間話 灰氷大戦 5



 二人を中心に、強烈な熱気と吹雪がムルドゥールズ平原一帯に拡がっていく。


 草木は焼かれ、黒き灰となって舞い、小川は凍結し、ムルドゥールズ平原はまさしく氷熱地獄と化した。平原に生息していた動物や鳥達は、危機を察知しこの戦いが始まる前に逃げ去っていたが、まさしく正解だっただろう。

 僕やジュリアスにしても、もしレイアさんが居なければと思うと背筋が凍る思いだ。



「流石にやり過ぎな気もしますが……彼女達のぶつけ合う想いの強さからすれば、こうなるのは必然的だったかもしれませんね」



 レイアさんの異能なのか、金色の粒子による結界を展開しながらも、そう呟く。



「愛してる……って、言ってたよな……。結婚がどうとか、酒の席の冗談じゃなかったのかよ……」



 ジュリアスが茫然としながら力の無い言葉を発した。

 ――言いたいことは分かる。僕も今、その事で頭がいっぱいになっている。



「……彼女達は男だからとか、女だからとかではなく、人としてのサフィリア・フォルネージュを、スティルナ・ウェスティンをお互いに愛しているのでしょう。孤高である程の強さを持つ彼女等にとって、自らと同じ位階に存在する唯一の存在。慕情を持つのも然り。だけど、それ以上に……」



 レイアさんは慈しみに満ちた視線を、互いに剣をぶつけ合いながら嗤う二人に送り、口を開く。



「強者としてしか見られない自分では無く、お互いに素の自分を曝け出せるのは、お互いを於いてないのでしょう。……今の彼女達は、凄く楽しそうです」



 強者としての自分……。確かに僕は団長を圧倒的な強さを持っている事が前提の人間と捉えていた。そう言われれば、憧れたのは『灰燼』であり、紅の黎明団長。サフィリア・フォルネージュであり、僕は……一人の女性として団長を見た事は無かった。

 気付かされれば、一気に押し寄せる劣等感を感じる。言ってしまえば、団長は本当の自分をスティルナさんにしか出せないのだ。そしてそれはスティルナさんも同じ……。


 ――ジュリアスは僕の顔を見つめ、なんとも言えぬ悔しさを滲ませた表情を見せた。



「俺が見てた姉さんは……。本当の姉さんじゃなかったのかよ……。姉さんは俺にも、自分を見せられていなかったってのかよ……。

 ……あぁ畜生。見た事もねぇ様な顔で笑ってるぜ……。クソ。本当に……楽しそうだ」


「ジュリアス……」



 ジュリアスの気持ちは僕も痛い程に分かる……。僕もあんなに心の底から、歓喜を沸き上がらせているような団長を見た事はない。

 ――あの顔を引き出せるのは、きっと……スティルナさんしかいないのだ。



「ですが、貴方達の想いが褪せることにはなりませんよ。決して卑下することではありません」


「……だが、オレは姉さんにとっての一番にはなれねぇ。……それが分かっちまった」


「僕は……それでも、いつかきっと団長を倒して認めさせてみせる。それが、僕の想いだ」


「あんなんに勝てるわけねーだろ!? 見ろよ! オメーがどれだけ速く動けようが、笑いながら平原一つを焼き尽くし、凍らせる様な人達だぞ!? 俺等が辿り着けるような場所じゃねーんだよ!!」



 ジュリアスが悲観的になる程、確かに凄まじい力なのは僕にだって分かる。仮に今、あそこに割って入れば、僕は一瞬にして死んでしまうだろう。



「でも、僕は……それでもいつか、団長にあの顔をさせてみせるよ」



 あの圧倒的な戦いを見た今では、正直に言えばあの領域に足を踏み入れられる自信は無くなってしまった。……でも、それでも諦めない。僕は、僕がスティルナさんを超えるライバルにいつかなってみせる。



「……チッ……オレは帰るぜ。付き合ってらんねー」



 ――ジュリアスは砂で盾を作り、戦いの余波を防ぎながら町の方へと去って行ってしまった。

 ジュリアスにしてみれば、スティルナさんは唯一心を許した様な存在だ。それが、団長にしか見せない顔を見て、裏切られた様な気持ちになってしまったのかもしれない。

 僕は無言でジュリアスの背を見つめると、レイアさんが、金色の結界を解除した。



「そろそろ、戦いを決するつもりの様ですね」



 視線を団長たちの方へと戻せば、戦う前と同じ様に少し距離を取り、お互いに剣を構える団長達の姿が目に入った。

 団長は全身にスティルナさんによる斬撃の傷が刻まれ、女将校の様な服装が朱に染まっている。深い傷こそないものの、あれ程に手傷を負った団長を見たのは初めてだ。

 対するスティルナさんは、身につけたコートや銀色の髪の一部が焼け焦げていて、左の肩口にやや深めの斬痕が見られる。太刀を握るのに影響がありそうだが、総合的なダメージを見れば、やはり二人の力は拮抗していると言っても良いのかもしれない。


