第15話 事故

 異世界との貿易は上手くいっている。

 笑いが止まらない程ではないが、パートのおばさんを5人雇えるぐらいにはなった。


 仕事が終わり、酒のつまみを買いに繁華街に出た。

 総菜屋で色々と買って帰り道を急いでいた時に事故は起こった。


 歩行者信号は青なのに車が突っ込んで来たのだ。

 俺は渡る前だったから事なきを得たが、女性が一人はねられた。


 救急車を呼んで、後はどうするんだっけ。

 心臓が止まっていたら、心臓マッサージだった?

 いや素人が手を出すといけない気がする。

 とりあえず、彼女の傍らに駆け寄り声を掛ける。


「意識はありますか!」

「……」

「しっかりして下さい!」

「……」


 血が頭からどくどくと流れている。

 頭を打った場合は揺すらない方が良い場合もあるんだっけ。

 彼女が俺のズボンを掴む。

 意識が戻ったのか。

 いいや、目が動いていない。

 無意識の反応だろう。


 ズボンを掴んだ手が、生きたいと訴えているようだった。

 分かったよ。

 飲ませれば良いんだろ。

 異世界産の傷治療のポーションを口移しで飲ませる。

 彼女の出血が止まって目蓋まぶたが動いた。


 目が開いて、口が動く。


「私は?」

「車に跳ねられたんだよ」

「あれっ、どこも痛くない」


 彼女はいきなり立ち上がった。


「ちょっと、寝てた方が良いですよ」

「何だか絶好調だわ」


 救急車が到着した。


「怪我人はどこですか?」

「彼女です」


 俺は彼女を指差した。


「軽症のようですが乗って下さい。頭を打っている可能性があります」


 ストレッチャーに彼女は乗せられ、救急車に収納された。


「あなたも付き添いに乗って下さい」

「俺? 俺も乗るのか?」

「ええ」


 仕方ない。

 付き合うか。


 病院に着くと救急患者搬入口から中に入る。

 俺は廊下に出された。

 もう、帰っても良いかな。


 白衣を着た医者が俺の前に来た。


「いくつか不明な点があるので、話を聞かせてもらってもいいですか」

「ええ」

「血の痕からすると、傷は深かったように思えます。ですが、傷が一つもない。何かしましたか」


 これはやばいな。

 どう答えよう。


「俺にはなんの事やら。見たまんまですよ。何もしてません」

「そうですか。何か思い出したら連絡を下さい」


 名刺を渡された。

 逃げないと。

 俺は病院を出て、タクシーを拾って家に帰った。


 彼女の容態は少し気になったが、立てるぐらいだから大丈夫だろう。

 スマホが鳴る。

 びくっとしたが、電話の相手は司法書士だった。


「もしもし」

『抵当権解消の件、上手くいくかも知れません』

「それは良かった」

『抵当権を買った人物がいるんですよ。ブラックバイパー商事です。交渉相手が一人なら、簡単な仕事になりそうです』

「では、引き続き手続きの方、よろしくお願いします」


 嫌な予感がする。

 明治時代の抵当権を買うって普通じゃないだろう。

 だが、俺は今まで怪しい素振りなんて見せてなかった。

 今日、初めてポーションを使っただけだ。

 こんな短時間で異世界の事がばれるものなのか。


 いや、抵当権は偶然だ。

 ここら一帯を再開発するとかそういう話だろう。

 そうに違いない。


 俺は買って来たつまみをテーブルの上に広げ、冷蔵庫から缶ビールを出して飲み始めた。

 酔いが少し回った頃、屋根の方で音がした。

 何だ猫か。

 気になったので家の外に出て確かめる。

 暗いので良く見えないが、気配はない。


 やっぱり猫だろう。

 猫はたまに隣の家の屋根から飛び移ってくる事がある。

 かなり大きい音がするが、たまにある事なので、気にするほどではない。


 飲み直そう。

 疑心暗鬼になっているんだ。

 あー、彼女の連絡先を聞いとけばよかったな。

 ちょっとタイプだった。


 でも、証拠を残すような事はしない方が良いだろう。

 あの医者は何かまだ言いたそうだったし。

 すっかり出来上がって酔いが回る頃には、疑心暗鬼は空の彼方だった。

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