港町 19 (スエン視点)

試合が終わるとリンはさっさと鎧を脱ぎ、帰り支度を始めた。

出前の受け渡しだけのはずだったのに長居させてしまった。


「俺の勝ちだな」

「はいはい。早く帰れ」

「負けたからって拗ねてんのか?」

「拗ねてねぇ」


勝ち誇っている顔にイラっとしているけれど拗ねてはいない。

対戦して実感した。

リンの強さは実戦慣れからくるものだ。

経験の差が違いすぎる。

勝てないのも頷ける。


「非番の日は空けておけよ」

「非番? 何かあんのか?」

「賭けただろ。勝ったら相手の言うこと聞くって」

「……あったな」

「甘味奢ってくれ。食べてみたい店があるんだ」

「そんなんでいいのか?」


賭けのことなどすっかり忘れていた。

対戦前はリンに願うことがいろいろ浮かんだが、武器を交えると欲など霧散した。

武人として強敵と刃を交わす興奮が勝った。


「ちなみに、あんたは勝ったら何してほしかったんだ?」

「俺?」


じっとリンを見た。

負けて言えることではない。

力の強弱などリンはおそらく気にしない。

けれど、男の矜持が願いを口にすることを許さない。

だから、許される、ほんのささやかな希望を伝える。


「いい加減、名前で呼べ、と言おうと思った」

「なまえ?」

「いつも『あんた』って呼ぶだろ」

「そっちだって『お前』って言うだろ」


リンが頬を膨らませる。

子供のような仕草にくすりと笑った。


「名前なら、いくらでも呼ぶけど?」

「賭けはいいのかよ」

「友人の名前くらい呼ばせろよ、スエン」

「…………早く帰れ」

「おやぁ? 照れてんのか?」

「煩いぞっ、リン!」


赤くなった顔を背けて演習場から出ようとする。

名前を呼ばれたくらいで火照る体を見せたくなかった。

揶揄ってくる七つも年下の女に名前を呼ばれただけで喜んでいる自分が幼稚に思えた。


「それより。おま……リン。神官の御前に出るの嫌なんじゃなかったのか?」

「まあ……兜で顔隠れてるし、大丈夫かな、って」

「……? 神官と知り合いなのか?」

「どうだろ。わからん」

「はあ?」


演習場の舞台では次の対戦が始まっていた。

勢いのあるかけ声とぶつかり合う武器に大きな歓声が上がる。

負けてしまったスエンが舞台に呼ばれることはおそらくない。

着替えてしまおうかと踵を返した。

ついでにリンを店まで送って店主に事情を話しておこうと思った。

リンを引き止めたカオは近くにいない。

帰してしまっても知らなかったと言い訳も立つ。


「良い試合でしたね」


演習場の観覧席から続く回廊から声をかけられた。

穏やかで落ち着いた声色だったが、姿を視認し、硬直した。

長衣を身に纏った朱色の髪の男、地方を纏める神官だ。

模擬戦はまだ続いている。

観覧席から抜け出してきたようだ。

うしろに一人、カオが付き人として控えている。

カオは一年半前まで、神官がいる城郭都市の神殿に務めていたことを思い出した。


「勿体ないお言葉です」


さっと腰を落とし、最上礼でもって対応する。

横のリンも注意する前に奇麗な礼を取っていた。

スエンはそこに違和感を感じた。

普通の平民は神官を前にすると萎縮で平伏してしまう。

まるで、神殿仕えをしたことがあるような礼の取り方だ。


「見事でした。特に君の戦術は」


神官は視線をリンに固定する。

スエンからすると、見事というより破天荒と表現するが。

おそらく神官も皮肉を混ぜているのだろう。


「面白かった。まるであの『猛将』のようだ」

「…………ありがとうございます」

「『猛将』を知ってるかな?」

「有名な方ですので」

「うーん。君の戦い方が彼に似ているから、てっきりリオンの元にいたのかな、って思ったんだけど」


口調が気安い。

まるで昔なじみの者と話しているようだった。

猛将に憧れる者は多いが、彼の戦術を知る者は少ない。

戦歴を聞くだけで実際目にすることはないからだ。

猛将の戦い方を知っている者は、彼の戦いぶりを間近で見たか親しい間柄になる。

リンは押し黙り、確かなことを口にしない。


「彼にロの家名を与えたのも、リオンと引き合わせたのも私なんだ。彼とは付き合いが長いんだけど、リオンに取られちゃったんだよね」


神官は楽しそうに昔話を語る。

神官の私生活など聞くことはない。

神官は神格化され、清く尊い存在であると聞いて育つ為、神官の教えはすべて正しいと思い込む。

目の前の神官は自分たちと変わらない生身の人間だと感じた。


「都にいた頃、リオンが引き取った兄の子を彼が稽古をつけているのを何度か見たよ。私にとっても甥っ子になるんだけど」


突然の話題になんと返して良いかスエンは頭をひねった。

ちらりとカオを盗み見たが、一貫した無表情。

これは口を挟むべきではないと判断した。

神官はなおも続ける。


「確か二人、いたんだよね。リオンが貧民窟で拾ってきた子と、二人で楽しそうに指南を受けていたね。十何年か前になるんだけど。君はそのもう一人かな?」


蒼白となった表情に、リンがひた隠しにしていた過去の片鱗が見えた気がした。

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