邑 7

パチパチと石壁の篝火が小さく爆ぜる。

薄暗い空に朱が映え、影がくっきりと形を作る。

森はいつもと変わらない。

さわさわと邑を窺って、隙があれば襲いかかる。


命辛々逃げ帰ってきたのが夕闇が空を染める刻。

帰りを待ち詫びた人たちの顔は絶望に染まった。

七人で出かけて帰ってきたのは三人。

森の中で何が起こったか想像に難くない。


「申し訳ない」


深々と頭を下げるクロウに誰も責めることができなかった。

神官は絶対的な存在。否を言わせない権限を持っている。

その神官が頭を下げて謝罪をしている。

誰が非難できようか。

ただ、待ち人の姿がない事に泣き崩れる。


「本当に、済まない」


声を上げて泣いているのはリャンと結婚の約束をしていた女性。

リャンが欲しいと言った茶葉は彼女にあげるものだったのだろう。

仲の良い二人だった。

睦まじい姿をよく見かけた。


「リャンは」


顔を上げると、リャンの父親であるカナンが正面にいた。

怒っているのか悲しんでいるのか、クロウにはわからない。


「あなたの役に立てたのでしょうか」

「ああ。助けてもらった。いつも、助けられている」

「…………なら、良いのです。息子を誇りに思います」


カナンは静かに笑って、涙をこぼした。




自室に戻ると治療師が待っていた。

擦り傷や切り傷の軽傷だけだったのですぐに治療が終わり、退室していった。

控えている女官にも退室させた。

一人になり、静寂が耳を打つ。

寝台に身を投げた。

張っていた気が緩み、座ることもできないほど疲れていたのだと自覚した。

クロウに一番必要なのは休息だと、治療師が言っていた。

負担の大きい白炎を連続で使用した疲労が出ている。

肉体より、精神面の疲労の方が大きい。


「なにが神官だ」


叔父に拾われてから、クロウは周囲から大切にされてきた。

特別な存在と言われ、敬われ、皆がクロウを頼り守ってくれた。

だからクロウも邑の民を慈しみ護った。

クロウを一番愛してくれていたのはリーだった。

リーがいたから邑を大切にしようと思えた。

リーが大切にしていたものだから護りたいと思った。

リー以上に大切なものはない。そう思っていた。

クロウは邑が大切だった。

リーがいなくても関係ない。

邑の民が大事だった。

自分の身が危なくなろうとも守らなくてはいけない存在だ。

けれど、守れなかった。

神官の力があったって彼らが救えなかったら意味がない。

神官だから守られていた。

神官だから守らなくてはいけなかった。

自分がこんなに無力だったと思い知った。

ルオウのような武力があれば良かったのか。

チェンのような知力があれば良かったのか。

皆が言う通りリーを探さなければ良かったのか。

後悔ばかりが頭を占める。


『リャンは、あなたの役に立てたのでしょうか』

『息子を誇りに思います』


カナンの言葉が耳に甦る。


「良いわけがない」


クロウが命じなければリャンは無事だったはずだ。

クロウがもっと早く撤退を決めていたら他の兵士も魔憑きにならなかったはずだ。

リオンならこんな失敗しないだろう。

皆無事に邑に帰れていた。


「……俺は、神官で良いのか」

「嫌なら降りればいい」


自問に返答がきた。

神殿の居住区に入れるのは邑でも一握り。

ましてや神官位であるクロウの自室に無断で入れる者など一人しかいない。


「叔父上」


リオンは扉に凭れてじっとクロウを見ていた。

クロウは居住まいを正し、リオンに向き合った。

リオンは呆れているのか、表情に色がない。


「神官でいるのが嫌なら出ていきなさい」

「しかし……」

「お前がいなくなったら邑は滅ぶだろうけれどね。身内がむざむざ魔に喰われて心が折れる神官など、いても役に立たないよ。消えるのが遅いか早いかだけだ」

「…………」

「私は落ち込んでいる甥を慰めるほど優しくないよ」

「……知っています」


普段は飄々として心理を悟らせない叔父の目は冷たかった。

幼いクロウを連れ邑を興したリオンは、今日のようなことを何度も経験したはずだった。何人も、何十人も。

それでも折れずに邑を盛り上げた。

クロウはリオンによって神官に担ぎ上げられた。

そのことに疑問も不満も感じたことがない。

神官の炎で生かせられる人がいる、喜ぶ人々がいる。

自分の存在価値そのものだった。


「出ていくかい?」

「いいえ」

「なら、泣き言を言うな」


リオンの声はどこまでも冷たかった。

叔父が優しくないことは知っている。

いつだって神官でいることを求め、正論でクロウを戒める。

けれど彼がくれる愛情を疑ったことはなかった。


「お前は神官だ。けれど、自分一人が邑を背負った気でいるのなら、そんな思い上がりは捨ててしまいなさい」


特権階級である神官は敬われる存在。

特別な炎が出せる特別な一族。

数百年前からの習わしで生まれた特別で替えが効かない血族。


「未熟者であるお前ができることなど炎を出すことくらい。お前に皆が手を貸すのは神官だからという期待からだ。皆が手を貸そうと心を動かすのはお前が未熟者だからだ」


まだ歳若いクロウがリオンや官吏たちのように考え、細事を動かすことは難しい。

リオンたちの教えがあって叶ってきたことばかり。

未熟者と言われてもその通りだと頷くだけで反論ができない。


「邑は神官のためにあり、神官は民のためにいる。皆、森と生きる覚悟はとうにできている。お前は森と共存し、民の命を背負っている覚悟をしろ」


何のための神官か。わかった気でいた。

神官の炎があれば邑は魔に脅かされず暮らせると疑っていなかった。

実父と同じだ。

特別な炎が出せると驕っていたのだ。

神官が神官でいられるのは、民あってのものだ。

神官として、民のために力を使うことに変わりはない。

しかし、クロウ自身の声に民が従ってくれるかは別。

許してくれていたのはルオウやリャンというごく身近な者だけだった。

皆が必要としていたのは神官としてのクロウだったのに。


リーは許してくれていただろう。

むしろ、神官のクロウではなく、クロウ自身しか見ていなかったかもしれない。

だからリーの隣は居心地が良かった。甘えていた。


「お前はまだ未熟者だ。私からも、他の者からも学ぶことはまだあるだろう」

「はい」

「今日のお前は確かに間違えた。でも、誰も怒りはしないよ。悲しんではいるけれどね。誰だって身近な人がいなくなるのは悲しくもあり寂しいものだ」


語るリオンに一瞬、哀愁が混じる。

かつていたのだろう、叔父が心を預けた相手が。


「だが、命を無駄にするな。挑戦と無謀は別物だよ」

「はい」


この度の遠征は無謀だったのだろう。

魔を侮り、仲間を喰わせてしまった。

それでもまだ、クロウはリーを諦めたわけではなかった。


「で、森の奥には何か得るものはあったかい?」

「はい。これを」


クロウは懐から包みを取り出し、中のものをリオンに見せた。


「リーは生きています」

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