? と思ったのが最初です。今は大谷選手のニュースでよくお名前を耳にするようになりました。


 ところで、友達に、口の両端を両手の人差し指で左右にぐっと引いて「学級文庫」と言わせていませんでしたか?


「学級◯ンコ!」


いつの時代も小学生はウ◯コが大好きですね。



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近況ノートに関連の画像をのせています。


https://kakuyomu.jp/users/sumire_130/news/16817330656249768004


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