 ――団長が大剣を正眼に構え、スティルナさんは太刀を霞に構えた。

 二人共息は荒いが、剣先が震える事もないし、何よりお互いを見つめるその顔は、喜びの笑みに彩られたままだ。



「これが……最後の一合としようか」


「そうだね……流石に限界も近いからね」



 団長は、蒼く輝く焔を大剣に纏わせる。あれは、僕が知る中でも最も威力のある団長の技だ。



蒼輝煌焔そうきこうえん



 スティルナさんもまた、真っ白に染まった太刀に冷気を集わせていく。技の理合で言えば、団長の輝煌焔と同じだろう。



「水覇一刀流歩法、奥伝――霧氷嵐雪むひょうらんせつ



 刹那、二人の姿が掻き消える。


 ――僅かに追えたのは、特殊な歩法を用いたのか、何人にも分身したスティルナさんが、凄まじい速度で一斉に団長に向けて冷気を纏わせた太刀を突き出していく。

 槍衾の様に襲いかかる白刃に対し、団長は幾人ものスティルナさんを一斉に薙ぐように、横薙ぎに振るった大剣から蒼焔を迸らせる。

 

 団長が大剣を振り抜いた体勢で動きを止めた所に、スティルナさんの超速の刺突が団長の脇腹に吸い込まれて行き……スティルナさんの太刀は団長を穿つらぬいた。


 ――――が、その直後、崩れ落ちたのはスティルナさんの方だった。



「私の……勝ちだ」


「ふふっ……その……様だね……」



 団長に対し跪く様に崩れ落ちたスティルナさんの胸元から鮮血が噴き出した。

 輝煌焔で裂かれれば、本来はあの程度では済まない。咄嗟に『氷刹』の異能で焔を相殺したのだろうが、それ結果、団長を穿いた刺突になんの力も乗っていないという結果に繋がったのだろう。

 

 ――何はともあれ、二人共無事に済んで良かった。



「立てるか? スティルナ」


「うん。なんとかね……ありがとう」



 団長が満身創痍になりながらも、スティルナさんに手を差し伸べて――――突然、その腕が宙に舞った。



「ぐっ……!?」


「な……! ぐああッ!!?」


「――!? スティルナ!!」

 


 今度はスティルナさんの左脚が、膝から上のあたりで切断され、悲鳴をあげながらスティルナさんが地に伏せる。



「な……にが……?」


「とにかく我々も行きましょう!!」



 僕とレイアさんは全力で団長達の元へと駆ける。……が、謎の襲撃者が状況を固める方が、僕達が団長達を救うよりも速かった。

 漆黒の闇で空間を塗りつぶしたかのような結界に、団長達が閉じ込められる。



「これは……まさか」


「久しぶりだね。レイア・アウグストゥス・アウローラ。……千五百年ぶりくらいかな?」


「戯神……ローズル……!」



 黒球の結界の陰から顔を覗かせる様に、白髪交じりの黒髪を後ろに撫で付けた男が現れる。

 僕は見た事もない男だが、その男は軽薄な表情からは似つかわしくない途方も無い力を感じさせた。



「彼女達に……何をするつもりですか」


「彼女達? あぁ……別に何も」


「問いを変えましょう。貴方の目的はなんですか」



 レイアさんが、真剣な面持ちで戯神と呼ばれた男に問えば、男はにたりとその口元を歪めた。



「遠慮しても仕方がないから、はっきり言うけどね。僕は、君の豊穣の起源紋が欲しいのさ」


「起源……紋?」


「君には理解できないだろうから、黙ってるといいよ。あ、勿論武器とか抜いて僕に危害を加えようとするなら、この中の二人はグチャグチャのペチャンコにするからね?」



 疑問を投げかけた僕に対し、戯神は脅しで答えを出してくる。

 ……いや、きっとこれは脅しではない。僕が何かをすれば、二人のうちどちらかを殺し、僕を捕らえるか殺すかして、再度レイアさんに応えを迫るのだろう。

 起源紋とやらが何かは分からないが、二人の生命には替えられない。レイアさんがそれを持っているなら、この男に差し出して貰いたい。



「……それを、貴方に渡したとして貴方は如何するのですか」


「僕は、レイディウムを倒し、その力を手に入れ……『デウスの園』へと旅立つ」


「…………」



 戯神の言葉を聞いたレイアさんは、数秒の間、瞑目した後、僕の方へと向き直った。



「シオンさん……。二人を頼みます」


「え……?」



 レイアさんはすぐに戯神へと向き直る。



「条件があります」


「なんだい?」


「先ず、彼女達二人の解放……勿論危害を加えずにです。次に、その後彼等に手を出さない事。そして……貴方の計画に、このアーレスに住まう者達を、無為に巻き込まない事」


「構わないよ。あ〜、でも勝手に僕に関わってくる者達も居るからね……。そこは御免してもらうよ」


「……分かりました」



 戯神は、レイアさんの了承の意を得ると、喜悦に頬を緩ませ――レイアさんの胸を貫いた。



「え……?」


「さよなら。レイア」



 レイアさんの胸を貫いた戯神の手には、ぼんやりと金色に輝く紋章のような物が握られており、その紋章からは途轍もない圧倒的な力が感じられる。

 

