サンタは遅れてやってくる

望戸

サンタは遅れてやってくる

 暖かい布団の中から片手だけを伸ばして、枕もとの目覚まし時計を引っ張り込んだ。指先の感覚だけでアラームを解除する。夜光塗料の塗られた針は、普段よりだいぶ早い時間を示している。何といっても、今日は十二月二十五日なのだ。目覚ましより早起きするのも仕方ない。

 重たい掛布団をはねのけて、わたしは机の上に置いておいた靴下を見る。赤と白のフェルトで作った、何でも入りそうな大きな靴下だ。その履き口から、茶色いふわふわの塊がにゅっと突き出している。真っ黒な丸い瞳と、首に巻かれた緑色のリボン。

 見たことのない、かわいいテディベアだった。わたしはクマの両脇を抱き上げて、しげしげとそのプラスチックの瞳を眺めた。それから、刺繡糸でふっくらと縫い取られた鼻と、触り心地の良いコットン生地の手のひらをそっと撫でた。

「君もとっても素敵なんだけどね」

 クマを片腕に抱いたまま、わたしは部屋を出た。廊下のフローリングがはだしに冷たい。靴下を履いてくればよかった。プレゼント用の大きなやつじゃなくて、自分の足にぴったり合ったサイズの物。この前買ってもらった、薄い水色の厚手の靴下なら、つま先からかかとまでぽかぽか温かいのだ。

 わたしが住んでいるのはマンションの一部屋だ。玄関から伸びた短い廊下に面してわたしの部屋や水回り、お父さんの書斎なんかが並んでいる。廊下の突き当りにはドアがあって、それを開けた先がリビングとダイニングだ。

 パジャマの肩を抱いて、わたしは思わず身震いをした。早く見つけてあげないと、寒い思いをしているかもしれない。

 部屋の隣は洗面所をかねた脱衣所、その奥はお風呂だ。全部のドアを開けて確認するが、なにもなし。

 洗面所を出て左を向くと、玄関。三和土にも靴箱にもなにもなし。郵便受けには今日の新聞が入っていたので抜き取って、クマと一緒に脇に抱えた。

 さらに左を向いて、洗面所の向かい。ここはお父さんの書斎で、勝手に入るのは禁止されているけれど、今は緊急事態だ。細くドアを開けて、隙間から中を覗き込む。……お仕事の本やパソコンはあるけれど、特に目新しいものは無いようだ。しんと静まり返って、生き物の気配はない。

 ドアを元通りに閉めて、となりのトイレを確認。ふたまで開けてみたけれど、なにもなし。ということは、ダイニングの方だろうか。それならば暖房も効いているはずだから、少しだけ安心だ。

 ダイニングに通じるドアを開けると、トーストの焼ける香ばしいにおいが漂ってきた。

「あら、おはよう。早いのね」

 お母さんがキッチンから顔を出す。

「おはよう。おっ、そのクマどうしたんだ?」

 お父さんはダイニングテーブルで、コーヒーメーカーをセットしているところだ。新聞をテーブルに置いて、わたしは探索を始める。一番怪しいのはツリーの下だ。昨日テレビで見た外国の映画でも、大きなツリーの下にたくさんのプレゼントを並べていた。

 一周ぐるりと回って、プラスチックのもみの木の根元を確認する。電源スイッチ以外なにもなし。

 次にリビングのソファ。よくクッションの隙間におもちゃを落としてしまうから、かき分けるようにして念入りに探す。ちょっと前に失くした着せ替え人形の靴が片方出てきたけれど、他に収穫はなし。小さなハイヒールをパジャマのポケットに入れて、捜索を続ける。

 テレビの裏と、テレビ台の下。なにもなし。

 雑誌のラックと、本棚の隙間。なにもなし。

 着せ替え人形のおうちの中。なにもなし。小さなベッドルームにハイヒールを投げ込んでおく。

 リビングの粗方を探し終わったので、わたしはとうとうダイニングに取り掛かる。ダイニングテーブルの下をくぐり、カップボードの扉を開け閉めし、キッチンに回り込んで冷蔵庫を開けたところで、お母さんの怪訝な視線とかちあった。