 ――俯せに倒れ伏したレイアさんは、ピクリとも動かずに大地に鮮血を滲ませ続けている。



「じゃ、約束通り彼女達は解放するよ」


 戯神が指を鳴らすと、黒球から団長とスティルナさんが姿を現した。



「「レイア!!」」



 二人共、レイアさんを抱き起こすと、戯神を怒りの表情で睨みつける。



「貴様が……レイアを……」



 団長が戯神に向け、大剣を構える。



「サ……フィリア……スティ……ルナ」


「レイア! 死ぬな……! しっかりしなよ!!」



 スティルナさんがレイアさんに必死に呼び掛ける。……だが、おそらく……レイアさんは、もう助からないだろう。貫かれた胸からは、潰れた心臓が見えている。



「貴様……殺す!!」


「……悪いけど、これ以上此処に居るつもりはない。目的は達したし、レイアとの約束もある……この場は退かせてもらうよ」



 ――次瞬、戯神の姿はコマ送りのように姿を消した。超速度で移動したのか、最早あの男の気配は無くなっていた。

 怒りの表情そのままに、団長が僕の方へと詰め寄る。



「く……シオン! 何故アイツを斬らなかった!!」


「……ッ! 僕は……」


「サフィリア……シオンさんを、責めないで。彼が動けば……貴方達が、無事では済まなかった……」


「く……!」



 団長は、強く歯を軋らせ、唇から血を流す。



「サフィリア……スティルナ……聞い、て……」


「なんだい? レイア……」



 レイアさんはスティルナさんのお腹に手を差し伸べると、その手からぼんやりと銀色の輝きが、染みる様にスティルナさんの中へと入っていった。



「貴方達が……やがて、夫婦になったら……きっと子供が生まれるから……。産まれてくる子は、私では……無いから安心して、ね。

 そして……いつか、アーレスに来る……私の、四人の子供達に……会わせてあげてほしい……」


「? ……分かったよ。レイア。必ず……必ず会わせてあげるから」



 スティルナさんは大粒の涙を流しながら、レイアさんに応える。



「あり……が……」



 穏やかに笑うと、レイアさんは息を引き取った。



「……どうして、こうなってしまったのだろうな……」


「私にも、わから……ないよ」



 団長とスティルナさんは、朋友を喪い涙で地を濡らした。

 僕は、二人に掛ける言葉も見つからず、ただ呆然とレイアさんの穏やかな顔を見つめていた。



 ――――レイアさんを埋葬すると、僕達は無言で歩き、町に戻った。

 町の前まで来た所で、僕は団長へと口を開く。



「団長……僕……『紅の翼』を抜けさせてくれませんか」


「……突然どうしたというんだ?」


「僕は……自分の弱さが赦せません。僕がもっと強ければ、団長達も傷を負わなかったし……レイアさんを見殺しにせずに済んだ……」


「それは……お前が気に病むことでは……」


「僕はきっと、団長やスティルナさんに憧れ続けているうちは、団長達よりも強くなる事は出来ない……だから……」


「……そうか……だが、そうだな……条件がある」



 団長は真顔で僕の眼を見つめる。



「私は腕を失おうが、傭兵は辞めん。先程の戯神を殺すまでは……いや、復讐のみに生きるつもりは無いが、奴は必ず滅ぼす。それまでは最強の名は捨てんつもりだ。だから……いつかお前が、私を倒して、その最強の名を奪ってみせろ」


「……ッ。……分かりました。いつか必ず、あなたを倒してみせます」


「いい返事だ」



 団長はどこか寂しそうに笑うと、ぐしゃぐしゃと僕の頭を撫で回した。


「シオン」


「はい」


「……生きろよ」


「……必ず」



 ――――そして、僕は紅の翼を脱退した。風の噂では、ジュリアスも『蒼の黎明』を抜けたらしい。

 ジュリアスにも、色々と思う所があるのだろうが、僕にとっては好敵手の一人だ。いつかまた道が交わると信じている。

 紅の翼も解体され、蒼の黎明と合併し『紅の黎明』と名を変えたそうだ。

 『紅の黎明』の噂話は、どこの街に行っても耳に入って来る。団長は隻腕になっても全く力が衰えぬどころか強くなっているとすら言われているくらいだ。

 ――流石は、団長と言ったところだ……だが、いつか……必ず団長に、最強あのひとに勝ってみせる。


 それが、僕と団長の誓いだからだ――。

 



 

 




 


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