「さっきから一体、何を探してるの?」

「プレゼント」

「プレゼントって、クリスマスの?」

「サンタさんがくれなかった」

「ええ?」

 エプロンで手を拭き拭き、お母さんはかがみこむ。

「お母さん、てっきりそのクマさんがサンタさんのプレゼントだと思ってたんだけど」

「頼んでたプレゼントじゃないもん」

 お父さんもやってきて、片膝をついてクマの顔を覗き込んだ。

「いいクマじゃないか。お父さん、こいつが気に入ったよ」

 わたしはあわててかぶりを振った。決してこのクマが悪いわけではないのだ。

「クマさんはかわいいけど、違うの。だから、靴下に入れ忘れたのかなって思って、探してたの。どうしても欲しいから、今年はずっといい子にしてたのに……」

 最後の方は自分でもわかるくらい元気がなくなって、わたしはとうとう俯いてしまった。でも、今年一年、わたしはほんとうに頑張ったのだ。宿題は一度も忘れなかったし、毎日お手伝いもした。テストはたまに間違えてしまうときもあったけれど、去年よりはずっとたくさん百点を取った。

「困ったわねえ。確かに今年はずっと、頑張ったものねえ」

 お母さんが頬に手を当てて眉尻を下げる。どうすればよいか、考えあぐねているようだ。だが、お父さんは迷わず手を伸ばして、わたしとクマの頭を交互に撫でた。

「来なかったのなら仕方ないさ。代わりにお父さんが買ってやろう。いったいサンタさんに、何をお願いしていたんだい?」

「弟か妹」

 クマを撫でていたお父さんの手がぴたっと止まった。そのまま二人は顔を見合わせて、こらえきれないようにぷっと噴き出した。

「それはさすがに、靴下には入らないなあ」

「そうよ。どちらかといえば、お母さんのおなかの中に入るものよ」

 思わずお母さんのおなかを見るが、エプロンの向こう側に赤ちゃんがいる気配はちっともない。やっぱりサンタは願いをかなえてくれなかったのだ。しみじみ悲しくなって、わたしはクマをぎゅっと抱きしめた。

「しかし、弟も妹もデパートには売っていないだろうなあ。代わりにかわいい赤ちゃん人形はどうだい?」

「本物の弟か妹が欲しいの。だからサンタさんにお願いしたの。お人形じゃダメ」

 お父さんとお母さんは再び互いの顔を見合わせた。困ったなあというアイコンタクトをしているのがよくわかる。さっきの呆れと笑いが入り混じった「困った」ではなく、本気で困惑している「困った」だ。お父さんとお母さんを困らせたくなかったから、サンタさんにお願いしたのに。

「……わたし、クマさんも好きだよ」

 こっそり呟くと、二人ははっとしたようにわたしを見た。弟か妹がもらえなかったのは残念だけど、クマをすごく気に入ったのも本当の事なのだ。

「頼んでたのとは違うけど、こんなにかわいいクマさんをくれたんだもん。来年、サンタさんにお礼を言わなきゃ」

「そうね。それはいいことだわ」

 お母さんはわたしの顔を手のひらで挟んだ。優しく微笑んで、親指でそっと頬を撫でてくれる。お父さんもわたしとクマを真ん中に包み込むようにして、お母さんごとぎゅっと抱きしめた。

「君は本当にやさしい子に育ってくれたね。お父さんはとてもうれしい」

「お母さんも」

 三人分の体温の真ん中で、クマだけがきょとんとわたしを見上げている。その無防備な顔におでこを摺り寄せながら、わたしはひそかに決意を新たにした。



 あくる年、十二月二十四日の夜遅く。

 わたしとお父さんとクマは、病院の廊下にいた。いつもならとっくに寝ている時間だ。クリスマスイブならなおさら早く寝ないといけないのだが、今日ばかりはそうも言っていられない。落ちそうになる瞼を励ますように、クマを抱く腕に力を入れる。クマはお母さんが編んでくれた毛糸のセーターを着て、相変わらず真ん丸な瞳で廊下の張り紙を眺めている。その何でもないような顔を見ていると、不思議と心が落ち着いた。

 対するお父さんはさっきからずっと落ち着きなく、短い廊下をぐるぐると歩き回っている。時々立ち止まって腕時計を確認し、廊下の奥を見つめては、ぎゅっと目を閉じ、また歩き出す。もう何周そうやっているだろうか。目が回らないかと心配になる。

「お父さん」

 小さな声で呼びかけると、お父さんはやっと足を止めた。わたしはいちど鼻と鼻をくっつけてから、クマをお父さんに突き出した。

「貸してあげる」

「……ありがとう」

 思わずクマを受け取ってしまってから、お父さんはもう一度だけ廊下の奥を見つめた。それから長い長いため息をついて、私の隣に腰かける。クマはお父さんの膝の上で、じっとまっすぐ前だけを見ている。

 ビニルで覆われた待合のソファは、暖房の効いた病院の中でも少しひんやりとしている。わたしはお父さんに寄りかかって、少しでも暖かくなるように身をくっつける。

「お父さん、いま何時」

「もうすぐ日付が変わるな」

「サンタさん、ここにも来てくれるかな」

「どうだろう。うちの方に行ってるかもしれない」

「クマさんのお礼、言わないと」

「そうだった。なんとか会えるといいんだが」

 そこで会話が途切れて、お父さんは黙り込んだ。ちらちらと廊下の奥に首を伸ばしては、また深呼吸をする。わたしは睡魔に負けまいと、お父さんのコートをぎゅっと握り締めている。腕時計の文字盤が蛍光灯の光を反射する。お父さんの腕の中で、クマの瞳がきらりと光った。その時だった。

 かすかな泣き声が静かな廊下の空気を震わせて、わたしたちの耳を揺らした。わたしとお父さんは思わず立ち上がった。お父さんの膝から転がりそうになったクマを、横から手を伸ばしてなんとか捕まえて、そのまましっかり抱える。大事な瞬間を見届ける権利はクマにもある。

 走り出したくなるのを一生懸命我慢して、早歩きで廊下の奥に向かう。突き当りの大きな扉、その向こうから泣き声は聞こえていた。開けていいものなのか、お父さんが取っ手に指を伸ばして逡巡しているうちに、内側から大きく扉が開いた。

「おめでとうございます。男の子と女の子の、元気な双子の赤ちゃんですよ」

 看護師さんの笑顔の向こうに、汗だくのお母さんが見えた。そして、小さなベッドに寝かせられた二人の赤ちゃんも。

 お父さんは感極まったようにお母さんのもとに駆け寄って、その手を握り締めて何度も頷いている。言葉が出てこないみたいだ。お母さんも疲れの滲んだ微笑で、お父さんに頷き返している。

 お母さんのことはお父さんに任せて、わたしは小さなベッドにそっと近づいた。二人の赤ちゃんは全身ピンク色でしっとりとしていて、一生懸命に細い足や手を動かしている。

「一度に弟と妹ができたのね。あなたももうお姉さんよ」

 看護師さんがそっと囁いてくれる。

 クマにも赤ちゃんを見せてあげようと背伸びをしていたら、おいで、とお母さんの声がかかった。お父さんに手を握られたまま、反対の手でわたしを手招きしている。わたしとクマは、小走りでその真ん中にもぐりこむ。二人の腕にしがみつきながらふと見ると、すぐそばにお父さんの腕時計がある。短い針はいつの間にか、てっぺんを通り過ぎていた。

 お母さんと赤ちゃんたちが病室に戻る準備をするというので、わたしとお父さんは一度部屋をでた。病室があるのは廊下の反対端なのだ。ぶらぶら歩き始めると、急に眠気がやってきた。お父さんとつないだ手に引っ張られるようにして、なんとか足を前に出す。

 そうだ、眠ってしまう前に、これだけは言っておかなくては。

「お父さん、あのね」

「どうした? 眠いか?」

「サンタさん、ちゃんとここに来てくれたよ。弟と妹、どっちもくれたよ」

 お父さんは反対の腕にはめた時計をみて、くすっと笑った。

「そうだな。君の弟と妹は、クリスマス生まれの聖なる子だ」

「だって今年もいっぱい、いい子にしてたもん」

 去年のクリスマスからずっと、次こそはと思い定めて、いい子であるように心がけてきたのだ。勉強もお手伝いも、去年以上に頑張った。お母さんのおなかが大きくなってきてからは特にだ。ずっと見ていたクマがなによりの証人だ。

「もしかしたら去年の分と合わせて、ふたりもきょうだいを授けてくれたのかもしれないよ」

「そんなの、サンタさん、大遅刻だね」

 病室の丸椅子に座って、わたしはもう舟をこぎだす寸前である。お父さんの手が優しく私を抱き上げ、膝にのせてくれる。今にも落ちかかっていたクマも、きちんと私のおなか辺りに収まった。

「ねえ、今、鈴の音がしなかった?」

「ストレッチャーの音じゃないかなあ。もうすぐお母さんたちが帰ってくるよ」

 お父さんの胸に耳をつけて、とろとろと眠りのふちに落ちていく。金属の触れ合う音が遠くから聞こえる。きっとサンタが乗ったソリの音だとわたしは思う。来年こそはサンタにお礼を言わないといけない。クマのことも、弟と妹のことも。だけど今は、どうしようもなく眠たいのだ。クリスマスの夜、よい子は眠りにつかねばならない。そして翌朝目が覚めると、そこには新しい素敵な世界が広がっているのだ。



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